2020年2月29日

自集団ひいき妄想は非現実的で危険

今しがたネット右翼らしき人(日の丸アイコン)がツイッター上で、一番好きな国は? と台湾、タイ、フィリピン、韓国から選択させていて、台湾だけ圧倒的に多かったんだが、それで気づいた。
 彼らは自分と同質の相手を妄信したいだけだと。自集団ひいき妄想の正体は、延長された自己愛だ。
 福沢諭吉が『文明論之概略』で、国同士の様な公共的な交際の次元にその種の家族的自己愛は役立たない、法秩序のみがあると述べていたが、正にそれで、ネット右翼の人達は群淘汰的発想で、文化さえ大幅に違う遠い国々の人々に、自己愛妄想を誤った根拠に、同調圧力をかけようとはかっているのだろう。

 我々はその種の勘違いをしがちだが、現実の社会適応的にはそれなりの合理性もなくはない。自分の知っているのと風習が似通っている連帯の方がそうでない連帯より、群れの動きを予想し易い。例えば『荒野行動』内で日本人なら挨拶に凡そ返答するはずと予想できるが海外の人達はおもにそうでない。
 が、問題は個人性があって、自集団に近い人が却って自分に害をなす場合もあれば、逆に他集団の人の方が自分に益な場合もある。だからナショナリズム、愛国主義的な発想は危険なのだ。例えば都民が過度に郷土愛をもっていたら、高い犯罪率や数多の都市問題を正当化したり、田舎の善美に目をつぶる。

 愛国心を巡る問題を整理すると、
1.自集団ひいき妄想の正体は拡張された自己愛
2.文化風習の共通性など多少あれ連帯の単位はある
3.自集団ひいき妄想は現実を無視するので危険

 ここではわかり易い例としてネット右翼を挙げたが、本質的には群れの認知に適用される法則だと思われる。