2020年2月16日

なぜ悪人や卑しい人達が都会に多いのか

卑しい人達と同等の行状で尊い人は幸を得られない。この意味で、下賤の徒は幸そのものの質が異なっている。俗悪なくらしをしながら、それが幸福だと感じられる人達は、単に心象が俗悪なのだ。
 ミルが満足した豚より不満なソクラテスがよいとしたわけは、そこでいう幸が利他的なものかによっている。ソクラテスは尊者で、当時の衆愚のかたきだったが、今日の目からみて彼の方が正しく、ソフィストらがただの詭弁屋だった。幸としての利他性が、そのまま人の尊さである。ソフィストらは孔子のいう郷原で徳賊だった。

 では利己的な人々はなぜ生きているのか? 
 彼らは無論、ただの反面教師に違いない。サイコパスの存在意義も元来そこにある。文明では利己主義者ほど、ますます存在が卑しくなる。
 我々が利己主義者に直面しうんざりするのは、かれらが自己中心的に他人を陥れおしのけ生きているからだけではなく、根本的にかれらのありかたが公害だからだ。そういう性悪らが繁殖している都市部の犯罪率が高く絶対数も多いのは、都会人らが相対的に悪徳まみれだからだ。