愚か者を賢くするのに時間を使うのは凡そ無益有害であり、自分をより賢く尊くするのに力を使った方がよい。愚か者は容易に賢くならず、なんらかの知恵、知識や徳目を授けてもその意味をうけとることすら容易ではない。総じて愚か者には愚か者としての役割があると考える方がよいだろう。
年長の卑人に説教する者は自ら愚か者と証明する様なものだ。殆どの老害は尊くなりえなかった成れの果てだからである。
愚かな若者に成長を期待するのは、枯れた植物に水をやる様なものだ。若害は往々にしてそのまま壮害、老害となっていく。
この世では尊い心をもつ少数の者がおり、はじめから賢い少数の者がいる。彼らだけに進んで学び、且つ深く悟る余地がある。