あるイギリス人にいわれた、
階級あって当然だろうって。
下賎の徒、例えば
彼がいうには第三世界みたいな所と君は一緒かと。
基本的に自文化中心主義除くと、
インド的カーストを正当化する説に過ぎないと感じたが、
今になってみるといいたい事はよくわかる。
ツイッターやるまで自覚できなかった。
ツイッターをやってみると、
2chやピグとほぼ同質の衆愚が大勢生きているのがわかる。
そういう人達は確かに同類では全くない。
レオナルドが手記に書いていた。
同じ内臓を有しながら魂が全く違う連中云々と。
そういうゲスは確かにいる。
例えば匿名のアニメアイコン捨てアカで誹謗してくる子供。
江戸時代で僕が侍階級なら、
それは当然、無礼者はその場で切り捨て御免にしている。
そんなの義務ですらある。
目の前にゲスがうろちょろしてきて、
そいつが無礼千万な振舞いしてたらそりゃ生かしておくわけに行かない。
放置したら別のやつに迷惑かけるに違いないからだ。
その英人の説はそれだ。
階級社会は、仏人と米人によって否定された。
彼らは悲惨な前半生だったルソーらの人権思想、
特に自然権汲んで、
人は生得的に差別されるべきではないとした。
古代インドでガウタマが、
それまでのバラモン教での生まれや血統による階級差別を否定し、
行いで良くも悪くもなる、としたのと相似だ。
日本に移入してきたのはその考え、
具体的には米国系統の自然権だ。
福沢『学問のすすめ』冒頭、
「天は人の上に人を造らず」は、
米独立宣言に於ける自然権該当部の意訳と考えられる。
が天皇一派が謀略し、
自分だけ生まれで特別扱いさせたので矛盾が残った。
戦後日本人はその他の階級を否定した。
英国側には普通に階級社会が続いた。
調度、封建時代とほぼ同じ中世流儀が根づいている。
日本でいえば大名が向こうの荘園領主、いわゆる紳士で、
日本でいう官位、
華族令以後は翻訳版が輸入された爵位も、
向こうで現役で使われている。
で彼は言った、階級あって当然でしょと。
自分は複雑だった。
確かに人は生まれでも育ちでも相当違う。
IQは科学では半分~7割ほど遺伝といわれている。
が自然権下の教育では一般知能の差はない事にされているので、
全員が一律で同じ学習ペースをおしつけられる。
それは確かに拷問だ。
僕には完全に学校が地獄でしかなかった。
周りがサルにしかみえなかった。
学校の外でもその種の地獄が続く。
それが戦後日本だ。
自然権の妄想が皇居除き隙間なく敷き詰められ、
精確には憲法14条に洗脳され、
人は皆同じ特徴だと学校教育下で狂信させられる。
しかしこれは全くの間違いなので、
貴族は殊更犠牲になる。
尊い人、賢い人がゲスに混ぜられるのだ。
(精しくは、後から知ったが、
低IQ側もとても苦労するらしい。
授業に殆ど着いていけないとか)
英米仏では、ピケティが『21世紀の資本』で分析した様、
ちゃんと抜け道の類が用意されていて、
資産家とそれ以外の間に厳然とした生まれの違いがあり、
しかもますます拡大する傾向を示してきている。
要は資産の点で生まれがよければ、
少なくともゲスと混ぜられずに済む。
日本はそうなっていない。
旧華族も、それ以外のとんでもなく下卑た町人の末裔も、
ほぼ同じ学校で類似学級に放り込まれるしくみで、
しかもそれが欧米流儀なのだという風に思い込んでいる。
確かにそういう教育の方が、
無意識的に階級意識を離脱させるには役立っている。
自分も完全にそうだったのだ。
その英人と話すまで。
欧米の過去の状況では、
ユダヤ人の存在が必ずあった。
生まれながら高IQの血統が多い上に、
太古の時点で高度な倫理観を含む聖典を整備するほど知恵もあった。
カントも三批判書(『判断力批判』124-125)に書き残していたが、
要はそういう秀才揃いの血族が中東に孤立していたら、
自分達を特別視してもおかしくないだろう。
イギリス史の中でもユダヤ人の扱いは色々あったと思う。
『ヴェニスの商人』からマルクスまで。
僕はその英人の友人にいたユダヤ人とも会話したのだが、
ユダヤ民族の運命は今も昔も極めて興味深いものがあるが、
特に自分が聴いた中で特筆できるのはイエスが預言者とされていると彼が言った事だ。
イエス自身ユダヤ人だったが当時のユダヤ人らには半ば濡れ衣され、
死刑にされたが、今も預言者としての扱いとは、少々驚いた。
さながら日本でいうならアテルイを武士と称するみたいなものだ。
彼個人の解釈に過ぎないのかまでは知らないが、
新約聖書はユダヤ史の新章と考えていいのだろう。
しかしこの生まれながら賢い人間がいる、
という事実は、昨今流行の自然権残党には大変都合が悪い。
それは彼らにとって人種差別であり、
肯定行動で是正されねばならず、
しかも学歴など公式な後天学習で覆ってしまわねばならない汚点なのである。
だが真実の光まで隠しきれるものではない。
その英人もいわば、囚われの身だ。
イギリスの平均的IQは、知られている所では、
極東諸国より低いのだから、
同年代で比較すれば、少々幼稚でも仕方がない。
だが現実はそうなっていない。
日本人側は謎のサブカル漬けにされている。
東京圏、京都の一部の人間などが原因にみえるが、
愚民化を施す。
自分は日本の漫画、アニメ、ゲームの相当のファンであるその英人(勿論彼は他の人文教養も多少あれ持っていた)と色々会話する中で、
次の様な洞察を得ていった。
日本側の知性をダメにしている勢力は、
どうみても東京圏、又は京都の下衆と商人で、
そういう人達は反知性主義の権化に過ぎない。
江戸期から既に、江戸または大阪では文化の大衆化がみられ、
黄表紙、浮世絵(特に春画)、落語など、
様々に低俗といえるだろう文物が大衆商業芸術として売りさばかれていた。
平安期の京を入れれば、一部の物語もその部類に入ると思う。
いづれにしてもこれらの芸術は、決して立派な代物ではない。
既に太古に聖書を書いた民族が居る一方、
日本はなぜそこまで馬鹿が多いのか?
それはIQのせいではない。
単に芸術の担い手に道徳的素養が欠けているのだ。
ほぼ相似の指摘は上田秋成『雨月物語』序(部分的にだが)とか、
岡倉天心『日本美術史』でも触れられている。
ゲスが作る物は下品にすぎない。
この世には立派な芸術、
ファインアートと呼ばれる物がある。
それこそ、民族或いは国全体に気高さを鼓舞するものだ。
日本人全体がゲスなのではない。
東京圏、京都の一部など、ゲスの集積地があり、
そこに居る人々が悪趣味な代物を頒布しているだけだ。
貴人はこれに一切従うべきではない。
道徳とは、あらゆる知識の応用であり、
ある人の総合知性を真に証左するものだ。
細々とした科学的知識の持ち主なら無数にいるが、
全ての面で円満な人徳は、聖人が希なよう得がたい。
芸術に限っても全く同じ事、
大抵の三流作家は下品な品物を量産し俗受けて死ぬ。
美術館の主座を占めるに値しない。
英人がいう階級は、
既に日本で再現される事はない。
たとえ個性に関する当為だとしても、
人々が等しい扱いを受けた方がまし、
と我々が現実生活で経験済みだからだ。
衆愚に囲まれた不条理に甘んじつつ、
それでもなお尊く生き抜いた人こそ、
真に誉れに値するというべきだ。
共和政下での貴人こそ。