2020年7月7日

上座部系の人に大乗性求めるな

これ今まで書いてなかったが、それは僕がツイッター民度を社交倫理的に高く見積もりすぎてたせいだが、はっきりいってツイッターではできるだけ短く書いている。それは当然、相手の知性前提が低いからなんだが、こっちが社交儀礼で「短くできなくてごめんね」といってるのにガチ愚民で真に受けてくる。
 こっちとしては「いやいや、十分短いっしょ」となるのが当然であって、普通の博士論文一個でも読んでみたらそんなのすぐ分かる話であって学術的体裁をとるには短ければ短いほどいいとかありえなくて、論理的段落構成だの追跡可能性を満たすだの、色々説明的構文が必要だ。が。
 こっちが期待していたその様な社交秩序って、ツイッターでは永久に成立しないと悟るまで僕は1年もかかってしまった。そんなに2ch級なのって発信者側で参加までは全然未知だった。受信者としてみてるかぎり、そこまで馬鹿の集まりにみえないのだ。それは僕が馬鹿を比較的みてないからにすぎなかった。
 大抵のまともな本って、僕が日常的にツイートしてる分の千倍以上長いだろう。『文明論之概略』だって500頁くらいある気がするけど、あれだってそんな長い時間で書いてないと思う。ニュートンの『原理』だって1か月くらいで書いたとかだった気がする。そんなもんだ、学者の言語能力って。普通で。

 もう一度いうと、電話して「お忙しい所すみません」というのは、相手の多忙なんて案じてなくて、要は「前置きですが」ってだけである。これと同じ事をいっているのがツイッターで「短くできなくてごめんね」なんだが、だってツイートって極小長さだからだが、ツイ愚民はガチで言語障害かと思うのだ。
 誰かがどこかで書いていた、ツイッターは言語障害者、特にコミュニケーション障害抱える発達障害者に最適化されたメディアなんじゃないかとの仮説。かなり興味深い。確かにそうとしかいえない連中がわんさかいる。フォロワー多い人らが荒らしと思ってしまいがちな相手って、単にそれが相当いると思う。
 2013年のPIAACで、日本人の約3分の1、27.7%があまり日本語読めない(識字はできるが、あまり文脈や文意をとれない)と出た。
 読解力全体を5レベルに分けて100点満点で1レベル未満を0点とすると、3割くらいは40点未満。
 そういう人がツイッター民に有意に多い。
 確かに唯の荒らしとか、悪意ある人もうじゃうじゃいる様みえるが、以前、どんな人が返信してきたか確認する某サイトでみたら、社会学でいわれている荒らしのパーセンテージ(5%くらい)とほぼ似た結果出た(Erin E.Buckelsらの"Trolls just want to have fun"(2.2.2.))。乃ち殆どは低読解力者だ。

 有名ブロッカーのうちには、少しイラつく返信みただけでカジュアルブロックとかやってて、結局、重要な批評見逃しあいトリに無防備突入で大炎上した男いる。確かに、唯の低読解力アホキャラと、言語(発達の)障害者と、荒らしらは見分けつきづらいが、これらにまぎれ、耳に逆らう苦良薬正論派もいる。
 なんらかの言語または発達障害を抱えてる人は、言葉の表裏の意味を見分けられない事がある。「FF外から失礼します」とか、そういう人には「なんか失礼したっけ?」となるし、そうでなくとも「いや、一々うざいからその挨拶。誰ルールや」となるだけだから、ツイッター上のやりとりは余計ややこしい。
 自分がいいたいのは、ツイッターで長文って書こうと思ってもかけない。したがってどう頑張っても短文しか書けないところで「短くできなくてごめんえ」って僕が書いたのは、本気でそう思ってるからでは寸分もなく、「いやこの文字制限うざいけど、詳細書いてないのはそのせいだから考慮して」位の意味。
 それなのに、なぜか僕のツイートをタダで読ませていただいている分際で、なぜか上から目線で「もっと短くかけや!」「短く書けない奴は馬鹿」とかいってきた馬鹿が大勢いた、半年くらい前に。そいつらに余りに呆れたのでツイ民一般をもうマトモとは思わなくなったが、一言でいうと、死ぬほど知能低い。
 こうとも思う、死ぬほど知能が低い人達と接する機会って、余りない。死ぬほど知能が低いといっても、例えば知的障害者の施設ボランティアした経験からいうと、どちらかといえばそういう人達の方がまだ全然救いがある。
 本当に救えないのって中途半端に一般知能が低い人達の方なのだろう。多分。
 さっきの定義でいうと成人読解力が40点未満とかの人達のうちの下の方。その人達は子供と違って勉強する意欲とかも全然ないのに、そして軽度知的障害(IQ70未満)でもなければ、せめて性格がよければあるいは善意ならば少なくともいいものの、それすら非常に悪い。ネット環境も悪いのだろうと思う。
 本当は、そういう中途半端馬鹿の底辺を、なんらかの方法で、少しはましにする工夫がなければならない筈だ。それこそ文明的という事になる。でも実質その方法論が程あれ下品な(そうでないと反応されない)サブカルくらいしかないというのは文化貧困といっていいだろう。だから絶望的にみえる、状況は。

 昔の日本人(ここでは法然)は易行による大乗仏教を工夫し、アホには意味がわからんだろう漢語の念仏唱えりゃ誰でも天国とか、今からみても相当民衆をサル扱いした教えを授けていた。無根拠ではない(南無阿弥陀仏は「無量の悟った人に帰依します」)ものの、相当の中~低IQを対象にしてるともいえる。
 それで、僕は色々やったが、いわゆる上座部的な物、専門家にしか分かりえない物の方が遥かに優れているという風に感じた。だから今後とも、大乗的な事はしないつもりだし(現時点では)、そっち系統には近づかない事にしている。ツイッターでは絡まれてしまうが、一切そういう人については考慮しない。
 僕がイイネと思う趣味豊かな、或いは程あれ上質な芸術の大抵の物は、教養貴族から流れ出、それが崩され民衆化される過程を経る。逆に大衆芸術系は貴族側に逆流しづらく、よってそのままでよい品質なのは、希にはあるもののそう多くはない。大抵は下品な物のままだ。
 知性一般も類似現象の気がする。
 サブカル中に引用されたハイカルチャーって殆どまともなのがない。僕が一番悪い意味でびっくりしたのは、ドラクエ9で某学園の生徒だかが岡本太郎みたいな感性至上主義いいだした事だった。あれでほりいゆうじ美術観の底の浅さに呆れてしまい、小4以来のドラクエファンぶりにも一筋の斜陽が指した。

 人には得手不得手があるので、いわゆる大衆インフルエンサー系の人らってのは僕が物凄くやりたくないしできもしないだろう俗受けをマーケティングと称し得意技にしている。そういう人達の仕事は、上座部から易行のネタもってきて転売してるだけともいえるが、僕はその上座部のみに向いている人と思う。
 したがって、僕にツイッターで偶々絡んでくる連中の99%以上は、完全に絡む相手間違ってるよと忠告しておきたい。自分はいわゆる世人では全くない。完全に世捨て人中の世捨て人みたいなものである。20代なんてずっと勉強しかしてなかった。老荘級の代物だ。そんなのに世俗の話しても一切意味がない。
 前からいってるが、自分は最低でも聖人以上の存在になろうと出発した。具体的には神性に限りなく近づこうと計画した。大体はたちくらいに。それから凡そ直線距離で進んでいるが、当然、そんなの無限に先にあるから永遠に着かない。しかし前進しないわけにもいかないから最大の知識が必要なのである。
 偶々自分が残した何かをみてとった人は、それを大乗化して儲けたりなにかに応用したりするかもしれない。勝手にそうすればいいと思う。唯自分はそういう領分が自分の本性に逆らうと(主に大衆向けゲーム創作で)学んだので、自分が作る何かに分かり易さ前提的に求めてくるんじゃねぇよとしかいえない。