2020年7月1日

美術教育は成立しない

「芸大絵画科日本画専攻の教授の1人が
1人、2人の若い美術家らを展覧会で罵倒した」
これって日常的に、
日本の美術教育・会派界で行われることだ。
僕が何度そういう目にあったか、数えきれない。
美術予備校、美大芸大の類は現代日本では、
完全に印象批評や感情論の馬乗り世界である。

その種の馬乗り位階制の頂点は、
実は天皇陛下である。
いわゆる国内最大の公募展(仏語サロン)
である日展は、昔、文展といい、
文科省(嘗ての文部省)の作った公募展。
そんで、それが一応、官製権威となっていて
そこでは複数の党派が政争していて、
主要会派の頂点の人達は日本芸術院に属する。

日本芸術院とは文化庁の一部、
例えば皇居の装飾とか担当する。
皇居に小磯良平とか飾ってあるのは、
彼が日本芸術院の上位になっていたから。
日展は実質、日本芸術院の会員選抜機関。
会員は税から年金もらう。
で天皇皇后が恭しく日本芸術院賞を授賞する。
世間では文化勲章のが有名だろうけど。

ここまではどこの国でも、
官製公募展につきまとう構造を
フランス留学した鹿児島人・黒田清輝らが
薩長閥明治政府と共に、無批判に
輸入してしまった果でしかないだろう。
山口人・伊藤博文が、浅慮で
当時のドイツ式軍隊教育を直輸入したのと
事情は相似、日本の官製美術界はフランス式になった。

で、実は同時期に
日本美術史の最重要人物の1人なのが
先ず確かであろう
岡倉天心という人がいた。
この人は横浜生育の福井人、東大卒で、
幕末から欧米にフェノロサと遊学、
各地の美術をみたことで、寧ろ日本の伝統美術が
いかに世界的に珍しい物か発見した。
欧米かぶれのほかの西国人と逆だった。

天心はまだほぼ無名な日本の伝統美術をいかに
近代文明の中に文脈づけ、かつ、
世界に押し出していくか戦略を練った。
そして彼は「日本画」という言葉を発明した。
『日本美術史』なる初の本格的国内美術史も書いた。
政府に駆け寄って芸大創った。
これらは彼の美術を愛する熱意がなせる業である。

当時の天心はまだ20代後半から30代前半で若く、
講義は生徒にごく大きな感化を与えた。
和辻哲郎『岡倉先生の思い出』とかその記録だ。
もっと若い弟子もできた。のちの大観ら。
がそこにやってきたのが、前述の黒田清輝でした。
彼は天心より遅れて官費でフランス留学し、
意気揚々と欧化を主張した。

黒田が学んだのは、
実は当時のフランスでは
近代美術の運動が色々起きていて、
いわゆる印象派とか数多の若い前衛らがいたが、
彼はなぜかその中でも、若者の中では
もうはやってなかった古典主義的な写実画を教える、
仏芸大(ボザール)卒業した保守的な師に就いた。
ラファエル・コランという人。

黒田はコラン流の写実画を身に着け、
これぞ欧米美術の王道ごわす、と信じて疑わず、
今からみると勿論勘違い野郎なんだが、
薩長寡頭政治を背景に、芸大で政争しだした。
それでジョブスがおいだされたみたく、
スクエアから髭親父おいだされた式に、
芸大内で性的ゴシップばらまかれ天心追放になる。

天心先生は本当に美術を愛している。
しかも真実日本を憂い、
日本画なる
当時のフランスでウケてた浮世絵以外も
まるごと評価させるパワーワードまで生み出し、
大和絵も錦絵も水墨画も仏画も洞窟壁画も
日本美術は欧米人に負けてねぇんだといっている。
自分に誇りを持てと仰った。
が今排斥される。

これで天心に教わっていた芸大生の一部は、
黒田に国内美術が写実画一辺倒へ唱導されるのを
潔しとせず、芸大やめた。
いわゆるのちの五浦派、
特に尊王志士を父にもつ大観が
一番弟子だったが、武山、春草ら賛同者が続々出た。
彼らは天心宅におしかけ
「堂々男子は死んでもよい」と歌ったらしい。

黒田は「洋画」という
天心の哲学への対抗語のもと、
今に至るまで国内美術分断の元祖になる。
なんで国内の公募展とか、
ほぼ全員日系人か、単に日本で描いてるのに
「日本画」「洋画」の謎分類あるの?
まさにこのときの政争が原因だ。
黒田が意地悪したというのが歴史上の事実。
自己中だったのだ。

このとき大観は
『屈原』という
古代中国の文人政治家の絵を描いた。
優秀すぎたため嫉妬を買い、
宮廷内の讒言(濡れ衣を着せる悪口)で
地方に流罪されたが、
そこから不屈の愛国心で復帰を誓う人物画。
天心先生を象徴化させたと想像される。
天心は大観の地元、茨城に復帰拠点を建てた。

天心はその今でいうしょぼい起業に、
「日本美術院」という名前をつけた。
でその掘っ立て小屋みたいなアトリエに、
「日本美術院研究所」という札をつけた。
そこで弟子らは毎日絵を描いていたのが
当時の写真でわかるわけだが、
海が真正面にみえるミニマリズムな所で
精神修行みたいに指導された。

天心が弟子にいったのは、
「空気を描けないか?」
という少々気が狂った注文だった。
弟子らは面食らったに違いない。
空気は描けない。
絵の具の素描で練習してきたのは、
主に線、影により、物体を再現するだけ。
天心は弟子らを世界的にしようとした。
当時の前衛、印象派が脳裏にあったのだろう。

印象派は、黒田のボザール流写実画と
全く正反対の試みとして、
当時のパリで大きな論争の的だった。
モネがのち『印象、日の出』と呼ばれる
物体を直接描かず、モヤモヤと
朝もやみたいのを絵の具でべたべたぬり、
これで絵っすよって公募展に出したからだ。
審査員は拒否した。写実じゃないので。

そこまではよくある話、
ただ下手なだけ、この若者は素人、
つか、場違いの馬鹿と判定されたのだ。
それで99%の若い画学生は挫折し、
そっか、才能ないのか俺、と辞める。
モネらは元気が人一倍あった為、
ぶちぎれだした。しね糞老害といい、
仲間でカネ集め、つか親の金で、
あてつけ落選展やった。

単に若者が暴れとるなアって
感じだったわけだが、
それは今の某芸大教授の態度に一致。
要するにいつの時代も同じである。
若者は育った背景が違うから新奇性を好むが、
老人は長い経験から古典的な方を好む。
別に古典が全部ダメとはいわないが、
若造の俄か作りが新たな古典になっていく。

モネのモヤモヤ絵の具べた塗りは、
その展覧会たまたまみにきた紳士
(フランス流ならオネットム)に、
「なーにこれ。印象かいてるみたい」
とか酷評された。
炎上狙ってとりあげた新聞の文化面でもいわれた。
こいつら何も描けてね~ろくに絵になってない
草生えるって文脈である。モネは傷ついた。

そういう世界があった中、
仏芸大おちた若者達が
今の日本みたいにわんさかいて、
いや、芸大教授むかつくんだけど。
なに権威ぶってんだ、雑魚で糞ダサイくせ。
となっていく。それがエコール・ド・パリ、
パリ様式とのち呼ばれる後期印象派からの
無数の近代美術家誕生の序幕となるのだ。

天心は黒田より感性論なり
審美的な教養の水準からいったら、
ずっと深かったのだろう。
自分で立派な美術史書けるわけです。
というより、正確に言えば
恐らくIQか、精神年齢がより高かった。
黒田はそういうパリ様式の萌芽なんて目もくれず、
お高く留まった官界の古めかしい写実画家を好んだ。

恐らく黒田は権威に惹かれたのだろう。
それも分からなくはない。
薩摩留学生にしても長州ファイブにしても
いきなりドイナカからパリだのロンドンで
圧倒されたのは間違いないが、
なにに頼っていいか、何から学ぶか
わからない状態で、権威に目が行く。
芸大卒だから偉いだろうくらいに思った筈だ。

場面を明治の五浦にもどす。
天心はパリでみた印象派の運動を前提に、
弟子らをオリジナルな前衛に育てようとした。
世界に売り込むにはそれしかない。
しかも印象派の手法を直接教えてなかった様にみえる。
大観らの回想を辿ると、天心はおもに精神論で、
どう空気を描くかは各自の探求学習だった。

若い弟子らは各々工夫し、
ああでもないこうでもないと
失敗といえなくもない試行錯誤を繰り返すが、
やがて共通の様式といえそうなものを得る。
それが「朦朧体」とのち言われる代物だが、
これも最初、天心らが作った最初の展覧会をみた
第一級の文化人が悪口いったのまで、
印象派と相似だった。

朦朧体とは、モウロウタイと読み、
日本画の一つの伝統手法である線描を
使いながらも、敢えて境界線をぼかす方法で、
それによって空気感が擬似的に出せる、と
弟子らは五浦のアトリエで発見したのだった。
例えば水墨画ではにじみをもや表現などに使うが、
線の境界をわざとぼかしはしていなかった。

彼らの戦線復帰の為の最初の展覧会は、
院展、つまり
「日本美術院(自称で笑)の草生える展覧会」
みたいな扱い、とまではいかないにしても、
まーた都落ちのあいつらなんかやってるし、
くらいの、今でいやぁ
まーた津田プロデュースの展覧会だって~w
並の東京圏のニュアンスであったと思われる。

当時は官尊民卑の極みであって
事業にせよ学術にせよなんでも日帝製。
菊のご紋が神格級の扱いというか
現にアラヒトガミと政府が称する神だった。
今もその名残はあるが、
当時の激烈さは「官僚にあらずんば人にあらず」
ほどのものがあり、
つまりは民間人の展覧会なんて下にみられた。
院展もそう。

その最初の院展に堂々だされたのが
先ほどの『屈原』で
今は広島の厳島神社に奉納されている。
あれの初出は、
俺らの先生は偉いんだぞ、負けねぇんだぞ、
こっちが本物の愛国者なんだぞ、
と完璧に大和魂の篭もった代物であった。
茨城は義公以来、尊王が義だ。
大観の脳裏には楠木正成があったろう。

その院展の絵ってのは、
どうみても下手なだけの絵、にみられた。
なぜかなら空気の表現が試みられており、
今風にいうと、現象を再現しようとしていた。
仮設でケムリもくもくさせ人工雲だよ~とか、
電子を細かい霧にぶつけちょうちょさんだ~とか、
そういうののずっと前に、現象表現を試みたのだ。

全国行脚したが国内では無理解、
が天心らは只者ではない。
そもそも戦略としてやっていたので、次に
欧米に販売兼ねた展覧会でドサ回った。
それでかなり受けたのだった。
海外では理屈が通ってるし珍しいしで
普通に売れたので、
大観は自信を得た、と回顧してた。
日本独自の表現しててもいけると。

日本の常だが欧米を上にみてるので、
向こうでうけちゃったもんだから
一部の輸入学者が手のひら返しだした。
調度、今でいう漫画アニメゲームを
やたらもちあげてる東大閥みたいなもんだ。
村上隆のドサ周りに欧米人が根負けしたので
これみよがしにサブカルでドヤる。
まぁそれより立派なドヤだが。

そもそも明治政府ってなにっていうと
鹿児島と山口のくそヤンキーが、
生麦事件とかで白人に刀できりつけた。
大名行列横切ってるでゴワス。
当時仕方ないといえなくもないが
イギリスがぶちぎれ大砲うちこんできて、
普通に町が壊滅したので白旗あげた。
その劣等感に凝り固まったヤクザ集団である。

なのでなんでもかんでも
イギリスフランスイタリアが偉い
アメリカが上だドイツが凄いだの
欧米列強に伍するのが目的だった。
はっきりいうと猿真似軍団である。
だから黒田はああいう態度で
これからは洋画なんやで、とかいいつつ
今からみたら大分勘違いの写実教育おしつけた。
石膏デッサンの起源。

確かにフランスも勘違い多い。
古代ギリシアの写実主義を復興させたのは
寧ろイタリア人であって、
我々がよく知るルネサンスの
ダヴィンチとかミケランジェロとかだ。
古代ギリシア人の神像は超絶レベルだったが、
奴隷制で暇だった自由な職人が凝りまくった。
フランス人はそれらを二重に真似てた。

フランスの芸大では
イタリアルネサンス、その模倣元である
古代ギリシアへの憧れから、
石膏デッサンをやりだした。
けどダヴィンチはそんなことしてない。
ダヴィンチ曰く自然を教師とせよ。
直接人物などを素描し、練習してたのだ。
仏人はモデルも使ったろうが
石膏デッサンって安上がり模倣だ。

僕も、その黒田の末裔であるところの
洋画系の基礎教育を一通り受けた。
石膏デッサンも高校美術室でやらされた。
ここからは少々複雑になるから
別の場所に詳述は譲るが、
個性っぽくみえるよう描け! とかいう
偽の個性作りが最近の芸大界隈で行われる。
そういう奇人ごっこに僕はこりごりだった。

大体、石膏デッサンの本質は、
いわゆる陰影法の習得だ。
確かに一応よくできた方法論でもあり、
ちゃんとできる人に就けば
割と手際よく、巧くデッサン描ける様になる。
でも最近、正統的にできる人殆どいないので、
予備校いこうが芸大美大いこうが大抵できてない。
なぜなら古典主義が破綻してる。

ここで冒頭の問題がやっと語れる。
某芸大日本画専攻の教授さん。
てめぇらなんかと話すこたぁねぇんだ、
こちとら福岡からでてきた正統派やけん、
ガキに絵が分かって溜まるか! って
日本画なのに黒田式の態度なわけです。
日本画だから精神論、ともいえるかもしれない。
どっちにしても正に芸大。

古典主義が破綻している、とは
現代美術って前衛もどきがグチャグチャ広がって
基本的に王道が見えない世界である。
戦場でいうなら混戦地帯。
どこが最前線なのか、神目線じゃないと分からない。
だからリヒターがいった。
「現代の画家は途方もない愚かさにまみれてしまっていてゴミを量産している」
(参考資料:
1.ゲルハルト・リヒター、1984年9月21日のノート
2.〃、1988年3月12日のノート
『写真論/絵画論』清水穣・訳、淡交社、1996年より)

教授に文句つけられたシエニーチュアン氏、
この方、自分はこれで初めて知ったが、
別にどこ国籍だろうがなにゲノムだろうが、
実質そんなんどうでもいいのである。当然。
絵がよけりゃいい。
ネタとして魂のルーツ使う、文化ネタ使う。
それはよくあるだけで、使わなくてもいい。
宇宙人で構わない。

梅津庸一氏。
このひとテレビてかNHKで取り上げられた
くらい、最近の南関美術界で有名。
文脈的には黒田の後継者にあたるともいえる、
裸体画の三連画(トリプティック)みたいの描いてた。
あれは最初、黒田が西洋風ヌードを
猥褻扱いの日本側で権威づけ
『智・感・情』と名づけたのが一起源。

その梅津氏がパープルームていう
いわば私塾みたいのを作っている。
僕は全然文脈っていうか
属する文化というか目指すものが違うので
一切近づかないだろうけれども、
要は創形美術学校という僕もどばたなんで
近くでよく使ったし一時期入学も考えた
ミスターがでた専門の、現代私塾版みたいな位置。

芸大は官製だ。
その経緯は既に概説した。
が、民間に美術学校を作ろうとした人達がいて、
それが美大(美術大学)と呼ばれたり、
その小規模なのは専修学校(専門学校)とか、
美術予備校と呼ばれる。
この美術予備校ってのは
それらの芸大美大・専門学校に生徒を
送り込むまでの、中間的存在である。

で、美術予備校より小規模な私塾、
みたいなのが今のパープルームだが、
位置づけとしては専修学校に似ている。
芸大美大に入るには特有の受験勉強が要る。
それはかなり不条理で、
石膏デッサンは事実上消滅してんだけど、
個性を捏造される。
変人ぶれ! といわれ、そんなのいやなら
専門にいく。

ここが微妙な点で、
芸大にいってる人らって
殆どは「作られた個性」を演じられた
ある種の狂人といえなくもない。
芸能人に近い特性がある。二重人格というか。
天然で偶然通っちゃう場合もあるが、
というのは
教授の好み、どころか
その日の気分一つで落とされるから
競争率激高な入試が運なので。

モギケンは東大卒で
そういう芸大美大の教育界の内情とか
一切しらないまま、
質感論ネタかしらんけど、
一時期、先端科の客員教授やってたと思う。
色々観察してた限り、
芸大生になるにはデッサン巧い必要ある、とか
昔の偏見もってるみたいだが、
普通にそうでない。
変そうだと目立つから入り易い。

「演じろ! 割り切れ!」とか
謎の芸人育成事務所状態なのが、
ほんとの話、昨今の美術予備校だ。
KPOPならまだわかる。
目標がセクシー系美男美女っぽさだとか、
割とはっきりしているならば。
東京芸大界隈はこの逆で
適当に学も倫理もない講師から、
変な仮想人格を捏造され、演じさせられる。

通常の人間、健常者、
或いは良心を持つ人。常識的といえる人。
最初そういう業界にくると
うわ~なんだこれと思う。
足を早めに洗った人って利口だと思う。
僕は1年で辞めた。
でも判断力が低いと、
ズブズブ芸大業界に引きずり込まれ、
やがて変人ごっこの権化に育てられる。
本当はただの凡人が。

自分は画家です、アーティストです、
美術家なんです、芸術家ですから、
変人でしょ? ってのが彼らの言い分。
僕は本当にそれが馬鹿げていると信じる。
だが、芸大美大界隈って、ガチで
そういう変人奇人ごっこがほぼ全部、に近い。
なんでそうなってしまったか。
近代美術以後、規範がないのだ。

一番の原因は、ピカソかと思う。
『誰でもピカソ』って番組あったが、
あいつが炎上狙って、色々しかけた。
わざと一夫多妻ぶって複数愛で女すてた~とか
キチガイ風の絵だけど写実も描けて凄いでしょ、とか
勿論、半ば理論的に彼は演じているのだけれども、
芸能人と同じことやって売名したのである。

きのう「会田誠やチンポムは平成の遺物」
ってツイートみた。
いいたいことはわかる。
彼らはスキャンダリズム狙ってる系だ。
猥褻物とか過激なことやって、
それはアートでござい、と炎上商法。
既にピカソどころかマネ以前、
明暗法で聖人と天使を同列に描いた
カラヴァッジオとかに、萌芽はあった。

カラヴァッジオは、
彼の解釈で聖人と天使が仲良しだったが
それってどうなの、
つか聖人の足こっちに向いてるんだけど
と注文主に文句つけられ、描き直しただけだから
狙って炎上させたわけではないが、
劇的表現を追求はしていた。
その末路がご存知あいトリである。
100%炎上狙いでしかありません。

醜聞わざとまきちらし観客を罠にかける。
バナナを養生テープで壁に貼りつけ、
会場に動物の死骸おいて蝿たからせ、
便器逆さに置いてドヤる。いつもの業界ネタ。
もうそういうのいいよ、と
特に天皇燃やして富山県美焚書へ抗議はわかるが、
身障女性を性奴隷にする絵でドヤとかやめてくんねーかと。

色んな美術ネタはあるが、
下品なだけの過激系炎上とか、
消えてねといいたい気持ちはわかる。
表現の自由の一つの姿として、
せめて公共の展覧会でやらないで、と。
そんなのに税金払ってない。
良識ある愛知県民の切なる願いを無視し、
踏み躙るだけでなく、
不良ごっこ全開とか恥ずかしい平成人と。

んじゃ、この芸大教授は?
余りに一度にタッチしすぎて
左手薬指の腹が痛いが、続けると、
やっぱり恥ずかしい平成人かと思う。
芸大ってそんな偉いんですか。
天心が、黒田が。神。
平山郁夫が神。天心を白馬にのせて
おじいちゃんの間に描いたら。
そうなんすか?
僕はちっとも芸大権威を認めない。

間抜け日本人の墓こと『idiot JAPANICA 円墳』
あいトリで割と炎上した方だったが
あれ、芸大卒が作ってるわけだ。
絶対に芸術じゃないとか素人がいってるが、
印象批評でしかない。まさに。
円墳印象派である。
どう定義してんだよ、と。美学を語れ。
普通に芸大に権威なんてねーわ。
村上隆も芸大。

年齢や国籍だかゲノムの母体だか
そういうので差別的言動をし、
ある美術家を罵倒するとかね、
芸大が権威だと思ってるからやれるんでしょ。
ただのひとりの民間人がやったら、
こいつ糞だな、で終わる話。
国立大の教授の箔で、
国や皇室の権威を借りて、威張る。
芸大は潰すべきだ。前から言ってる。

僕や、周りの画学生は、
皆思っていた。というか確信していた。
芸大は潰すべきだ。
その為、長い冒険をしているともいえる。
天心が創った。黒田が歪めた。
平山が中興した。そして今度は民間人差別か。
もうおわった方がいい、絶対。
終幕の序曲だと思う、今回の罵倒事件。
美術教育とか成立しない。