2020年7月19日

政体論

今から今後の日本史上でかなり重要になるだろう事を書く。

 先ず自分は共和政(具体的には優れた少数意見の尊重を前提に、公益を私利より重視する多数政治)を次の様な限定的な意味で現実的な次の一手といっているので万古不易の主義ではない。
 アリストテレスの基本原理と自分の政体論は相似だ。

 アリストテレスは最も単純に、全政体を3種に分類した。単独支配、少数支配、多数支配。
 そしてこれらに、支配者が公益を私利より優先するよき体制と、私利を公益より優先するあしき体制とがあるとしてそれぞれに名づけた。
       善     悪
単独支配 王政   僭主政
少数支配 貴族政  寡頭政
多数支配 国事   民衆政

これらの政は-archyの訳なので、~政治とする場合もある。
 またこれらのうち、王政を君主政、僭主政を俗に独裁政、国事 politeiaを国制、国政、共和政(治)と訳したりもする。
 民衆政は希語demokratiaの訳だが、民主政(治)といったりもする。

 然るに現今の日本は成人以上の全員が投票権をもつ多数支配である。そこで望ましいよき政治は国事 politeia、又はその通常の英訳republicからの和訳で「共和政」といわれるべきである。
 そこで、それぞれ、単独・少数・多数支配が正当化されるのは、一体、自国で誰が最高公徳をもっているかで任意に選び取られるべきだ。
 ただ一人が最善ならその人が王権をもつべきで、選挙を通じてなら或る人の長期政権が望ましい。
 少数が最善なら或る政党が議会を支配し、またその党派から行政の長も適宜選び取られるべきだ。
 多数が最善なら、議会は多党制又は無所属議員らの比率が大であったり、行政の長も広くいづれの政党かに関わらず全国民から選び取られねばならない。

 象徴天皇制はこの意味で、退位法について行政又は立法に干渉した証拠がある世襲の制度なので、全く望ましい物ではない。なぜなら天皇が最善か否かに関わらず、全国民の最善者に優越してしまう場面がありうる以上、国政に重大な瑕疵をもたらしかねないからだ。
 したがって今後の日本で、まず象徴天皇制を廃止(民営化、民間人化)後、最高公徳の持ち主が単独か、少数か、多数かによって議会・行政の支配者は柔軟に代えていくべきだ。
 議院内閣制が大統領制より劣っているのは、前者が少数支配のみ前提にしているのに比べ、後者は全支配体制に対応できる点だ。

 三権分立から、行政の長として単独支配をとる長期政権の大統領(伝統的な言い方なら世襲か否かに関わらず王)に対し、それより劣った公徳しかもたない議会が対立する場面がありうる。だがこれは大統領が真に最善ならば、公徳で議員を承服させうる筈なので、少数支配との中間状態と考えるべきだ。