自分はツイッターというものはロム専で使ってた期間が殆どで、1年半くらい前に他国の大統領らが使い出したのをみて、社会インフラとして本格普及するかなと思い自分も発信側で本腰入れて色々実験はじめた。
実際はそれ以前にも、ツイッターのごく初期に発信アカウント作ったことあったが、今もそうだがツイッターは自由度が物凄く低いメディアである。芸術家としては場によって表現制限があることは珍しくないにしてもそれが極端で、匿名通報などの悪意があって虚構的修辞、強調された比喩など全く使えない。それでツイッターでは全然本音を書けないのを最初しらなかったので、初アカウントはあっという間に闇に葬られた。過去の自分含めロム専で使ってる人はこの事実を全然知らないと思うが、空気を読んだり敢えてそれを少しずらすくらいしかできない、不自由、不寛容の極みみたいな媒体である。
ツイッターの運営側の制限方針も、色々な人々が気づいていると思うが少なくともツイッタージャパンのは微妙な物で、どうみてもヘイトもスルーされまくってたり、逆になんともない私的井戸へのうめき声みたいな囀り(つまりは人畜無害な無意識を吐露した日記的なもの)が即凍結されてたりする。
で、発信メディアとしては自由度が低すぎ、全然使えないなというのが自分の感想だったので、ブログの更新通知流すくらいしかずっとしていなかった。
その後、1年半くらい再降臨し想定できるあらゆる実験やってみた結果、次の結論が出た。
現ツイッターは2ch残党の巣窟みたいで超絶民度が低い。
改めてそれに気づいたのは、どうみても返信の質が宜しくないとか、みるべき知性がどんなに掘ってもいないとか、リツイート・いいねされてる案件の寒気がする卑俗さに加え、今さっき、アクセス解析をはじめて全部じっくりみてみて明らかにいえると確信したからだ。
主たる反応が荒らしへの同調だ。
この世の厳然たる真実として、人には一定より立派な者が超少数おり、聖人以上の存在は通時的にみて(その人にあれば)指折り数えられるほどしかおらず、その他の大多数は下衆である。そして下衆の側が立派な者、聖なる者の世界に踏み入れたり、同意・共感・共鳴したり、同類になったりすることはない。大衆が賢くなる事はない。彼らは歴史に経験を照らして学びもしないし(当然だが単なる歴史クイズ的な通俗知識の有無ではない)、それ以前の存在である。
現ツイッターに雲集しているのは完全にこの層である。みるべき知識人の言論みたいなのを期待していた自分は、100%裏切られる結果になった。
全ツイート中で自分に役に立ったのは2つくらいだ。1、言動の不躾さから悪意ある匿名アカウントぽかったが、自分が隈研吾の経歴についてケアレスミスし憶えていた点を指摘してくれたもの。2、断定的口調や誹謗、俄か有職故実加減から唯のウィキ辿った一ネトウヨだろうが、天皇語源説への誤った批判。
(天皇の語源を、諸星座の中心で不動な北極星を大帝に例えた故事から、唐代の高宗が皇帝の号に用いた点に求める意見を、根拠なく断定的に述べるものだった。司馬遷『史記』は前漢のもの、自分が知る限りそこに天皇が初出する以上、北極星の故事は始皇帝以後の皇帝に重ねられたものと解するべきだろう)
そもそも自分は社会基盤となったツイッターが、高文化的共同体の形成に益する可能性をみこして再参加したのだが、現代東京のネット代表文化人らのお粗末な実態が暴露されたあいトリ騒動を頂点として(自分も同時代的に、積極的に参加してみた唯一の美術批評の争論だった)、全然そうはならなかった。
ツイッター文化人は、恐らくあいトリ騒動で完全に呆れ、ちりぢりになった。もっと前からかもしれないしそれ以外の数多の衆愚的返信群にも、とっくに呆れていたのかもしれない。自分が渦中で見たのはブロック連発する東京文化人らが東大閥左派だろうと全く不寛容なだけで知的レベルも幼稚すぎた面だ。
福沢諭吉は議論の風習がない、数理学が不足している、独立自尊の精神がない(より近代風にいえば自我、あるいは個人主義の未確立)などを日本民族について既往の問題視していた。これらのうち理系馬鹿(科学主義者ら)含む科学者が量産された点は少しましになったろうが、今度は倫理学が凋落した。ほかの問題点は何も変化がない。日本では全然議論というものが成立しないし、今も群れるだけの匿名モブが毎日悪業三昧している。科学は少々できる様になっても、哲学的思考力が全くないだけでなく、江戸時代以前は得意分野だったといってもいい倫理は完全に喪失してしまい、天皇も首相も恥を知らない。
これからツイッターに参加しようとしているロム専の人達に役立つ可能性があるのでこの様な事実を書くが、匿名衆愚が跋扈した場所はできるだけ早く捨てた方がいい。そこは情報スラムであり、集団犯罪行為による嗜虐快楽を目的とする荒らしが和で群れる様しつけられた日本人全般を唆し、破滅するだけだ。
自分のテストのうち有効だったのは、返信・DM・通知をきる設定だった。これらさえすればツイッターは表現可能性の面で極めて制限の多い短文その他を簡易的に発信する場となる。しかし、初期設定ではこれらがオンになっているので、例えば児童や通常の良識派が参加するとほぼ確実に即死してしまう。現(日本語圏)ツイッターは、既に2ch同様の情報スラムであることが、某女子プロレスラー自殺で国際的に露わになった。今からそこに参加しようとするには、自殺教唆を匿名衆愚からされ、警察も運営もろくに対応してくれない必然的悲惨を受け入れる必要がある。勿論そんな事はするべきではない。
ユーチューブやブログのよう収益化できる媒体と違い、ツイッターでは物販程度しか許容されず、基本的には、常人が発信でなにか得するどころか損害ばかり嵩んでいくしくみになっている。これはツイッター上の広告収益を運営がユーザーに分配していないからだ。グーグルより共栄的ではないのだ。
ツイートのエンゲージメント率という解析項目をみれば、大抵の利用者は受動的ロム専らしいことがわかる。この人達がどれ程の知性かはみてとれないが、反応の総勢をみていると、決して知的な内容を好んでいるわけではないらしくみえる。それどころか荒らしの陰謀に同調する傾向があり、邪な人々が多い。
そもそもフォロワー数という項目で、有名人にたかったり、通俗的アカウントに人気が集中している傾向があって、そこには反知性主義すら感じられる。それが現ツイッターJPなる場の総合民度なのである。
斯くなるものとしっていれば自分も参加しなかった。自分の試行錯誤に学んで同轍を避けて欲しい。