一体自分の神性への憧れ、かなり切迫した希求はどこから来ているのか? 恐らく自分は人間の暗愚さ、特に邪悪さが全く自分の中にあるものと異質と感じているのだ。そして例えば自称普通の日本人と名乗る一般大衆と呼ばれる人々の極悪非道さに日々面食らう。彼らは極悪振りを普通だと思っているのだ。劣悪な人間存在への憎悪、怨嗟、嫌悪。しかし現実に神的存在がいれば、人間など他の動物と同程度の哺乳類としか感じない筈で、幾らその種が愚かだろうと一々動揺しないに相違ない。乃ちこういうことだ、自分は数多の文物、公教育と称する宗教、人権思想などに洗脳を受け、人間を同類視させられてきた。
一番影響があったのは、やはり義務教育による洗脳だろう。その中で、人間は全て(少なくとも法的に、人権に於いて)平等で、彼らを同類と見なして利他的に振舞う様にしつけられる。少なくとも自分の地域(茨城県北茨城市)ではその様に教えられたと思う。この近代人権思想の桎梏が自分には足枷なのだ。
日本政府の中枢部にいる連中が、少なくとも皇族と称する中国・朝鮮や奈良から出てきた大量殺人の歴史をもつカルト教祖やら、どうみても虚栄心の塊にすぎない無教養な暴力団たる薩長閥の末裔やらであるところをみるに、フランス啓蒙思想下で人権思想をしつけていた人々は人類を都合よく操っていたのだ。神道カルトの教祖らを含む権力志向者らはいいかえれば、人々を体よく納税奴隷化しようとした。そしてその手段に人権思想をもってきて、自分達皇族だけは例外と立憲させた。勿論これは唯の詐欺で、人権思想も捏造なら、皇族に王権神授説をあてはめている無知はジョンロック以前の未開状態だといえる。
自分にとって、現日本政府は完全に砂上の楼閣、遠からず亡びる蜃気楼でしかない。それに寄託して愛国だのやっぱり自民だの、皇室弥栄だの、本当に野蛮人にしか見えないほど愚かしい。しかしそれらを信じている、もしくは無意識に正義と誤認している人は現実に、ある誇大妄想に洗脳されているのである。
京都市の人々が、一般に嘗てカルト教祖が住んでその手先が国民から奪った財産を浪費し、ごてごてと飾り立てた悪趣味な金ぴか寺などに阿呆な外人を寄せ集め観光代を徴収する商売を文化だ、しかも彼ら特有の驕りから文化の中心と定義しているのは、どの亡びた都市でもやっていた末期症状と断言できよう。
アテネで最後の演説をしたあの英雄の弁、ローマで胃袋を空にする為自ら吐いていた市民と彼らに見下されていたゲルマン傭兵との格差、渡来系がバルバロイ扱いしていた先住日本人を散々集団虐殺・人種差別しておきながら千年後、それを主導していたカルト教祖って関係ありましたっけという現代奈良人。
ある東京都民がどうみても馬鹿でしかないのに、というか山形とか北海道とか、大阪とか福岡とか長野とかの農村だか、埼玉の片田舎のベッドタウンだかからでてきた馬の骨どもなのに、凄まじい虚勢を張って、地方地方と全国民を蔑視する有様は、既に心が亡びている人間の断末魔だといってさしつかえない。
ただの二足歩行のサル、類人猿の末裔、ヒト科の一種が、天皇だの皇族だの宮様だのと称し、自分だけ人権がなく他のサルは人権をもっている納税奴隷で、自分だけは大量殺人罪だろうといかなる賄賂だろうとやり放題、つまりは国民を愚弄しているのだが、当の奴隷状態の民衆の方はますます卑下する醜態。
ある気が狂っている様な、ネットでみた俄女がいっていた、皇族は法的に人権がある云々。そんな根拠はどこにもない。部分的にであれ認められているとする学者を引用してみて貰いたいといったら逃げた。根性なしなばかりか、半匿名で散々私を名誉毀損しまくって何のつもりの極悪人だったのだろう。
だがそういう極悪人ばかりがうろついているスラム国なぞ、確かに一刻でも早く地上から消え去った方が未来の全ての道徳的生命体の為によい反面教師となるだろう。否定的な加速主義をからかえるほど状況がましなら、絶望などしない。絶望の言葉すら生ぬるい。仏陀が国を捨てたのも然るべきだ。
結局こういうことだ、人権をはじめて考えついた悲惨な人、ルソーがそれにあたると私は思うが、彼の思想的哲学的功績は古代ギリシア的人間観、奴隷を前提にした自由を否定することにあった。だからルソーに立ち返れば皇族だの神道など存在が許されたカルト集団ではないのだ。無論、明治政府も大和朝も。
全く同じ事は、現実的に資本主義経済にもあたる。
米英人は狭量なので、というか一般に低知能なので、その矛盾を認知できないか無視してしまう。それで共産党を敵視するばかりで、マルクスが何を問題提起したか全然再考察したがらない。彼らに帝国・植民地主義だので先住人を殺戮した反省があるか? 現代中国を異質視し、イデオロギー論(考え方論)で当たり前かのよう否定するばかりで、人権をおしすすめれば共産主義の本質にたどり着くしかないという真面目な社会学的考察を、怠った人々。彼らの末路がBlack Lives matterであれ、Brexitであれ、皇室界隈の人種・性差別であれ、単に愚かなのである。国連はさておき、EUだの米国だのそれに精神的に依存する皇室やら日本政府だのも、同等程度の人でなしであり、資本主義経済下で相対貧困だの、格差の傷を気に病み自殺する人など全く顧慮に入れていない。北欧人一般だけだ、少しはましなのは。だが彼らとて、欧州に心は依存しているので同類を免れぬ。中国政府が少数民族を弾圧しているから、彼らのもっている高邁な理想まで否定できようか? 人間は邪悪で利己的な生命体でしかないから、獣魂によって起業家がかねもうけすることでしか進歩しないんだといっていた自由圏の人々は、資本市場と共産政治が両立した中国経済に負けて何を言い訳しているか? トランプ大統領を択んだ米国民一般は、イデオロギー面でではなく、実際には貿易赤字に対して過敏に反応している。米国内の産業が合理的に営まれていないから赤字なのに、自己の無能には目をつぶり、共産主義への攻撃に転嫁している。天賦人権論に基づく米憲法も紛い物なら彼らにあるのは利己心だけか。
人権を否定すること、これはまだいい。そもそも捏造した概念で、ある国々には人身売買の市場があるし、カーストも階級もあれば、あらゆる罪が免除されている実質的に人権のない皇族も現にいる。しかしその目的が問題だ。自民党員らは皇帝中華思想に回帰する為にそういっている。吉田松陰の孫引きで。
神性があれば、人間界で相互に排他的な考えをもちあい、下らない同士討ちをしているのは、蟻の戦争の様なものだ。蟻にとって必死でも、神にとっては瑣事。全人類が今日滅亡しようが、神にとって本当はどうでもいいだろう。全被造物が、有機体に感じられる痛覚だろうが、下位なり別次元のものだからだ。
ルソーの個人的な理想、空想が当為として採用された全憲法だの法典だの、その拘束下にある人々の倫理観だのは、宗教家を妄信する人とどう違うのか。少なくとも自分にとってその種の当然視される人間愛が、殆ど禍々しいものでしかない。同調圧力や悪意ある匿名衆愚による冤罪に繋がる第一原因が人権だ。
人権をのりこえて、新たに考え直された世界観の元で、私は、あるいは人々の子孫は、今より優れた状態に到達しているだろう。全ての人々が等しく尊重されなければならない、厳密にいえば矛盾していようが、確かにそうあるべきかもしれない。だがその人間性なるものが邪悪なので、結論は同じになるのだ。