2020年8月15日

18才の自伝 第十一章 ゲームオーバー地点での抵抗

『18歳の自伝 第十章 池袋の或る監獄城にて』の続き)

 壁際ってなに? とか全く現代日本の絵画教室なるものを知らない人には理解が難しい部分が前章終わりにあったので補足する。
 今の美術教育(実は成り立ちえない)では、「写実」とよばれる、物体を模写する方法が基本になる。これには西洋圏が古代ギリシアの完成度の高い彫刻を模範にしていた歴史的経緯もあるが、明治期に黒田清輝(くろだきよてる。有職ユウソク読みでくろだセイキとも読む)という鹿児島人が同流儀をフランスから持ち込んだのに、日本での一起源がある。
 手短にまとめるとそういう話で、少なくとも高校と大学での実技系美術教育といえば、基本はある物体を部屋の中央部などあちこちに置いて、模写させる。芸大美大でも最終的には画題からなにから当人が決めて描く事になるが、模写はその基礎力養成みたいな位置づけにされているといえる。
 そして美術用語ではこの描く物体を「モチーフ」と通称し、模写作業が鉛筆か木炭の白黒だけを使って(色とりどりの絵具は使わず)紙の上で行われるとき「デッサン」という。どちらもフランス語からきている筈だ。Motifはラテン語の語源(元は'movere')的には動機を意味する。美術用語としては着想などの派生的意味を生じ、今の日本語圏では特に、美術教室で描く物体へあてられている。他方、仏語dessin(デッサン)は英語でいうdesign(デザイン)、ラテン語源での意味は記し出す('de' out+'signare' to sign='designare')、すなわち下書き。だがこの言葉、デッサンは、ヴァザーリという中世イタリアの建築家が重要な美術用語として彼の著『最優秀の画家・彫刻家・建築家列伝』("Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori")でだった筈だが定義し、絵、彫刻、建築といった造形美術に共通の基礎とした。つまりデッサン・デザインは西洋語圏での語感だと、しっかりした下書き設計といった意味をもっている。日本語圏ではこのヴァザーリ定義が十分伝わらず、明治期にこれらの語彙が移入してから特にデッサンは絵の白黒による素描との意味に、デザインは広告、ポスター、家具、乗り物、日用品や建物などの道具の設計(特にその審美的側面)との意味に使われる。

 で。自分はこのモチーフをデッサンしたり、油絵の具で描く教室につめこまれていた。

 イーゼルとは画板や画布を立て掛ける為の、木や鉄でつくってある写真立てみたいなもの。日本語だと画架だがあまり使われず、ロバを意味するラテン語源asinusがオランダ語ezel(小さなロバ)を経て英語easelとなり、このオランダ語・英語のイーゼルとの発音がカタカナ外来語に入ってきた。ロバに荷物を積むのと似ているから、画架にこの語があてられたみたいだ。美術学校では特に木製を使っていた。理由として木のほうが壊れづらいし、片づけや設置時に割と乱暴に扱ってもヒンジ部にしか鉄を使ってないしで、その部品を除けば錆びついたりもしない。よほど破壊されなければ半永久に使えるからだろう。鉄製イーゼルだと中が空洞の円管・角管で、軽量なのを売ってて、印象派みたく外で絵を描く時に使う。結構重い木製イーゼルに比べ移動に便利だが、雑に使うとすぐ壊れるし、ヒンジ部とかも一般にプラスチック製なので余計安っぽい。

 僕が創形美術学校なる場所でイーゼルをわざと壁際に置いたってのは、部屋の中心になんかモチーフが配置されてて、その周りに人々がイーゼル立てて素描するんだが、一番後ろで壁にあたるギリギリのところで描いてたら自称講師お爺ちゃん(以下略してoJiichanのJ)に僕の絵がどんなもんか見れないだろ、って事。後ろは壁なので覗き見されない。子供っぽい考えだが、17、8才なのでそんなもんだった。
 実際には前章で書いた様、わざわざ指導のつもりでイーゼルをコンクリ床上でギーって横に向けさせられ、何度となくアホみたいに絵を塗りつぶされるとか、自分には気に入らないほうに下手にいじくられるをくり返した。その苦難をのりこえJが部屋去って暫く待ち、帰ってこないのを確認してから、自分流儀へぬりかえるをくり返す。だが毎度高確率で構図からなにからJの趣味で破壊されるので画布やデッサン用紙が潰れ、ボコボコになってしまい、極めて描きづらい。その苦労の証拠の一つは作品集に残した、青いテーブルクロスの上にカボチャのある静物画です。生乾き再修正を重ねにかさねた苦労の跡が分かる。
静物
2001年
画布に油彩
53 × 45.5 cm
現存せず
 Jは僕の絵に頼んでもないのに、毎度結構すぐ乾いてしまう速乾油(シッカチーフ)ふくみの、余計なばかりか、僕的になんのセンスもない百害加筆してきやがる。J去ってすぐ消したら、Jはそれ見咎め文句いうかオイ、指導に逆らうのか? みたいにマジギレするだろうし、100%厄介でしかない。なにか学べる点があるか? なにもない。単に偉そうにしたいだけの馬鹿である。相手は。どんだけ話聴いても道理の立たない印象論しかいってないし、じゃあ感覚論だけでも優れてたらまだいいが、その点でも完璧に時代遅れの遺物でしかなかった。絵を描き終わるとみんなの並べて講師があれこれ知ったような口で講評というのをするのだが、その時とかJ当人は自分が年齢差別で上位者と思い込んでるもんだから、若者の絵を劣化させ続けてきた元凶なのがよくわかった。しいて言えば戦時中の学生画っぽい渋味が好きなんだろうけど今の時代からしたら下手なだけで相当つまんないのをほめて、色彩感覚とかがポップで相当感じがいいのを毀誉褒貶どころか完全無視しているのだ。おそらく現代アート全般、彼にはなにがいいのかわかんないんだろう。だがJは一生、彼の感覚の鈍さを自覚しないであろう。それに気づけていればあんな古風を押しつけて、全国からつどう無邪気な学生を頭ごなしに虐めまくる中ボスでしかない、弱い物いじめ系馬乗り地点に安住する筈もない。

 これ書いてても当時の自分、また自分以外の周囲のJ被害者らにも同情せざるをえない。それほどJは構造的老害そのものであった。彼を首魁シュカイとしあの学校は正直ぼったくり商売に感じたくらい学費も決して安くはない。適当印象論なんざそこらのどんな人でもやれる。いいねーいいねー。これはちょっとなあ。で、理由なし。そんなのなんの学びにもなりやしないんだが、まじでこんなのだった。
 けどけど、僕はまさかこのJだけだろうそんなのって。当時は時代錯誤オジジなんて一部だけだろうと、大甘な予測し、美術業界一般に(18才の)自分と同等以上の知性を期待してしまっていたのだった。それが全て(いまだに)裏切られ続けるとはつゆ知らず。ゆめにだにせず。芸大教授なんてこれを数十段お馬鹿さんにした鬼主観印象論のパワハラ権化だなんて、そんな完全無欠に間違った体制を大勢が肩書きほしさに餓鬼窟作ってるなんて、どんな清らげな一青少年が気づくだろう。僕だけだ。唯一この国で、たった1年で全てを悟り、まさに「やくざだぞ」by磯上の時空から自発的に完全足を洗えた逸材は。毎年何億人と集まってくる。何十万人くらいかな。でも膨大な質量の暴力をふるわれる、無垢な魂が。全員絶滅、または堕落して体制に呑まれ終了。ゲームオーバー。