2020年7月22日

異なる者のよさに学び、わるさを避けるべし

下賎な東京人が目に入らなければ
それだけで日本人の幸福度って9割くらい上がるのでは
よく思い出しても
大体不快極まりないほど下品な差別的言説とか
というか自殺した人の親を集団で濡れ衣着せ叩くとか
殆ど畜生界みたいな情報って東京のものだと思う
もしかすると大阪や京都もそうなのかもだが

三浦春馬の死
これ東京生活の末路だと思うのだ
もし自分があのまま
患者の自分に異なる嗜好の性的発言歯医者の調布に居続けていたら
或いは芸大にでも罷り間違って入り
会田誠に何かの機会に並べられてたら
と、想像するとぞっとする
石原、猪瀬、桝添、小池
まるで地獄みたいな顔ぶれで
毎日田舎差別の衆愚って末期だろ

自分の見る目が間違っていなければ
東京はかなり近いうちに滅亡すると思う
だって日々流れてくる情報の質が
余りに末世すぎるのだから
流石に自殺者の親を集団でなぶるとか
羅生門の世界としかいえない
既に人の心はないのだろう
天皇もそれに合わせて滅亡するのだろう
次の体制に乗り換える時だ

有名所の東京文化人達ってのは驕りが酷い
それは彼らが真の哲学をしていない証だ
そもそもソクラテスの頃から何も変わらず
謙虚に自分が最も無知だと考えつつ
優れた他人から学び続けるしかないのに
批評ブロックで全知ぶったり
ムダに田舎差別とか意味不明な誤認する
彼らは歴史に残る事もなく消える

漫画家が神か
そいつの漫画前みた事ある
ドイツのが普通で日本は奇形みたいな
そういうオリエンタリズムをひねた観点から
和人の欧米崇拝と自虐史観に媚び売る
そういう作風だった様に記憶している
輸入学者には好都合だろうが
比較文化論の相当しょぼい版でしかない
そもそも文化相対主義自体がそうなのだ

あるイギリス人がいった
文化には優劣がある
多文化主義の否定だ
ブレグジット論争下の保守派なら
向こうではそう考えても不思議ではない
だが当然それはイギリス優位との意味なので
所詮は驕り
だが文化相対主義による無批判も同じ
ドイツが無条件に優れている訳がない
日本が全て劣っている筈もない

比較文化の根本的意義は
彼我の差から何かを学び取る事だ
そもそも文化という認知そのものが、
厳密には成立しえないのは明らかだ
自分は純粋な都会人でも田舎者でもない
田舎町で生まれたが都心で育っている
大抵の先進国間は多かれ少なかれ
そのミームも混じっているのだから
差別で済ませられない

自分の文化的基底、つまり習慣にしても
それ以外の良識にしても、
全ての国々、全ての人々から、
多かれ少なかれ濃度として
良い点をまね、悪い点を避ける。
それが比較文化で為しうる全てで、
その為には先ず
そもそも差を評価せずに、
単なる多様性を認知しなければいけない。
単位など認知の分類だ

自文化と自認する分類だろうが
全く自分に敵している分類だろうが
それらの間に身びいきなどすべきではない
厳密には自他の間でもそうだ
それらは仮の体系で
究極ではどの個体の単位も永続しない
遺伝子も仮の乗り物
あるときその生物が絶えようと
宇宙全体に影響はない
無我に基づき最善さに就け

うまれてからしぬまで
ある人が最善の行動をくりかえせば
少なくともそれが最善の生
なぜある分類の単位になどこだわるのか
国であれ街であれ
家族であれ個人であれ
その単位より優れた点に学ぶしかない
進歩とは永遠の学習だ
全知全能全徳は有限の生では到達できない
程あれ博学万能有徳になれるだけ