2019年12月21日

合意なき性交を巡る分析

某記者の強制猥褻にまつわる判決までのいざこざを純粋に科学哲学的にみると、性選択での女性の主導権拡張を、男尊女卑の中世保守派が妨害している様にみえる。なぜ政治的右派が訴える側の女性を加害者扱いするかはこれでおよそ説明がつく。
 寧ろ興味深いのは、一部の女性も原告を叩いている矛盾だ。
 一般論としては、合理性が足りない女性は妬む心の方が先立ってしまい、女権向上に喜ぶより現実に強制猥褻された女性記者を叩いているのではないか?

 ただこの種の女性の一部にも或る洞察がみられ、そこに一理なくもないというか、欧米オリエンタリズムを逆用する狡猾戦略が嫌悪を買っているらしい。
 確かに最近他の国内司法では、強制猥褻系で女性の被害者不利の判決がされていた(2019年12月13日名古屋高裁での娘への準強制性交罪の無罪判決など)。そこから比べて被告の訴えを全て虚偽とし原告全面勝訴は一見極端にみえなくもない。東京地裁は刑事では嫌疑不十分だったが民事で真逆の判決をだした。
 勝訴した原告に反感をおぼえているらしい一部女性の言動をみていると、「あいつだけ勝つなんて卑怯(しかも欧米のフェミニズム系報道権力バックにして)」みたいな負の同調圧力的に足を引っ張ってると同時に、他の性暴力被害者らが公にはでてこないものの、関係者に「あれは演技だ」と告げ口している。

 これらはまあよくある妬みの類が相当陰湿に発揮されたものと解釈できるからそこまで興味を引くものでもなく、自分は寧ろ性選択で女性の主導権が最大級に拡張されたらどうなるかに関心がある(世界史的にいうと亡国時は女王が国より恋人選んだとか、寧ろ風紀が乱れたとかで牝鶏晨してる場合がある)。
 しかし一番笑えたのは、某女性の在野学者が一言で(原告が意識失うほど酔っ払ったのは)「わざとでしょ」と断言してたことで、その人がまあモテナイ女性キャラみたいな立ち位置なのはそこまでしらなかったのだけれども、テストステロン値が高い男性をやたら褒めちぎる事からも、恋愛に余程受身なんだろう。女性もテストステロンあるのだが。

 性交時に同意サインをどう送るか文化で、日本のは全く不合理で「いやよいやよも好きのうち」なる夜這い的風習が一般民衆間に残存している。昔から『源氏物語』好きすら女にいるくらいで或る種の被痴漢願望の変態性欲が日本女側にある(国内最大規模アダルトサイト統計で女性の人気検索語2位が痴漢)。
 330万円に加え社会的名誉を致命的に損なわれた被告側は、恐らく当人の意識内では女狐に噛みつかれた感じなのかもしれず、そもそも東京圏の性道徳で通常、性交合意をはっきりいう代物になっていないというすれ違いも事件の一要素だろう。逆に一般都民は合意の曖昧さを性愛のスリルくらいに思ってそうだ。
 裏を返せば奥ゆかしさの行き過ぎなのだろうが、日本女は性交合意をはっきりいうより断ったのに半ば強引に交尾されたい、という、明らかに歪んだ変態性欲を、しかもわかりづらいことに或る好奇ゾーン辺にいる意中の相手にだけ暗に隠し持っている。そんなの通常、男側にわかるわけないので事件が起きる。
 いわゆる「壁ドン」とかいうのがそれで、まさにあれが日本女的性欲を最も明白に表現してある非合意の被痴漢願望(但しソフトバージョン)なわけだけれども、われわれの社会として恐るべきことは、痴漢冤罪でもわかるよう、日本女側は意中と論外の間の濃度を基本公表しないので、やりたい放題している。
「キモイ」(気持ち悪い略した若者言葉の俗語)を連発してる語彙力0ティーンや馬鹿女みたいのは大量に国内を闊歩しているが、それが一種の性的憎悪(負の性欲)としていきなりオタク男とかへ心を傷つける形で暴力的に投げつけられるのは、上述の意中・論外濃度が非公表になっている副作用ともいえる。

 で、今回勝訴した原告側の分析はこれまでも沢山色んな記事とかであったが、基本、霞ヶ関界隈の記者は女を武器にして魑魅魍魎に媚を売り、中国政府の女スパイみたくスクープつかむのが常態的慣行らしく、自作自演のフリー美人局が売名してるだけみたいなざらっとした解釈が週刊誌レベルの考えだろう。
 しかし欧米はMe too Ku tooフェミニズム全盛期なので、しかも国連権力を大向こうに回したら基本勝てない。だからBBCワールドの印籠で東京地裁は大岡裁きしたみたいなもんというのが、通俗的な事件の見方と思うが、自分が都民の身の処し方暮らし方の内情まで熟知してみるに、本質は壁ドン文法の流用だ。
 壁ドン文法は通常、日本女の中では「セクハラ」なる組織的威嚇用語を伴い、至極便利に使われている。意中濃度が高い相手だと「素敵」に変えればいいが、さもなければ一言で敵(素敵ではない)の社会的面目を失わせる魔法である。日本女記者でも同じで、オノヨーコ的位置取りで自由移動している。
「合意なき性交」なるものは、今回はじめて判決として認められたみたいな感じがするが、女性の社会闘争の戦略として極めて完成度の高い技法であり、必殺技になりうる。だって最初は合意どころか望んで交尾してから都合が悪くなっても、うまくやれば壁ドン文法の中で完璧な利己性を補完できるのだから。
 記憶に新しいところでは辞職に至った某知事の援助交際もどきも、合意なき性交の前奏だったのではないか。こうしてフェミニズム、女権論がどんどん女性側の性選択権を強化していくと(勿論人権的には望ましいのだが乱用可能性も同時に高まる)、最終的に卑弥呼的絶対女性の社会がやってくると予想する。
 Aとの非合意性交は全力で人格抹殺しつつBとの非合意性交は意中ゾーン近いから即忘れ、Cとの合意性交は途中で浮気がばれたからセクハラの濡れ衣を着せ、Dとの合意性交は性の相性がよかったので良い思い出みたいな。が金持ちEとの非合意性交で溺婚とか。こんなのが近い将来「普通の」東京女かもしれん。
 将来というか現にそんな日本女を実は、別に都内に限らず既に相当数みたが。そこまで複雑な擬態に擬態を重ね、カマトトごっこと娼婦ぶりを相手次第で演じ分けるみたいな都会ずれ系が、日本女にはごく多い。本性なのかサブカル教育のせいなのかは不明だが。今回の事件も或る種、東京女なめた結果である。

 社会的地位と記者パフォーマンス巡って悲劇のヒロイン演じてる、というネット世論的見方が、思わず意識失うほど泥酔してしまって野蛮な男尊女卑社会で安倍官邸の権力背にした醜悪なアジアン中年男に無理やり交尾され本当に可哀想な無知でか弱い若い日本女、というBBCオリエンタリズム的な見方と対立している。
 上記の東京文化の状況を前提にすると、このどちらの見方も2つの別の物語の並列にすぎず、真実は藪の中にみえる。再三書くが自分は女権拡張後の世界が自分には寧ろ居心地がいい可能性もあって(自分はしばしば一般女性より繊細なので)、これ以上の事件趨勢の分析は世間がやってほしい。