2019年10月6日

性の研究と人口問題は恐らく関係あるが分離しても考えられる

けさ、性売買罪取締厳格化で少子化解決すれば日本政府が移民から潰されることもないだろうと書いたけど、また皇統強制断絶とかしうる点で、極左的には(自分は極左でもないけども)寧ろ、性売買し放題に東京衆愚を煽って、実際に移民侵入を進めれば巧く、現日本政府を瓦解できるのではないだろうか。

 で、これとは全く別の話なのだが、自分は色んな人達の性に関する話を聴いた結果、正直いうと性に関しては全てを容認した方がいいのではないか、と本音では考えている。だから究極的自由派に近いのだが、かといって自分も性逸脱を実際にあらゆる物を試すかというとそうではない。
 福沢諭吉が「偉い人は悪事の仕方を知っていても実際にはやらない」といっていた。これと同じ文脈で、性に関して抽象概念として学ぶことは、シャルル・ラロのいう芸術たる性愛解釈について、快楽追求の一部に入るのではないかとも思うし、ここが世俗的には混同されていると思う。知るのと行うのは違う。陽明学派みたく知行合一を信じていると、行動が偉いとなって単なる知識と分離できない人が出てくる。自分はこの点で知行合一論は全く愚かな解釈されていると思うけど、少なくとも、性愛の或る部分がもし徳と一致しているなら、それは寧ろ利他的ですらあると考えられる。性すべてが悪ではないのだ。
 日本国民一般は世界一性行為の頻度が極端に低く満足度も極端に低い(Durex, 2005 global sex survey report)が、性売買罪の経験者は主要先進国で最も極端に多い(厚労省調査で14%程度)と、極めて特殊な性文化をもっている。性が抑圧されていて、しかも逸脱が激しいのかもしれない。
 思うに、オタク文化、主には東京(アニメイト全国にばらまいてるの含め、秋葉原を中心として)や京アニ入れると京都の一部の文化といえるだろうけど、それはこの性の抑圧と性売買の多さという、国内大都市での奇形的特殊文化の結果なのかもしれない。実際、自分の目には日頃オタク文化が奇妙にみえる。

 結局、少子化を解消せず、東京・京阪・名古屋蟻地獄へ若年人口を集中させ、淫行退廃での口減らし目的の(当人達は目先の快楽追求の)人口調整によって、又は韓国なら無制限の高学歴化によって、低成長経済に適応するのが総じて賢明なのかもしれないし、人口問題と性の研究は時に分離し考察できる物だ。