アート界って人間をなめてるヒト多いよね、とか、明らかに芸術界全体を知らないだろう人がいってるのをツイッターでみた。一体全体、芸術家が人間をなめてたら彼らがなんの為に命懸け仕事してきたんだろうか。自分の信じる表現は人以外の何かの為だったのだろうか? 人のため極貧で死んだのに、大勢。
どっかのアーティストがタダで作品盗んでいいよってネタで都内で展覧会やったってのをみて、なぜ、芸術界全体が評断できると考えたのだろう? そいつ。
そいつらとゴッホに何か関係あるんだろうか。ゴッホはなぜ自殺したか説明できるんだろうか、彼はテオをなめていたので画業諦めて死んだのか?
なぜ、アートだか芸術だかは、素人でもよく知りもしなくても上から目線でさも知ったかぶって全体なりその一部なり一般なりが馬鹿だみたいに言い切れてしまうと、そいつは思ったのだろう? 会田誠の絵しか知らないんだろうか。会田誠の絵が幾ら外道だろうとそれがダヴィンチと何か関係あるのだろうか?
もし誰か、例えばダーガーでもいいが、真剣に何かを画いて残し、それを焼却してくれといって死んだとしよう、実際彼は死ぬ前知り合いにそういったがその夫妻は作品を残してしまった。つまり彼は自分というヒトの為に、芸術表現をしていたことになるが? ある芸術家が自分の為にさえ表現していないと?
カントが書いていた、美は人の目にとってのみ存在すると。内側眼窩前頭皮質は他の動物にとっても類似部位がある様な気もするが(例えば好みの異性に反応するとか、望ましい巣や、エサ、環境に反応するとか)、要は、そこで彼がいうのは芸術美術の類がヒトにとっての好適さと関わるといってるのだ。
横山大観は言った。よい絵を描くには、人格を高めなければならないと。絵は人格の象徴だというのが彼の説。大観って、人間をなめていたのだろうか? 彼こそ完全にヒューマニズム、人間主義に基づいた絵描きだったんじゃないだろうか。カントが人格を必ず目的としても扱えといってたのと同じ事では?
ツイッターのどっかの知らない匿名アカウントのざれごとなんざ、無視すりゃいいだろう。だから僕はツイッターが嫌いなのだ。下らない連中が愚にもつかない下賎な、もしくは大概が暗愚すぎることばかりいっているのだから。しかも適当に、大抵は悪意で。
立派な人がいかに少ないことか。酷い島国だ。