僕以外の人に同じ現象が起きるか知らないが、自分はたまに記憶を脳が自動で検索するモードに入ることがある。
そうすると、過去見聞きした人達の言動が全て脳内で洗いざらい一瞬再現され、全体としてある結論を導きだす。走馬灯みたいなものだろう。
その結果は、大抵いつも人間がより嫌いになる。
なぜなら、人間たちは常に邪悪な言動をとっているからだ。
勿論ごく少数、善良な人もいることもあるのかもしれないが、先ずほぼ全員は悪辣かつ卑しい言動をしているので、減点の程度が違うだけである。
それで自分は昔から或る人が信用できる程度を厳密に自動採点し、つきあう相手を見分けている。
自分は或る人がどんな属性でどんな出自でどんな生態かまで全部みるので、単に人格だけを見ているのではない。閻魔と僕では僕のほうがより深く、緻密に人間観察しているのではないだろうか。また自分は記憶力について僕よりいい人はみたことがないので、誰についてでも主要な情報を先ず忘れない。
それで、自分からみると全く信用ならない人間を、ひとびとが首相にしたてあげていった光景など何度も見てきた感じ、少なくとも日本人たちは一般に僕よりはるかに人を見る目がない。なぜそうなのかなら、彼らは上述したようなサーチエンジンを脳内に持っていないのである。
人を見る目がないとは、正しく人事評価できないに等しい。したがって人の上に立つことはできないし、仮に立ったら組織をほどあれダメにしてしまう。何度閣僚が不正でやめていったかわからない、安倍内閣みたいなものだ。
しかも組織そのものも適材適所にならないので、確実に全体の能率が悪化する。
うらをかえすと、人を見る目があれば、人の上に立つのに向いているといえるだろう。自分が将棋をやっているのと同じで、配置を正しくしなおすだけで自動で最善の成果があがるからだ。
単に出世するだけなら安倍晋三みたいな悪例があるので、成果が重要だ。高い成果を挙げた組織をみるがいい。
指導者が適材適所をはかれるかどうかは、人を見る目がある程度にかかっている。
みずからの属する組織に成果を挙げさせたければ、普段からあらゆる面で人間観察を極めるがいい。そして自分が人間の価値を正確に評価できているなら、意見しているだけでその組織がより高い成果を挙げ始めるだろう。