三浦春馬が死んだので
ファンは後追うな、
春馬はそれを一番望んでない
みたいな事をアベマTVで専門家ぽいのがいってた
藤井靖(明星大学、准教授)というお方
これ幾つかの点で謎かなというか
勝手解釈というか嘘だと思う
だって当人なんも言ってないと思う
そもそも生の世界が嫌になったんだろう
むかし、hideなるミュージシャン自殺した時、
僕の中学で同級生も聴きまくっていたので
自分もまあまあびびったが、
テレビで殉死みたいなのする、
女ファンみたいの報道されてた。
或る種の伝統的な死の類型というか、
佐賀の『葉隠』だと美化されてる行動である。
孔子は俑に批判的だったと解釈されてるが。
佐賀の武士道は新渡戸の武士道とは全然違う。
同性愛を強調して理想的な恋愛と語ったり、
殉死が当然視されたりしている。
『葉隠』佐賀風の田舎侍流儀と思うが、
江戸期を通じ儒学や禅宗を汲み、
倫理観が高度に洗練されていく経過が入ってない。
エジプトで女王と埋葬された部下も殉死では?
仏教だと、
そもそも死は悪い結果ではない。
ガウタマの考えだと無欲の完成である。
のちの概念でいう無余涅槃、ニルヴァーナだ。
但し自殺は推奨されていない。
ガウタマがなぜ自殺を勧めていなかったか。
現世に生きている生物は、死を恐れる。
ゆえに命を奪うなといっていた。
自然死が目的だった。
有名人のファンが殉死するのって、
例えば明治天皇が崩御した時、
乃木大将が殉死するのと同じで、
或る種の最高の敬意表現なんではと思う。
「貴方のいない世界は生きていくに値しない」
ハムレットが尼寺へ行けと言い残したのに、
後を追って入水自殺したオフィーリア。
それって望ましくない死か?
藤井靖氏の説は、東京欲望社会の或る種の世俗的死生観に思う。
死を何かけがれの様なものとして扱い、
生を絶対的に優位な当然経験に値する至上価値みたいにいう。
宮崎駿の死生観もそんなもんだろう。
彼らのそれって余り立派な深度のそれではないと私は思っている。
大抵の武士に遥か劣るだろう。
僕が今まで調べた範囲、
三浦春馬の死って、多分彼が理想的に生きようとした結果の様に思うのだ。
母から言われていた、
「いつまでも素直で優しい子でいてね」
ところがツイッターで彼が、
仕事仲間かばう言葉絞り出したら途端に、
匿名卑怯者達がよってたかって
「不倫擁護するな異常者」と叩いた。
春馬叩きした連中のツイート群でも、
一番たちの悪かったやつを辿った。
どう見てもガキンチョで、
くそアニメやクソゲーのキャラに発情、
ファミマチキンあたるキャンペーンRT、
適当な芸能人に誹謗なげつけ、
春馬の心にナイフ突き立て、
最近はアダルトビデオのイイネ保存ばかりしてあった。
己は春馬にイケメンは馬鹿だといいながら、
人の失敗思いやるお前ら芸能人は異常者だといい、
一方で強姦や不倫の野蛮さ超えた乱倫アダルトビデオのイイネ保存ばかりする。
はっきりいって人間の屑である。
春馬がそんなのに殺されるに値しないほど誠実で真面目、
いや理想的な俳優だったのは明らかだ。
じゃあそのくそ人間、
当然の如く匿名でアニメアイコン、
捨てアカのくそ餓鬼なわけだけれども、
そいつが死んで誰かが殉死するだろうか。
僕がみる限り絶対に誰もしなないと思う。
だって死んだ方がいい様なやつなのだ。
必死で頑張ってる俳優の心、
片親思いやる清らな心を痛めつけ、
ポルノで自慰。
なぜ春馬が死ぬと他のファンが、
こんな汚い世の中に取り残されるより後を追いたいか?
いや実際にとんでもなく汚いわけだが、
だって興味本位の春馬叩きで相手の全人生を否定し、
ポルノイイネ保存して自慰を繰り返す、
そんなくそ餓鬼みたいなそんな人間の屑が
のうのうと生き延びているのだから。
春馬はインタビューでこういった。
生きる目的は? と問われ、
「この家族のもとに生まれてきて良かったと思える心、何かを成し遂げた時に喜びを人と共有できる高揚感、そういう瞬間のために生きている。思い返すと、結構出会っているなと」
恐らく幼い頃女手一つ
彼を育ててくれた母の思い出だ。
だって春馬の母が、彼が中学のとき再婚後、
彼はすぐ都内の高校に入って家を去った。
その間に継父と接した機会があっても僅かの筈だ。
それからたった一人、
まだ子供の彼が都内で役者として成長する中、
母以外の家族との思い出が彼にあったろうか?
「幼い頃から身近だった土浦の花火大会」とも彼はインタビューで答えた。
ここで思い出として語られているのも、
やはり彼が幼児の頃、
恐らく母や祖母に手を引かれてみた、霞ヶ浦にかかる大輪の花火に違いない。
達成感の原型だって子役デビューで母や祖母が喜んでくれた事ではないか?
彼のいう喜びを人と共有できるとは、事務所の期待に応えられたそれ、というより元々、
恐らく彼を唯一愛してくれていた家族に、元気な活躍の姿をみせられたことだろうと思う。
それで彼は自分から志願し、家族愛の劇を演じた。
なぜ彼が筋ジストロフィーの家族愛を演じることを志願したか。別のドキュメンタリー内で、病気の母へもうよくならないの? と子が尋ねたときの「母親の複雑な表情と、夫の目に宿る共に闘おうという強い気持ちが、胸に刺さった」からだと、春馬はインタビューで答えた。
理想的家族像だ。
実父がなんらかの理由でいなかった。
それが彼の負い目になったかもしれない。
共演者の不倫で思わず、本音で世情に訴え、炎上したのはなぜか。
自分には彼が和製ハムレットの様に思える。生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ、と純真な思春期の彼は、母の再婚で思い悩んだかもしれない。
思春期の頃の激しい懊悩は、この3年でも彼を襲ってきた。母と継父のなんらかのわけによる不仲によって。
そして泥酔する。またも理想的夫婦愛の元にある、自分の信じたい家族像を心の中に結ばせてくれない、この世の苦しみよ。彼はそう思い悩んでいたのかもしれない。
くそ餓鬼が異常者と罵った。
コロナ騒ぎで誰もが不安がるなかプレッシャーの最大になる舞台の先頭にでなければならない。そこでも当然のよう叩かれるに違いない。
大体、彼からしたら実際に芸能界が、就農より遥かに異常な世界だと知りすぎていた。少なくとも多忙すぎて自由になれない。それであの世で休むしかなくなった。
殉死する人がどこかにいるとして、
一体それを彼が望んでいなかったとして
(確かにきちんとした遺書にそう書いていないので、
そんな事まで想定していなかったろう)、
なぜ藤井靖氏は殉死をダメみたいにいうのか?
僕は逆の様に思う。
三浦春馬という役者が大変立派だった為、
もしくは、理想的な人間を演じ続けた為、
遂にその完璧な人間の行き場がないこの世から逃れた。
思うに同性愛という情報がないので、
彼女の類はいた可能性はある様に思う。
俳優の性質上、表に出てないだけだろう。
彼のいない世界に耐えられない人がいても。
将来子供ができたとき云々、と
今年5月のインタビューで彼は答えている。
もし彼女がいなくて、
そもそも彼が理想的な夫婦と子の家族愛を一生知らず、
それを信じたいが為に演じていたとして、
一体その理想が敗れたこの世に、
彼を愛するファンが居残りたいと思えるだろうか?
本当に愛していても?
彼に本気のファンがいた場合、
その思考回路を辿ると、
殉死してもなんら不思議はないと私は感じる。
それは殉死が悪い事だからではない。
ある場合には、
死の方が生より清い行動に違いないから、
それで愛すべき人のいない世界を去るわけだ。
別の人を愛してしまえば既に純愛ではないのだから。
寧ろ、その種の心からの殉死を防ごうとすることが、
何か重大な勘違いなのではないか?
風習でやむを得ず自殺を強制されるのではない。
イケニエが名誉だからとか、
この世にもいいところはあるからとか、
純愛を知らない者の理屈なのではないか?
春馬はそれゆえ、
母の二度の別れを侮辱され耐えられなかったのでは?
彼を侮辱した者は、
と言うかそのくそ餓鬼は、
単にモテナイのでもののあわれもしらず不倫叩き、
自分はポルノビデオで毎日の如く自慰している。
本当に去るべき側が去らないこの世で、
理想の愛を信じていた人がこの世を去った。
そのくそ餓鬼がモテナイ、
なるほど、それは悲惨なのかもしれない。だが、
それは春馬の悲惨さとはまた別の質のものだ。
そのくそ餓鬼はポルノで自慰に耽るサルの様だが、
春馬は一度も体験した事がない理想的な夫婦愛を演じようと努力していた。
全く違う生命体ではないだろうか?
アニメアイコンで春馬を死に追いやったくそ餓鬼曰く「イケメンは馬鹿だ」とか、
外観のよさと一般知能のよさに一定の正相関があるという調査はあるものの、
それは身体の健康さのいいかえにすぎないかもしれないし、
そうでなくとも後天的な学業でもIQは3割から5割は変化しうる。
つまり誤判定だ。
じゃあなぜそのくそ餓鬼が春馬を特に美男子扱いで攻撃したのか?
自分がそいつのアカウントを最初から最後まで全部調べた限り、
どうみても嫉妬である。
そいつは見た目が悪いとされる遺伝子かもしれない。
それで女性と縁がなくポルノビデオをイイネで保存し自慰にばかり耽っているかもしれない。
だが自分が女側の価値観を知る限り、
はっきり言って女は男の誠実さをみているのである。
だから春馬は女に人気があったに過ぎない。
確かに見た目もいくらかは関係しているだろう。
だが見た目がどう見ても悪い芸人も持てているではないか?
女は見た目だけで男を評価するわけではないのだ。
匿名で人陰から、
いつでも逃げられる条件で、
ネットの誠実すぎる程の俳優へ、
嫉妬まじりに不倫はかばうべきではないという。
春馬も決してかばっていない。
それはそうだろう、彼の懊悩の根本にある罪だ。
彼は過ちを許し励ましてやれないかといった。
それが国力だといった。
イエスと同じ聖言だ。
まるでイエスを裏切って、
彼を売り飛ばしたあのイスカリオテのユダのよう、
そのくそ餓鬼も己の悪業に悟ったならば、
進んでこの世を去るかもしれない。
あの世で春馬と鉢合わせたら是非とも土下座すべきだろう。
既に死後なので切腹できるかは分からない。
だが自分の卑しさを知れたら恥じるべきだ。
片手では不倫を叩き、
片手では他人の乱倫模様で自慰する。
なんなのだ、その二重基準は?
サルでもそこまで卑しい振舞いはしない。
では一体そのくそ餓鬼はなんのつもりで、
春馬の父母や彼の一生を間接的に罵ったのだろうか?
見た目がいいから?
偶々ある外観に生まれたら攻撃するとは人種差別だ。
この世に正義があるのなら、
少なくとも獣類の社会より幾らか高級で、
ヒトとして誇りがあるのなら、
そのくそ餓鬼は間違いなく地獄に落ちるであろう。
私は事態をこの目でみた。
他に考えられる素因がない。
国力を下げてるのはそのくそ餓鬼である。
ポルノをツイッターで探してイイネ。
それが国か。
春馬がまだ生きていたならば、
こうわたしにいったであろう。
彼の過ちを許してやれないか、
それが国力を上げるからと。
わたしは義憤の鉄槌を下さんと、
こうして筆をしたためた。
だが三浦春馬というヒトはもうこの世にいない。
彼の聖言はとわに失われた。
下らぬ匿名卑怯者一匹の命と引き換えに。