2020年1月27日

なぜ人は移住しなければならないか

僕はツイッターやる前、馬鹿を嫌っていなかった。というか相手にしていなかった。しかし、ツイッターでアカウントをとって、通知を切らないでいてみるとすぐわかるが、腐るほど馬鹿が湧いてくる。
 それで段々と馬鹿とはどういうものかが分かる上に、嫌いになってきた。今ではすっかり嫌いになった。
 これはなにかの学習だろう。特に、馬鹿は学歴ではかれないとツイッター程よくわかるメディアはない。東大卒とか京大卒とか偉そうな肩書き沢山書いている人達のバカッター度は物凄くてあきれ果ててしまう経験を何度もする。
 しかし「馬鹿は救い様がない」とはっきりわかったのは重要だったと思う。
 なお知的障害とか低IQとかをここで自分が「馬鹿」(無知の意のサンスクリットmohaの漢音訳へ、「馬を指して鹿と為す」の故事を当て字にしたものだろう)といっているのではない。サイコパス含め高IQの愚物、悪人は無数にみつかるので、それらと愚かさに特に関係がある様に、自分には思えないから。

 僕が都内にいた頃の都知事は、とんでもなく野蛮な小説を書いていて、言動も野卑きわまりなかった石原慎太郎だった。それまで僕は、マスメディア、特に小沢健二の音楽に大分騙されていて、オザケンみたいな人が都内には居るもんだと偏った見方、即ち逆差別の印象をもっていたが、全く全然一人もいなかった。
 逆に都知事の質がどうみても低い時点で、もっと早く気づくべきだったのである。東京は救いがないのだと。メディアで嘘をついているのだと。都外の人達を騙す目的で、都内を虚構めかして自慢し、田舎を悪意で貶める報道をしているだけなのだと。現実の民度は、多数派の選んだ指導者の質をみればわかる。

 僕は善良な資質で生まれついているらしく、相手が明らかに悪質で下卑た言動を取っていても、自分なら絶対にそんなことをいうのは冗談でしかありえないので、ついわざとだろうと思い込んでしまうことが多い。だがツイッターで馬鹿は救いがないのだと学び、遂に悟りを開いた。
 暗愚な人間をみたら、特に首長がその種の人物であれば、その様な自治体に近づかないべきである。これが僕の人生経験上の真理だ。なぜならその種の暗君は、民度が低いと証明しているのだ。少しでも劣った点が見えたら信用度を減点した方がよく、余りに酷ければそれだけマイナス評点しかしなくていい。
 民度は相対的なものだ。差別は、する人が100%悪くされる側は100%善い。イジメと同じだ。したがって差別やイジメといった負の現象が僅かなりともみられれば、その自治体は民度の低い人達が住んでいる証拠になる。だから例えば京都市の人達に頻繁に差別される経験をしたら、そこの民度は確実に低い。
 同じく、高い方の民度も相対値であり、尊敬すべき人が多数派に選ばれ長をしていたり、現実に暮らしている証拠が多ければ多いほど高民度の証拠になる。したがって、崇敬に値する公徳の印が明らかな人々のくらす自治体へ人は進んで住まうべきであり、生活の蘊奥とは全くほかではない。
 日本という単位の長は暗愚である。安倍晋三氏が自民党の長として違憲立法した数はかぞえきれず、普段の言動でも無学を晒し、急場の判断も極めて悪い。すなわち彼を選出している山口県4区とか、自民党員を国政へ送り出している各地は、事実として極めて民度が低いのである。低民度は救えないのである。
 いいかえると、その種の低民度な国にこだわって居残っていればいるほど総じて悪い結果になる。国の長が優れている地域、例えばマクロン首相のフランス、トルドー首相のカナダ、マリン首相のスウェーデンなどへできるだけ早く、進んで移民すべきなのである。
 それが無理な時、国内で比較的ましな地域へ移る必要がある。これではより大きな単位の日本政府から、つまり地域外の日本国民全般から公害を受けざるをえないが、それでも低民度な地域にとどまっているより少しでも、被害を避ける効果はある。最善の国への移民が不可能なら次善を選ぶべきである。