2020年1月5日

東京や京都を中心としたサブカルと性風俗の分析と評価

この一年くらい、自分は、「オタク文化」について主に批判的見地から研究した。なぜかといえば村上隆以後の国内美術の流れでもあるが、サブカル派が大変威張っており、しかも一般大衆も東京圏の文化人らも、京アニ事件のとき明らかだったようサブカルすなわち日本美術の覇道みたいに傲慢だったからだ。
 ところが、自分はかれらの考え方も感じ方も、何ひとつとして共感できなかった。
「こいつらなにいってんの? 異星人? 野蛮人? 馬鹿?」
としか感じられていなかった。ダニクル効果で自分が間違っている可能性があるため本格的に、彼らが一体なにを言っているか知る必要ができてしまった。
 そのうえ外人といえば、こっちが日本人とわかった途端マンガアニメの話しかしてこない。最初はこいつら馬鹿なんだろうなと思って適当に接していたが、いよいようんざりしていた。国連まで京アニは世界の宝みたいなことをいいだしたし、KPOP=韓国、くらいの偏見ではあるが、覇権なのは間違いない。

 で、分析の最終結論をいうと、サブカルとは、主に東京へ出て行って定着した(あるいは都内で繁殖した)余剰人口のうち、特に余った独身男性らが幼児退行や自慰を目的に作っている世界である。これゆえ、偶像嗜癖の傾向があって、しかも少女や若い女をしばしば猥褻な姿をとらせ、沢山並べる傾向がある。
「オタクは気持ち悪い」と、大抵の日本女は常態的にいう(みてないけど『電車男』みたいな文脈で)。最近は腐女子と呼ばれる女オタクも発生しているが、特に女から男オタクへの蔑視や差別が激しくあるといっていい。これは上述のよう、恋愛社会で敗北者といえる人達が、偶像嗜癖に耽っているからだ。
 サブカルとは偶像崇拝の邪教だ。その中で、人々はありもしないものや、いもしない存在を崇め、金を払い、発情したり熱狂したり感動したりし、妄想を対象に自慰し、往々にしてろくでもない礼拝を世界中にばらまいている。
 そして基本としてサブカルは無教養の権化である。理由は大衆向け商売だから。

 はじめ、サブカルは子供が教科書のすみにパラパラマンガ描いたり、テストの裏に落書きしたところから始まっている。その一人だった手塚治虫が物語とかけあわせ、長編マンガを描き、文脈としては江戸時代の黄表紙みたいな絵本とつながる、少年漫画なる代物をつくりあげていった。代表的なのがジャンプ。
 週刊少年ジャンプは集英社の子供向けマンガ雑誌なんだが、色々あったその種の通俗絵本は思わぬ派生物をうみだした。いまでいう同人誌という二次創作ジャンルがでてきたのだが、これは成人マンガであって、いつまでも子供時代の絵本内の妄想からぬけだせなかった大人が、下衆な自慰に耽る目的のものだ。
 東京国際展示場という中ボスでも住んでそうなメタボリズム建築があって、宮崎駿のアニメ『天空の城ラピュタ』が公開されたのは昭和61(1986)年でその3年後に佐藤総合計画なる会社が都の設計コンペで勝ったらしいんだけども、要はマンガチックな妄想狂の建物なんだが、ここへ年2回オタクが密集する。
 オタクとはそもそも、大人になっても漫画アニメの妄想から抜け切れなかった人達が、相手を「お宅は~のファン?」みたいにいいあっていたところからきた言葉らしい。で、その人達は最終的にどうなったかというと、好きな漫画アニメのキャラに淫行させあう自作のエロ漫画を、売り買いする様になった。
 これ自体が驚異的な現象というか、日本人でも驚くけど世界も驚いたらしく、彼らは英語で「hentai 変態」と総称される様になった。ちゃんと英語ウィキペディアに専用ページまである。アダルト用語のジャンルとして一般的な英語になっている。まあ一言でいえば恥知らずなのだが、一度に75万人も集まる。
 その75万人も集まってるヘンタイだかオタクだかの人達がなにを目的にしているか。同人とは似た趣味の人といった意味の日本語だけれども、要は分析結果に書いたよう、自慰する目的で、妄想の中の漫画・アニメキャラに淫行させる自作漫画を描き、それを互いに自慰道具としてカネ払い交換しているらしい。

 一応いうがこれは東京文化であって日本の9割以上にそんな現象はない。しかし海外からみると「東京・京都≒日本」くらいの公式になっているのでヘンタイ漫画アニメ国家にしかみえないわけである。これが原因で、われわれ一般国民までオタクと同一視されて、初対面でサブカルのことばかりいわれるのだ。
 ウソだと思うなら外国人に日本人だといってみるがいい。子供とかなら9割がたいきなり漫画アニメの話してくるから。昔で言うゲイシャフジヤマ、ハラキリの代わりに、サブカルの話題の印象しかもたれていない。辛うじてスシくらいはいうけど、それ以外ならマンガしかいわない。それだけ状況はひどい。
 まあ細かくいうと、京都ならニンテンドーのゲームってのもある。京アニはおおよそそれのアニメ版みたいなもんだろう。これらもひどいというか、そりゃ子供の頃は親が買い与えちゃうからファミコンからはじまってスイッチまで、だいぶテレビゲームやってるだろう。問題は、同人誌まで直結してる事だ。

 説明しきれてるか疑問だが、同人誌の中にはその子供向けのスイッチのゲーム、たとえばポケモンの中にでてくる主人公の少女に淫行させる物とか沢山ある。しかもゾーニングは東京都知事の石原慎太郎がちょっとはやったけど、都内のオタク業界に反発されて不完全になっているから、子供も出入りできる。
 同人誌がどんなものかを一般の人はまともに調べようとしていないかもしれん。だから世界中の人がポケモンGOに夢中だ~日本文化(てかニンテンドー小会社)も大したもんだとかいっている。しかし大きく見ると、それは退廃的偶像崇拝のあおりでしかなく、しかも最終的にはビッグサイトのオタ集団になる。
 このビッグサイト(東京国際展示場)でオタ結集のもう一つの側面として、コスプレとかいい漫画アニメキャラに紛争し、写真撮らせあうという俗習がある。愛知トリエンナーレで愛知県知事の大村さんまでやってるくらいだから当人は平気なもんなんだろう。が、いわゆる軟派師が淫行勧誘の場にもしている。

 ちょっと調べればすぐわかるはずだが、東京には淫行勧誘罪とあわせてアダルトビデオと彼らが呼ぶ、性行為の様子を自分で撮影し、それを売って金儲けするという極めて悪い軟派風俗がある。公然猥褻罪、猥褻物頒布・陳列罪、売春防止法違反、その他、健全育成条例違反の可能性など無数に違法だ。
 話にきくところでは、横浜在住の女がいってたが、横浜駅界隈でも同様の淫行勧誘罪にあったといっていた。別のユーチューバー女が名古屋駅まで東京から出張してきてたやつに車に連れ込まれてカネ握らされ、男の自慰を手で手伝う様子を撮影され販売されたと告白しておった。つまり東京にはヤクザが多い。
 が。これは東京男にヤクザが多いだけではなく、実際にその種の風俗業者をよく観察すればわかるとおり、女も往々にしてヤクザなのである。なぜかというと、確かに一部の被害者は無理やり脅されたとか、無知なままで騙されたとかあるみたいだけど、ほとんどの女は自分から売春罪に応募してやっている。
 で、まあ東京以外なら大阪とか、石川(加賀)にも同様の犯罪集団はいるみたいなんだが、これは業界人と警察が自分でちゃんと法秩序を守るべき話なのであって、警視庁の腐敗をそのまま放置してる警察庁にも責任があるし、首相官邸もちゃんと取り締まれといってないんだから、彼らが一番悪い。天皇も。
 そんで、話をもどすと、この東京のコミケには、性風俗業者が出入りしており、淫行勧誘罪を割りと普通にやっている。東京女は東京女で一部のやつは単に騙されたといっているけれども、意図的にコスプレ売春しにいっているやつもいる。一昔前に秋葉原で同様のことをして歩行者天国が中止になったやつ。

 凄く巨視的にみて、江戸の風習なんて昔からそんなもんだったじゃないと。町人の死亡率をみなさいと。独身のまま貧乏暮らしで死んでいくのが普通だから、都民は慰めが必要なんだろうと。大目にみてやって放置してたら、梅毒だのエイズだので勝手に苦しむだろうってのが福沢諭吉の意見だった。
 僕はその福沢の意見は「そんなもんなのかな」と思って、生理的には気持ち悪いなあと感じながらも、都を離れてじっと黙っていたわけであるが、上述のよう外人までアニメ漫画ばかりいってくるのでうんざりした最終段階で、ヘンタイヘンタイといってくる。なぜなら漫画アニメ=ヘンタイだかららしい。
 堪忍袋の緒は切れていないけれど、確かに段々とむかついてくる。なにしろその外人どもはサブカルオタなんだろうが、当の日本人の自分はそうではない。ツイッター民にけもフレみろみろいわれてみてみたら、あまりの下らなさにひっくり返ったどころか呆れて物も言えないくらいなんだから。東京のせいだ。
 あまつさえ、僕の地元は、山奥で子供のころから川に飛び込んで遊んでた清流とか、みんなとキャンプやった思い出の海辺の高台の公園まで、東京のおしつけてきている原発で汚染されて、悲しみとか怒りとか憤りとかはるかはるかに通り越して、もう神の目で東京滅亡を待つばかりとなっていたところである。
 この後に及んでありもしないことで侮辱までしてくるのだから、しかも連日魅力度最低とか濡れ衣に重ねる濡れ衣を都内報道業者に10年ちかくも着せられ、東京の印象は極悪犯罪集団の底を抜けて、ちょうどラダトームからみえる悪魔城くらいのものだ。なにが漫画アニメだよとなって当然ではなかろうか。

 結局、東京の下衆がはじめは子供だましではじめた生業が、京都の花札メーカー界隈にまで伝染し、げすがげすをよび、東京を一大退廃の偶像嗜癖界にしている。まあ都民927万人の大抵のやつらにとって75万人(都民でいえば8%)のオタなんてどうでもいいだろうが、迷惑なのは迷惑だ。本当に。
 やれ渋谷ハロウィンで軽トラひっくりかえしましたと。馬鹿な若者でーすと。都民にヤンキーは居ませんみたいなふりをしていたが、現実には東京だの横浜だののほうが少年犯罪率は高いですと。数も多いですと。東京はウソばっかりつくね。自分が偉いんですと、ウソばっかり。原発どけずに賄賂五輪ですと。
 周辺県を貶めるためにウソばかりつく都民。群れて2chで。ツイッターの匿名アカで。卑怯にも。遂には衆愚が極まって実名でもバイトテロとかやりだす始末でしょ。なんでそれがえらいのか。是非教えていただきたい。自慢しかしない群れてつけあがるチンピラ、犯罪集団のどこがえらいのか教えて欲しい。
 はっきりいうとサブカル衆愚も同じだよ。都民のヤクザ、チンピラの一種でしょ。金儲けのために子供だまし。それだけならまだましだった。遂にはアニメキャラに扮して淫行勧誘罪ですから。どこがえらいの。どこが日本代表ヅラできる面か教えていただきたい。恥というならわかりますけど。日本の恥なら。
 まあサブカルなんて、そういうわけで、モテナイ東京男が大勢群れて自慰目的でつくりあげている邪教の儀式だったんですね。おそろしいことだ。そんなのが文化ヅラなんだから。麻生太郎とかいう北九野郎も大概だ。こいつのせいで一歩まちがったらサブカルが主流になりかけていた。京都でやってろよ。

 京都という町があります。ここ、中世の移民地区でした。朝鮮半島から沢山のエライ移民がきて、先住の日本人達を差別しまくっていた。今もしてる。自分が上で先住人は下、とか意味がわからないのであるが、いわゆる自文化中心主義に耽って千年も粘っていた。しかし最近外人が観光に来て今度はうざいと。
 いっちゃわるいけどあんたらも外人でしたよ。京都のかたがた。移民なんですから、朝鮮半島からの。それが今度は自分が先住人になってしまった。自分が帰化人なのも忘れ、トランプ行為をしている。出て行けでていけというけれども、うざいうざいというけれども、それ、あなたらの因果応報ではないの。
 京都は文化首都ですと。意味がわからない。文化に上下とかない。いわゆる京都市の世界文化自由都市宣言。東京に首都機能うつっちゃったから、移民地区が中華ぶっていた千年の虚栄心を守るため、こっちは伝統ありますさかいって意味なんでしょ? 文化なんて縄文文明のが長いですやん。立派ですやん。

 なにいってたか途中で用事入ってわからなくなったが、結論いうと、サブカルは都民の一部がやってた妄想商売で、偶像崇拝で、全体として立派な代物ではなかった。特に子供だましから姦淫へと直結してる点で邪悪さが凄い。いや、東京文化からいうと姦淫そのものが粋や萌えと同一視されてるのだろうけど。
 問題は、この究極で東京・京都文化でしかないサブカルを、日本全体の文化かのよう言いつくろわてれしまうことで、それは彼らの中華思想、自文化中心主義の傲慢さ、つまりはダニクル効果によっているのだが、確かに迷惑である。だってこっちは彼らほど下衆でも下品でも通俗的でも下賎でもないんだもの。
 だから僕はサブカルは反面教師だと思う。誰でも子供の頃は幼稚なものしかわからない。無教養でもわかる様に作られた妄想の類に夢中になりやすい。

 サブカル全てが下らないといいきれるか、とイギリスのオタクに批判されたので重々考えてみたが、確かにドラクエとか大長編ドラえもんとか少々ましだ。
 だからといって、全てのサブカルを正当化できるかなら、かなり難しい。サブカルアートの王は宮崎駿といっていいだろう。ラピュタとかナウシカとか本当に凄い。でも、限界もある。ハイアートの世界に比べると、格が落ちるのは仕方ない。知性主義の権化みたいな分野があるのだ、同じ芸術にも。

 僕はサブカルもハイアートもどっちもわかっている。どっちの長短もわかっている。その上でいわせていただくと、東京京都文化の一部であるところのサブカルは、ハイアートの美質に比べると、やはり下らないものだといわざるをえない。村上隆がどんなに粘ってもこれは決してぬぐえない真実である。
「ハイアートの美質ってどんなのですか?」
たとえばモンドリアンが『ブロードウェイブギウギ』を描くまでに辿った抽象画探求の遍歴とか、そういうのだろう。あれが漫画的な文化と同じですか、たとえばディズニーと同じですか、といわれると、同じ絵は絵でもだいぶ違うとしかいえないと思う。
 未来の人類が、現代芸術の全てを見通せる地点に立ったとき、現代日本美術といえばサブカルだったんですよ、それ以外ごみでしたよ、とはきっとならない。サブカルはサブカルとして分類され、ハイアート系もちゃんと残る。これは間違いない。過去でもそうだった。浮世絵あり大和絵あり水墨画ありだった。

 まあこの文章読む人が未来人だとして、「そんなの言わなくてもわかるよ」だろうけど、令和2年の地点からみると、本当に全然違ったというか、サブカルのいばりんぼう度合い半端なかったのです。ツイッター開けば非実在青少年の同人誌ばらまいてるやつがいるわ、ハイアートも漫画ですうとかいっていた。
 だから僕はもうサブカルの研究もひと段落したので、今後は自分が好きな様にやるつもりだ。
(誰も自分の作品なんてみてないだろうが)今までもやってきたでしょ、と思うかもしれないが、決してそうではありませんでした。僕は文脈を気にしていた。サブカルも横目にみていた。そういう競争は意味ない。

 実は、芸術研究家として、僕はもう一つ消化しきれていないものがある。それは東京の性風俗というかアダルト文化。これも前から「こいつらどう扱えばいいんだ?」と、適切な距離感なり扱い方はかりかねているので完全無視している。マネみたくまともに扱うのもどうかと思うし、サブカルの次の課題だ。
 明らかに文化的に、無教養の一業界として江戸時代からずーっと残っている東京の性風俗なのだが、文化人でこれを客体的に扱ってる人まずいない。無視している。一部の小説家くらいだ。僕もそうで、ノータッチになっている。が確実に存在し、「粋」の探求をずっと続けていると。京都の芸妓文化みたいに。
 僕はこの世界も自分とは異質なものとしてずっと遠ざけている。秋葉原も東新宿も、その意味では自分には異世界で、今回はサブカルのほうを完全にやっつけたと思うが、性風俗は完全にやっつけられていない。そもそも理論的に把握しきれていない。一体なんでそんな違法じみた世界が残ってるのかわからん。
 田舎には一般に、その種の業界はない。この点では都会とまじで違う。風営法で規制されてるために、あったとしてもスナックとかであって、その種の文化そのものが絶滅されて存在しないから、東京人(あるいは都会人の一部)の生活形態が理解できない。その為、まず彼らが何者か把握しないといけない。
 田舎といっても千差万別。都会といっても色々。そりゃそうだ。日本の9割は田舎だが、首都圏は全体からみたら都会に属するし、東京でも大抵の人は性売買なんてしていない。ということは、都市圏の一部にしかありえない、特殊な不良文化みたいなものとして性風俗が残っているといってもいいだろう。

 サブカルはばっさり切れば主に東京で独身の低知能な人達が幼児退行を続けるために作り上げた妄想の偶像嗜癖だったが、性風俗は多分、田舎でいう暴走族みたいな世界の変種で、都会のヤンキーというか不良女が集まると自分から身売りを始めるだけなのではないか? その意味で実は女社会なのではないか?
 不良女が、淫行をたねにカネをとる。都会の男は独身が多いから、簡単にだませる。この行動習癖が集まると性風俗になる。恐らくこれだけのことなのだと思う。女衒が悪いとあたかもヤクザの生業みたいに売春防止法上いわれているが、よく観察すると女の方が客商売の宣伝しているし、自分で応募している。
 つまり、都会女の一部が、簡単にカネを稼ぐには身売りすればいいと計算し、かつもともと性欲は女にもある(テストステロンは女性も分泌する)ので、一石二鳥みたいに売春をはじめるのではないか? この意味で、娼婦(昔でいう遊女)が客商売をあおる目的で、童貞ディスというのをはじめたのだと思う。
 売春する娼婦は、客が浮気なり不倫なりで自分らと性行為なりなんらかの接待をされ、大金くれないと商売がなりたたないので、いわゆる純愛とか純潔の類は邪魔なだけである。それで童貞はダサいとかキモイとか、昔でいう「野暮」のたぐいに貶め、できるだけ都会男らが自ら買春するようあおっているのだ。
 ところが、浮気なり不倫は、いわゆる家庭崩壊の第一歩であるから、全体の大部分を構成する一般女性とは利益相反が生じる。しかし一般女性のほうでも娼婦の宣伝に騙される人達がふえてきて、現実に純愛・純潔のたぐいを侮蔑しだし、要は全体のあばずれ化が進んでいるのが東京女一般の実態だと思う。

 東京人927万人は日本人1億2680万人の7%である。AV女優(ビデオで売春を演じる女)は15万人以上*1、店舗型の性産業従事者は約29万人*2といわれ、19歳から55歳の日本女は28,221,452人*3なので、およそ日本女の64人に1人ほどが性産業に従事しているらしいが、東京都民の割合はもっと高いだろう。
*1 週刊ポスト2011年12月23日号
*2 一般社団法人GrowAsPeople角間惇一郎氏による。BLOGOS「セックスワーク・サミット2012・風俗嬢の『社会復帰』は可能か? ―― 風俗嬢の『社会復帰支援』の可能性を考える」ページ1、ページ2
*3 平成27年国勢調査、総務省統計局

 つまり、日本女全体の1.5%くらいが性売買をやっていて、男はこれより多いとしても、全体に比べた比率としては非常に少ないといってもいいだろう。ただアダルトビデオを見ている人の割合は、しらべぇによる全国20〜60代の男女1357人の調査によると、男性の81%、女性の39%らしく、特に男性は多い。
 特にこのアダルトビデオの業界は、石川県の加賀がDMMという会社の本社筋があり、創業地に工場とか残ってるみたいだけど、ほとんどが東京または大阪かと思う。特に、インディーズとかいって各撮影はヤクザじみた少数組織がやっていて、業界全体では逃げるとき足きりできる様になっている。
 つまりこのDMMという会社(途中でFANZAに名前かえたりしてるけど)が中心になって各撮影メーカーから映像を供給されてるんだけど、その映像撮影体のほうは小売側とは基本的に分かれており、警察に睨まれたら尻尾切りみたいにその小さな会社のほうを畳めばいいようにできてるんですね。巧妙なやくざだ。
 そのうえ、警視庁(東京都警察です)はこれらの売春防止法違反・淫行勧誘・公然猥褻・猥褻物頒布、陳列罪などなどどうみても他の道府県だったら逮捕でしょという生業を、放置している。なぜかというと日本コンテンツ審査センター(旧日本ビデオ倫理協会)とかいう警視庁天下り団体と癒着してたからだ。
 ビデオ倫理監視委員会とかいうヤーさん集めた業界団体がほかにあるらしくて、そもそも猥褻物頒布が刑法で禁止なのだからアダルトビデオ販売なんてやってはいけないはずが、上記の天下り団体が無理やり許可した形にしているのでつけあがって、違法ダウンロード取締りだあとかいって金をむさぼっている。
 さきに、計算してみると、日本女の1.5%くらいが娼婦やっていると書いた。100人いたら1人か2人の比率なので、これを多いとみるか少ないとみるかであるが、「そもそも性売買は悪なのか」から根本的に考えると議論の必要がある。しかし売春防止法で違法ではあるので、現行法では禁じられている。
 が、そんなの都会の一部でしか風営法で許可されてないので、たとえば一般日本人は9割が東京人ではないわけだし、その都民だって全員が性売買してるとも思えないので、影響からいっても少数の人の不良文化となる。が、アダルトビデオの影響度はでかい。男なら8割、女でも4割もみてるらしいので。
 つまり、この「日本コンテンツ審査センター」とかいう新宿にある一般社団法人が、警視庁とヤクザをつないで、違法行為を正当化している原因といっていいであろう。そこに大勢の不良女(なんと15万人以上)がたかって、身売りで公然と金を頂戴しているわけだ。違法なのに逮捕されないのはこれである。

 私は娼婦たちの実態を調査した。といっても私はその人達が生理的に苦手なので(なんとなく不潔感がするので、それとわかると避ける)、ピグで東京の売春婦の人の話を聴いてみた。結果わかったのは、その女は騙されてやってるとかでなく、当人が性欲強いが男に相手されないから好きでやってるといった。
 これはサンプル数1であるから娼婦全体をいいあてているとはいえない。しかし職業選択の自由があるわけだし、他の仕事だって無数にある中で敢えて、違法業態をえらぶのはそれが当人たちになんらかの意味で向いているからである。勿論不本意の売春は悪だろうけど、本意のそれは女側が淫乱でやっている。

 ここまで分析すると、一体あれは何かということが朧気ながらみえてくる。

 東京の性風俗文化とは、先ず淫乱女がはじめた客商売である。恐らく最初は町人相手に一番みだらなやつが交尾だかなんだかをして、代わりにカネもらっていたろう。こないだ新潟県知事が辞任したが、まさにあれ。パパ活が原型。
 次にこの風習がどんどん広がると、現時点で日本女の64人に1人とかなりの割合でやりだすやつが増えるに至った。64人に1人が多いかだが、他国の割合と比較してないから不明だが、要は、都会ではかなり広まった風俗になっている。で、みたことない人からすると「なにやってんだこいつら?」となる。
 なぜなら、その種の文化がない場所からみると、恋愛とか婚約とか夫婦とかで交尾してるならまだわかるが、それでも人前ではやるわけないし、大体が、金はらってあるいはもらって交尾する意味がさっぱりわからないからである。
 したがって自分はいまだによくわからん。なぜ東京人京都人が売春するか。
 特に東京の売春はまだわからなくもない点もあるというか、若い女がやってるので、確かに男性の本能からみると一般に若い女性のほうが性的魅力があるために、おそらく現実でもてないひととかが若い女と交尾したい需要があって、客商売になるんだろうなと想像されるわけだが、芸妓の方は意味がわからん。
 まあ東京でも深くいうと熟女(昔でいうトシマ芸者ですね)がやってますとかそういうのもあるんだろうけど一般には若い女がやってる気がする。京都の芸妓は先ず若いといっても顔を塗りたくっており、通常の価値観でみたら醜い。しいていえば日本人形みたいなもんだろう。わざと触れられなくしてある。
 それで踊るとか酌をするとか、年取った芸妓にびわだかなんだかを演奏させ、動きづらい着物きてあれこれ躍らせ、お座敷の中でケラケラ笑ってそれで大金を取っている。馬鹿かとおもうわけだが、京都人はエライエライといっている。売春が偉いもんか、こいつら腐ってんなと思うが、京都文化の誇りである。
 さらにいうと、東京だの大阪のほうはもっと色んなパターンがあり、研究者がいるならおそらく色々記録に残してくれるだろうから僕はそこまで詳しく書くつもりはない。ただ調べたら多様化した客商売が存在するのがわかるはずだ。昔でも花魁というのがいたが、あの時より多様性高いんではないだろうか?

 結論いうと、サブカルに続き性風俗のほうもこんなもんである。ただ後者については自分の分析が間違ってる可能性もあるので、概略ではあるが。一言でいえばヤクザと不良女が共謀して金儲けしてるだけの話。サブカルより優れた点があるなら性の快楽を探求してる点で、劣ってるのは性病や不倫をあおる点。
 サブカルはサブカルで、同人誌の場合、性の快楽をある意味追求している。妄想で。その点では東京文化は一貫している。なぜ性売買、幼児性愛とか変態性欲とか、まともでない方向に行きがちなのかは都民が下衆だからだろう。まあ純愛ぽいのも宮崎駿が映画化した漫画『耳を澄ませば』みたいにあるけどね。
 オタクはカテゴライズされ差別用語みたいになっていたが、なぜか娼婦とか男娼の方はカテゴライズされていない。チャラ男という言葉は僕の高校の応援団長がチャラチャラしてんなとかいってたので僕がブログに書いたらいつの間にか広まったのはいいけれども、遊び人とかあばずれとか広まってない。
 それで、東京人全般の中では、遊び人とかあばずれ、つまりは男娼娼婦がなぜか偉いみたいに、かなり異常な評価軸が形成されている。そしてオタクや腐女子は蔑視対象になっている。でも違法度からいったら男娼娼婦の方は完全に売春防止法違反なんだが、オタクや腐女子は必ずしも猥褻物頒布罪してない。
 まあそこはもう変化がないというか、東京人一般の文化では、童貞(男の貞操、純潔性)が悪で、娼婦の客になる遊び人が善で、かつ、あばずれといわれるだろう身持ちの悪い女が羨望の的という風に、いってみれば都会ずれしきった性道徳・恋愛観になっているので、永遠に治らないしそれは一文化なのかも。

 ただ、自分はこの東京文化に1から10まで違和感しかかんじなかったし、今も感じ続けており、今後もその違和感を彼らの文化と一致させるつもりはさらさら毛頭一切ない。だって僕の文化の方は純潔はエライことであり、他人が性売買してるなんてわかったらそれは軽蔑の的であり、あばずれも人気ない。
 そのうえ、漫画アニメその他ゲームとかまあ少しはというかドラクエとかポケモンとかやっててもいいが、だからといってそのキャラクターに淫行させる漫画とか意味がわからん。なぜそんなのを描くのかもさっぱりわからんし、そんな下衆根性を東京人の75万人も喜んでもってると思うと異国人かとおもう。

 私たちは望むと望まざるとにかかわらず、異文化と接触します。そしてそこから何かを学ぶ。
 私も東京異文化と接して幾つか学びました。
 第一に、性愛を美化している点は決して否定できないというか、本質的に素朴な発想がもともとあるんだろうなと思った。仏教と正反対というか。性を肯定する。
 他の文化、というか私の県の文化だと、奥ゆかしさのあまり、性愛をきちんと正面から扱うことはないんですね。大抵、間接的にそんなこともあるんだねみたいに、描かれない。まあ夏目漱石の小説みたいな感じ。だから東京MXのコメンテーターとかも下品にかんじてびっくりした。テレビで性の話をしている。
 しかし、私はその異文化接触からだいぶ「これどっち正しいんだ?」と研究に研究を重ねてきたが、最終結論としていえるのは、性を真正面から美化して扱っているという東京文化のあり方は、確かに下品といわざるをえない点も大いにあるにせよ、存在意義までは否定できない。性の研究に使えるからだ。
 私はその点をまねようとは思わないが、性表現を恥もしない(周囲の都民が下衆なので感覚が麻痺している)という東京都民一般の文化的特徴は、それ自体になんらかの研究対象として価値がある。特に性の快楽追求とか変態性欲の類型とか、享楽主義のあり方の面で。

 第二に、漫画アニメは表現方法の面だけに参照価値がある。およそそれらは線描による省略表現で、簡易的な物語描写をしているものだが、話自体の中身が無教養で低俗な点は参考にならないが、表現形式の合理性には着目してもいい。なぜその線が、記号的に人体を意味するかなど、省略手法の体系なわけだ。
 ビデオゲームについては既に世界で別の広い様式があるから日本のそれが特殊化しているだけだが、特にJRPGの語りには興味深い点が幾つもあると思う。ファイナルファンタジーの方は他国のMMOと混じっていってしまったが、ドラクエはまだ現役でJRPGらしさを保っている。独自形式の進化がある。
 つまり、サブカル全てが下らないというより、その形式的工夫だけに注目すれば、単に内容が幼稚だったり無教養だったりするだけで、高度な技術技法を使って表現されている面があるのは確かである。Vチューバーとかもそれで、低俗さと一体化しているから東京や京都のサブカルが下らないのである。