2020年7月8日

僕がみた村上隆と会田誠

物凄く素朴なことを書くけど、
専門家には面白いかもしれないが、
村上隆のオールオーヴァーって、
ミニマリズム文脈ではあるんだろうけど、
今ドラえもんの絵インスタでみたんだけど、
普通に見づらいしチカチカする。
一回もいいって思ったことない。絵。
コンセプチュアルアーティストなんだよな。

普通にさ、
藤子不二夫AだかFだかの描いた、
普通の扉絵のが見やすい。
純粋に絵として。
文脈主義自体をモドキ化してんだよな、隆って。
一言でいうと最初から絵が下手。
当人もいってたけど。
ウォーホルの色彩配置をわざと適当とかいってたけど、
それ君でしょと思う。
ウォーホルはラフなだけ。

ウォーホルは僕には畏れ多い対象でもあり、
いわきで1個しか実物みたことないんだけど、
つまり六本木の展覧会にすら行かなかったんだが、
雑踏が面倒なのもあったけども、
別に下手じゃないどころか物凄くうまいのよね。彼。
僕が巧いって思うひと殆どいない。
ダヴィンチの実物も微妙と思ったもん。

ウォーホルのラフさって、
アメリカンな感覚が凄くよく出てて、
かといって手抜きではないわけです。
万事、雑なだけ。
だけどちゃんと考えられてるでしょ。
弟子にやらせてたにしても。
適当そうに見えるけど、
要はチャンスオペレーション利用してただけ。
よくある話。総合的に典雅な色彩構成だろ。

でもさ、
隆の絵って実物見ると何でこんな下手なのって、逆に驚くんだよね、僕は。
ドラえもん展でみたやつでびっくりしちゃった。
画家になれるたまじゃないでしょう、くらいに思った。
普通にさ、そりゃ挫折してもおかしくない。漫画道。
駿や鳥山に及ぶべくもない。
結局、村上隆って努力系でしょ。

この色彩配置は酷いですよ。
偶然性じゃないのに下手っておかしいだろ。
偶然性の方がましって、
要するに当人に色彩感覚が欠如してんだよな。
一見して綺麗とかわかるじゃん。直感は。
わーって。
隆の絵でうわービカビカ目がつらいってなる。
そもそも視線誘導論とかもろくに使えてないでしょ。

予備校的視線誘導論、
僕もドバタで言われた。軽く。
いってる意味は分からなくもなかったが、
単にさ、画面の全体を使えってだけ。
サッカーでいうフィールドの端まで広がるよう蹴れってやつ。
でも理論的にさ、余白を無視させるからおかしいんだよね。
日本画の伝統理論じゃないと思うあれ。

視線誘導論の起源って、
俺が思うに、芸大受験の油画のやつらだと思う。
新美かドバタかそれ以外かは知らんが、
俺がいたドバタ油画だと、
画面全体を無理やり手入れて支配してる方が強い説だったと思う。
それって手間かかってる感で他素人受験生と差別化での、
教授目線の瞬殺逃れなんだよな。

俺の友達、余白好きの人だったし、
その点で手間かかってない様にみえるから、
連続しておちまくってたからね、
4年だか5年だか。
受験手法理論でしかないです。視線誘導論って。
でさ、
隆の花マークの絵って単に埋めてるだけだから受験絵画なのよね。
僕からみると。
それは視線誘導ではないのよ。

真の視線誘導論ってのはある。
僕はセザンヌや、ダヴィンチや、
ラファエロや、ワイエスなどがそれにあたると思う。
彼らは物体や人物を画くにあたって、
観客または画家がどう物を見るかについて、
かなり時間かけて考察していたと思う。
画家夫々の方法論は、
別の所で頼まれ気分よければ語るけど。

隆のいう視線誘導論。
『芸術闘争論』だったと思うけど、
に軽く書いてある。
あれは視線誘導といっても、
受験テクの部類でしかない。
いわゆるプロの代物ではないのだな。
隆って日本画出身だからか、
洋画の手法系統詳しくしらないでしょ。
それは僕にはばれちゃうのよね。僕は洋画系統だったから。

西洋人がな、
特に絵を見るプロ、
なんで隆を軽く評価してるかだが、
それは逆に下手だからなんだよな。
コンセプトを除くと。
いわゆる技巧が破綻してる様にみえる。
稚拙にみえる。
それがキッチュにみえる。
単に下手なだけなんですがね。
逆ヘタウマ評価みたいなものでしょう。
東洋版ルソー的な。

(ここでいうアンリ・ルソー的とは、
モギケンがヴォイシーでルソーを評する時の様な「巧くはなさ」とは少し違う。
自分がいわんとしているのは。
先ずルソーはピカソが発見するまで埋もれていた日曜画家だった。
つまり肩書き面で軽視されていた。
しかし僕はルソーが下手とは寸分も思わない。
単なるアフリカ彫刻ぱくりの歪みデッサンネタ×マネ風娼婦裸婦の群像ネタでごり押ししてた炎上狙い売名大名ピカソより、静謐な幻想的世界を叙情的に詠いあげる手法ならはるか上だろう。
アカデミックなデッサン(下書き)を実作で使ってるかどうかって点でも、そこまで動物などが画けてないわけでもない
そしてデッサン的手法を実作で使うかどうかって、絵単体の巧さと一致するとは限らない。
例えばカンディンスキーがデッサン(ここでいえば特に陰影法)使ってるかどうかっていうと実は使ってんだけども、
影の濃度で物を浮かび上がらせる手法は彼の濃淡の色価(ヴァルール)に応用されてるともいえる。

しかし村上隆が東洋版ルソーとして西洋好事家界では扱われてる節があると推測される説とは、次の様な意味である。
アウトサイダーアート(最初は生の芸術)として、ルソーは文脈化された。立場上素人が、当時の流行画家が捨てキャンバス買う目的でうろうろし、無一文から発見された物語があるからだ。
隆がナポレオン宮殿であの酷い展覧会をしたときフランス国民は激怒した。かの邪君を除かねばならぬ、と太宰が来世書く様な一部のパリジャンとジェンヌがいらせられた。誠に正論だと思う。
 アメリカも日本も中国もオリエンタリズムかアメリカニズムの文脈で扱われるのである、パリだと。
それはおフランス花の都(但し窓から中国人観光客らがなにか投げるからハイヒール必須)が世界文化の中心だ、とまるで極東の孤島で言うどいなかもの京都人みたいなお高く留まったエスノセントリズムをもってるから。
 で隆は「新大陸で発見された」ジャポニズムなのである、部外者文脈主義である。
「ヘタウマっていいよね!」ってのは、エコールドパリことパリス様式の延長では(それが西洋美術の近代以後の中心的視座)、アールブリュット的なものに、色んな部外者が参入しうる枠組みと解釈される。
これである、隆の扱いってのは。
だからどうみても野卑なクーンズらと同列に展示されたのである。
あのルーブル劇場の企図ってのは、トンデモ外人文化の連打して、西施に眉顰ませた間に現代フランスのまっとうな美術家を展示し、
「ほーらどうですか、我々が上っしょ上品さでいったら!」
と、戦後グリーンバーグ思想に上書きを試みたものだった。
確かグザヴィエヴェイヤンがその主役の役割だった。
ま、隆は世間知らず勘違い極東サル式に東浩紀とわざわざ俺スゲーしにいってたが、
そういう扱いじゃない。
クーンズの場合は作風そのものがポルノグラフィック的というかもっとデフォで恥知らずだから、
開き直って平気なもんだろうけど。
隆は素で当て馬役を日本には西洋で認められる俺スゲーにした。

ちなみに、フランス人が皆オリエンタリズムの色眼鏡かけてるかというと、
隆は自著では余りに不覚を晒しそんなものだと一括りにしてたがそうではない。
例えば同時代でもSANAAの扱いは普通に敬意を以てガチ系の重用だ。ルーブルランスこと別館、僕も古今作られた展示空間の中でもとてもいいと思う。

要は、キュレーターが隆を前座(正確にはジャポニズム変容後のオチ)役に使えると判断して、
名誉欲盛んな俗っぽい人間性からなにから利用されたのである。
東洋ルソー的なもの、ヘタウマとはその文脈主義的な物語構築とかをほぼ天然でやってしまっている、サーカスの珍獣扱いという意味だ、ここでは)

最初にさ、
偶然性を完全に利用したのはポロックですね。公的に。
かといって、ポロックの色彩配置が適当か、といえば、
そういう事はなかった。
かなりの深慮で組み合わせが試されてるって点で、
音楽的構成を志向してたモンドリアンが彼を評価したのも然るべきなんですよ。
けど隆のは違うわけ。

色だけでね、
驚異的な感動を生み出そうとした人達、
抽象系統でも色々いたでしょ。
マレーヴィチからリヒターまで。
皆さ、適当に色置いてないの。
ウォーホルも。
かっこよくなる様に、
あっちがいいかなとか考えながら作ってると当人が書いてた。
隆だけなの、そこ。
かなり乱雑な色の使い方って。

こういえます、
『芸術起業論』(だったと思う)で隆がウォーホルがわざと色彩を適当に択んでる、
と解釈したのは、当人の事なんですね。
だからみててなぁにこれ、ってなる。
綺麗じゃない、かっこよくもない。
ま、端的に言うとくそダサイ。
コンセプト以外なにもいい所がない。
珍しい画家ですよ。

たとえばさ、
リヒターのカラーチャートとか、
ウォーホルの塗り絵とかあったじゃん。
あれらって偶然性ネタだ。
あれもだ、ハーストの円形のぐるぐる。
どれも同じで色を偶然配置する遊びネタ。
でだ、隆のはそれとも違うんだよな。
ランダム配置じゃないのに組み合わせが悪い。
笑えてきた。

ある意味、
才能全然ないのに、
ガリ勉根性だけで、
つまり売名だけで、
一体どこまで戦えるのか、
欧米かぶれ東洋人柱の実験台に志願してくれているといえる。
そういう(多分、後世に余り残らない)同時代ドキュメンタリーなんだろうと思う。
藤田嗣二のが扱いとしては、独特の画家だった気がする。

僕は、上の世代にそういう人がいたと知っていて、
飽くまで冷徹に観察してきたけれども、
全くまねようと思えないんですよね。
そもそも関心が違う。
僕は絵に関心がある。
西洋だか米中だかで受けたとかどうでもよすぎる。
絵がよければどの時代の誰にでも分かるもんだ。
それが本気の勝負の点だよ。

僕は小磯良平が好きだったし、
今もいい方だと思ってるが、
要は優等生のタイプだ。画家としても、
でさ、
ツイッターで発信試しだしてから、
すぐに、会田誠と接触してしまった。
会田が経済(学)わからないから、
教えてと空気にいってたので、
美術界じゃ誰もいないだろうし可哀想と思い返信した。

いうまでもないがこれが大失敗だった。
なぜなら会田は不良の不良だからである。
大体、当人にはいえなかったが、
僕の友達の間でも評価として最低未満でした。
話題にするのもけがらわしいみたいな。
そりゃあそうでしょう。
18歳でミュータント花子とかみていいなと思えるとしたら余程の馬鹿だけだ。

会田の同期の日本画の人、
六本木ヒルズの錦絵みたいの描いてた人。
あの人は真面目だから皆それなりに尊敬していたと思う。
やっぱりそういう意味では、人ってちゃんと人を見てると思うのだ。
特に画家の世界。
僕とか大観を呼び捨てにしづらいからな。
それは皆そうだろうと思う。大観先生と思う。

僕がキチガイであるならば、
当人に、
てめぇ画家の中の腐れ外道如き先輩ぶってんじゃねえとか、
本音言ったと思う。
でも僕も流石に常識人ゆえ、
威儀を正し、生真面目な顔で社交辞で返答してたんだが、
案の定、相手の人格の質が低すぎ全くやりとりにならなかった。
後世にも参考になると思うこれ。

例えばマネとセザンヌが議論しようが、
永遠に平行線だったろうし(それはマネが低俗すぎる点で)、
モンドリアンもピカソに会わなくてよかったと思う。
会ったとしても間違いなく、何かお互いに心地よくはない事件になったろうと思う。
モンドリアンがカルダーを自室に案内したのはよかったと思う。

僕が35才の時にそういう事があった。
ツイッター上で、僕がご老人を哀れんで、
孝のつもりで、経済学のちょっとした講義した。
当時の返信もブログには残ってると思う。
そしたら逆上してしまったのである、相手。
老人といっても誰もが「下学を恥じず」といえるだけ根性座ってないのである。

ちなみに、僕は実際、軽く予想していたのだ。
自分はこれでもそれなりに世知がある。
伊達に2chやピグの奇奇怪怪な荒らしどもの渦中を生き抜いてきたわけではない。
「こいつどの程度の人かな?」って確かめる意味で返信したのが大きい。
結果、絵と中身が変わらなかった。
現実には二度と会わない。

欧米で受けてるから偉いんです、とか、
実物くそなのに、
ゴミ展示してる連中は、本物のスノッブである。
でも、9割そんなのだろう、東京文化人界。
それならまだしも高橋留美子飾ってて欲しい。
隆は不良チューバーにつるんでるが、
あれって無知な若者だまし、
日本側の着地点また探ってんである。

隆がなんで日本側で総すかんだったか。
そりゃ米人に自虐ネタで嘘ぶっこいてるからだし、
オタカルって敗戦で自信喪失した倭人の自慰、
とか曲解すぎる。
それは隆当人の漫画観にすぎない。
現実には手塚も駿も戦争に真剣に向き合って、
駿なんて最後の長編がゼロ戦技師じゃんと。
隆だけ、ひ弱系は。

米人一般の日本理解度が低いと。
そもそも米人一般なんざ外国に興味がないと。
米国自体でかすぎ、州の外も知らないと。
しかも第二次大戦勝利で自信満々すぎ自己中と。
そうだとしても嘘ついてはいけない。
遠からずばれるだろう。
オタカル全てが敗戦自慰的ではない。
ヒカルとラファエルも悟る。