2019年10月6日

慰安婦問題の分析と今後の対策及び遷都と性売買罪取締厳格化での出生率回復論

私が今から世界史に新機軸を提出しよう。
 先ず従軍慰安婦についてだが、これを日帝軍が制度化していたのは確かにろくでもなかったろう。しかしだ、なぜそんなものができていたのかだけど、今思ったが、日本軍人の致死率が恐ろしく高かったので命の危険を常に感じていて救いがなかったのではないか? 厚労省の調査を元にした「主要国の性行動比較」をみると、対象国で日本人とスペイン人だけ突出して売買春の経験率が高い。それでも14%だが。私もやったことないし、普通やらないのである。その14%のかなりの部分は、悪所に馴染んでいる類の、主には一部の都会人であろうと想定される。

で、従軍慰安婦問題というのは、論理的にいうと上のよう致死的状況で性欲が高まるという生命維持機能から軍が用意せざるをえなかった様なものかもしれない。さもないと強姦とかし兼ねないほど軍人って強化版体育会系なんだから、通常、野蛮なのであるし、実際そうしていた証言も色々あるわけだ。そんで、もっと論理的にいうと、従軍慰安婦がアウトならじゃあ平時の今も、主に都市部で黙認されている性売買罪も違法なんだからがんがん取り締まれよ、だって生命の危機そこまでないだろ、生活保護一応あるだろとなるわけで、結局のところ、この2つの問題が混同されているわけである。
 即ち慰安婦問題には次の2要素がある。
1.致死的危機度が高い時の本能による性欲の高まりを解決する手立てとしての慰めの救済手段(但し一部の慰安婦側にとってはほぼ地獄的犠牲)
2.主には悪所に馴染んでいる人達(特にそれが集まっている一部の都会界隈人の可能性が高い)による淫行の証拠

 従軍慰安婦公募なんて蛮行してんなよ、という立場に今はなっている国連軍側も、戦時の証言みると性売買とか犠牲として差し出された女だのへの淫行だの強姦だのは、どうみても軍ぐるみで色々あるわけだ。性売買自体の経験人数差により、同じ罪を犯しながら有利な立場から旧日本軍へ石を投げつけてるわけである。
 で。結局、この2つの問題は分離して考えないと埒が明かない。第一に他の動物でもそうだが、死にかけると交尾や産卵しようとする場合がある。これはヒトにもあると想定できる。それをキリスト教精神もなければ仏教も弾圧されていた旧日帝軍は、戒律皆無もののあわれぶった淫行神道で解決していたのだ。いまも自衛隊員に、キリスト教だとか仏教だとかによる戒律なんて仕込まれてないだろうから、いまだに、恐らく急場では先祖返りで似通った行動するかもしれない。事実上、政教一致で自衛隊を仕切っている天皇を教祖とした神道は、性道徳面でも、三流レベルの邪教だったということだ。
 つまりこの第一の点は何も解決されていないのであって、生命危機に至った軍人が、強姦とか手段を選ばない性行為に走る可能性がある状況を、事前にどう統御するか、勿論、慰安婦とか性売買罪とかではなく、制度として冷徹に考えておくべきである。戦国期は同性愛で解決していたが、(後述するが、性的少数者の否定ではなく、全員が同性愛以外の選択肢がないのが)今更どうかと思う。現時点で、米軍とかもアブグレイブ刑務所事件みたいな異常な行動を戦地でやるのだから全面的に参考にはならないが、基本的にはある程度の基地くらいまで夫婦同伴可にしてるのではないかと思う(全く知らないけど米軍基地はそうだろう)。現実的には自衛隊内で或る隊員と婚姻推奨すべきなのではないか? ここでいう婚姻は、性的少数者のそれも含むから、上で同性愛がどうかと思うといったのは、強制的に修道以外は不可とするのが時代遅れといっているのである。まあ婚姻関係になくとも、隊員の間での合意ありの性関係を認める以外に、外に迷惑まきちらさずに済む方法がないのではないかと想定される。

 で、第二の点だが、これは完全に性倫理の問題になるが、「そもそも性売買って犯罪と法で定義されてるのに、なんで東京都民とか、主に都市部の住民はそれを見逃してるの?」という話である。犯罪なら犯罪でちゃんと取り締まれという話で、そうでないなら法律変えろというだけの話だ。いわば排中律を認めていないから混乱が深まるわけで、はっきりいって自分は都内の風紀が酷く退廃的で全然馴染めなかったので、さっさと犯罪根絶した方がいいんじゃないかと思ってきたのだが、真逆の意見の人も恐らく相当数いると思うし、性売買は文化だとすら思ってる東京人連中も相当いると思うのだ。
 で。その性売買は文化だと思っている江戸時代からの東京の退廃的風紀はもう完全に自己反省とか自浄不可な次元まで堕落しきっていて、彼ら自身はそれを恥じたり罪に感じるどころか自慢したり誇っていさえするわけだから、まあ彼ら都民の相当数は野蛮人だと私は思うが、最後まで公に議論し尽くすべきだ。最近は、アダルトビデオなるもの(海外でいうポルノビデオ)が非常に広くインターネットで拡散され、世界中で主に東京人の一部の公然猥褻罪というか淫行の様子をみて、寧ろそれのファンすらいると思う。だから完全根絶するとしたらそういうファンも消えると思うが、法的には根絶しない理由がわからん。
 結局、性風俗全般を現時点で根絶せずになぜか警察が女衒やくざだの売春防止法上で違法男娼娼婦・違法客とつるんで泳がしたまま、放置してるのは従軍慰安婦に対して日帝軍がやっていたのと何ら変わらない偽善の仕草である。直接管理しているか放置しているかの差はあっても態度としては容認なのだから。
 コンビニからいわゆるエロ本が撤去された。これはネットに氾濫してるから子供はそっちみてるので、コンビニから撤去してもネットで事実上ゾーニングで排除してないんだからほぼ意味ないにせよ、まあ美観面では都内のやくざ企業(コンビニ大手と出版社)がやっていた仕業でもともと当然と私は思う。
 はっきりいうと、東京だの京都だの都市部に中央政府があるからそこの堕落した風紀に染まって、違法化に二の足踏んでるんじゃないのかと思う。さっさといますぐ福島栃木だか茨城北部の山奥に遷都しろ。その後、国会は粛々と法を変え、性売買を罰則つき厳格化するなり、合法容認に変えるなりすればいい。ネット上で閲覧にも頒布にも事実上、全く取締が行われていないに等しい状況が、子供をポルノ中毒にさせ、あるいは成長後も生殖以外の目的で軽薄な性行為を煽り、少子化か堕胎か性病か片親の量産にだいぶ貢献するのは間違いないと思うが、この部分も、国会は公に考えてゾーニングの罰則でも作るべし。

 まあ最終的にこの2番目の問題は、例えば性売買は本当に犯罪なのか、それともただの文化であって性の商品化なり接客業化なのか(例えば食がそうあるよう)、今後も、比較文化論だの宗教学だの性にまつわる芸術・芸能論だの性道徳論で議論や研究を重ねていかないと、どうとでも変わりうる要素と思う。
 マキャベリは一旦堕落した国民は回復しない、あるいは快楽をとりあげられるのに反対するといった旨を『君主論』で述べていたと思うが、もしそうならなぜ古代ギリシアや末期ローマが退廃の末に滅亡したかも説明がつくし、奈良の平城京、平安京の京都、江戸・東京の末路も同じではないだろうか。より清浄で、健全な風紀を保っていた別の国、ないし別の地域が、贅沢や乱費に耽って性売買や同性愛など(まあLGBTの文脈からは逸れるが、宗教史や世界史的に見るとソドムも古代ギリシアそう解釈される)あらゆる淫行にふける超少子化の大都市を抱える古い退廃した国や地域を、実力で亡ぼしてしまう。
 特に、これが明らかになるのは人口規模で、超少子化に陥った退廃の大都市部では性売買とか同性愛など(同性愛遺伝子はまだみつかっていないと読んだ、但し他生物でも例えばボノボのよう同性愛の様な行動をする種はみつかるけど)生殖の自然に反する淫行が必要十分以上にはびこって、特に逸脱した性行動のはびこりにその可能性があるが、相対的に国力が減少するかもしれず、大抵の田舎とか健全な風紀の国は産めよ殖やせよでそこへ余剰人口が侵入するレベルになってきている様にもみえる。国単位でみると、今の日本や韓国へ、中国とかインドとか、更にはアフリカとか中東諸国とかイスラム圏から大量流入が起きて、既存の東京政体は滅ぼされると予想できる。だからそれ以前に田舎に遷都し、健全な風紀に変えろというしかないのだが、今の国会議員にそんな胆力も見識もないではないか?
 自分が見る限り、小沢一郎氏しか頼りになる人物いないと思うけれど、彼を東京人のマスコミだの天皇家だか宮内記者会だかは徹底して腐したわけだから、まあ下衆な都内マスコミにも天皇家にも同情の余地は全くないし、それに煽られていた衆愚も最悪さでは同格以下というしかない。別の有能人は今の所いない風なので、自分は政治を直接やるのはストレスかかるし権力闘争はかなり狡猾かつ野蛮にならないといけない場面があったりあんまり好きじゃないので、小沢氏をできるだけ高い地位につけるとともに、有為の人物を探さねばならない(自分はアリストテレス的な幸福主義に近い志向をもっている。おそらくダビンチが「命令するのは主人の役目」と手記に書いていたよう、実践より理論の方が国民主権にあって上位だと思っているのだ)。