2019年10月17日

学閥制度は親の仇でござる説

僕は10代後半から20代の前半頃まで、福沢諭吉を研究していた。父が慶応(塾生は應つかいたがるけどここでは略します)だったから家に一応卒業の時に貰った非売品の本や自伝などはあったのだが、自分で通販で初版に近い全集を買ってそれを読み込んだり、神田で続全集も買い込み、最初の義塾があった今の聖路加病院の前の小さな碑の前で何時間も考え込んだ。福沢が最晩年に、というか遺作で残した戒めをクリアファイルに入れて、時に読み返しながらいつも持ち歩いていた。ある高校の同級生と、福沢の墓参りも行った。
 これは偶然だが自分が本気で弟子入りのつもりで行った妹島和世さんも、当時は慶応の教授だった。SANAAにも塾生が沢山いて或る気風を感じた。
 ある時、京大受けて浪人していた別の高校の同級生に、福沢は晩年国権論に転向したからダメといわれた。その時は単にそれだけ記憶していた。教科書的には倫理にそう書いてある。だが学んだ内容と照らし合わせ今にして思うと、福沢の問題点は勿論そこにもあったかもしれないが、もっと根本的なものだ。

 他の、自分が今属している大学の講義でも、福沢はいわゆる文明論の様な根本的哲学に加え、状況的思想家だったと評されている。これは確かで、彼はいわゆる当為としての文明の太平(知徳の限界まで高まった理想国)を措定しつつ、そこへ至る道筋は各国で違うと考え、具体的政治判断を組み合わせ論じる。
 特に、最近の慶応の文学部の或る教授なんだろうけど、福沢門下の筆頭として最も信任が篤かった石河幹明に、いわゆる『脱亜論』脱稿を責任転嫁し、濡れ衣し、塾内では神格化されている福沢のナショナリズムをなかったことにしようとしている論理がある。これは全く浅はかだ。福沢は差別的でもあった。勿論、『修身要領』にみられる通り、彼は根本哲学の次元では四海兄弟を信じるヒューマニストなのだが、状況的思想家としての通俗面では、口述筆記の福沢自身による文字手入れ『福翁自伝』にも人種差別的記述が頻出する。当人がそのまま出版したのだし、今ほどレイシズムが問題にならなかったのだ。
 この両極が彼の中でどう処理されていたかだが、『文明論之概略』で読み解ける。即ち当時の植民地支配にのまれつつある世界状況では、彼のいう偏頗心たるナショナリズムは専ら有益だというわけだ。この愛国論から、愚民教化の為の皇室肯定や、日清日露戦の歓喜などの脱亜入欧と称される傾向が出てくる。つまり、教科書的に福沢は、晩年に前半期の民権論者から後半期の国権論者に転向した等と簡略化して書かれている傾向にあり(例えば山川出版『倫理用語集』2003年)、朝鮮併合を含む脱亜論的文脈を先導し、自由民権論へ時期尚早的に制動の役割を果たしたことになっているが、これは彼の政略論面である。
 しかもこの朝鮮併合の容認が出てきた理由は、網羅的に彼を研究してれば常識かもしれないし、続全集に詳しく石河による当時の福沢を取り巻く状況描写もあるが、塾生だった金玉均による李氏朝鮮の内部的な近代開化路線が彼の暗殺で挫折した義憤があった。弟子の仇討ちで福沢は『脱亜論』を書いたのだ。したがって、中国や朝鮮への脱亜論的文脈を含み、ハワイ王族への描写とか、当時の穢多非人とされていた人達への人種差別的記述を福沢がしていたのは、彼がいわゆる士君子程度の人物ではあったが聖人とまではいえない位の、大分から大坂経由で江戸へでてきた、田舎侍成り上がり風儀と解釈すべきである。

 この記述で何がいいたいかというと、大体今から1週間くらい前に、ある人が自分のツイッターで、特段珍しいとも思えない実に学部から高校級の有体な憲法論の一解釈を振りかざし、お前は愚かで私は賢いだの、お前は勉強不足で私は学んでいる等と罵倒三昧して逃げ去ったのだけども、この人が慶応卒だった。その事実は後から、その人のツイートを隈なく調べ尽くしてわかったのだが。恐らく法学士であろうと思われた。偶然にも私の父と同じ大学、同じ学部の卒業者。私は父のノートや教科書も使って法学も学んだのだけれども、その人の大上段に構える説は実に単純、どうにも卒業生の質が格段に落ちたのだろう。
 勿論、福沢の唱えた世界の文明に輝く品格の模範たる塾生の面影など、欠片もない。先程偶然みかけたが、スーフリ事件まではいかないがラグビー部だかミス慶応だかのセクハラ事件がどうとかニュースになっていた。要は表面だけの軽薄なブランド化してしまい、塾風自体が堕落した面もあるのだろう。
 福沢の歴史的評価はさしおき、慶応自体が本来の目的を見失っていると私は思います。私自身はそこに入らなかった。色々理由はある。第一、私の学問方法は今の文科省指定のやり方と大分違うので(私はより本格的と思っているが)、そもそも門前払いだろう。

 なにより私が書いておきたいのは、この私を侮辱三昧して逃げた人物が、福沢が酒のむなと言い残しただけでは全然足りなかった不良塾生であったのにショックを受けたのだけど、しかも女性だったのが二重に私を傷つけた。なぜかというと私は女性に優しい。女性だけでなく子供とか老人とか弱者に優しい。所が、その私の父の大学の名前をちらつかして辺り構わず学問の内容など問わず、威張り散らしている「親の仇」のひっくり返った輩が、人格的不良さを帯びて卒業してしまっているだけでなく、門閥制度ならぬ学閥制度を乱用するえせ教養俗物になりさがっているのに、自分は福沢の悲劇を感じざるを得ない。
 仮に女性の傑出した哲学者がなかなか出現しないのは制度上の問題が大きいとする。なぜなら私はその慶応の教授やってた妹島さんを間近にみて、並の男性より遥かに優れた仕事人なのを現に知っているからだし、福沢だって在野だったんだから塾生にもできる筈だから。しかしその人の知徳は非常に低かった。
 女性教育についても、ミルを参照してたんだろうけど、福沢は当時としてかなり先駆的な『新女大学』を書いているわけで、まあ現時点の脳に関する性別差の見解からいっても、人格的にも知識的にも、思考的にも性別が女だから劣るなんて絶対にありえない。私はその人に立派な学説を説いてほしかったのだ。

 はじめは、自分としては結構な因縁のある慶応の卒業生だとしらずに、「仰るのは、どんな学説なんですか? 根拠は憲法解釈に於いて、どの様なものですか」みたいに真面目な学問的見解を問うた。当然だけどスラスラ出てくるものだと期待して。しかし、返ってきたのはひたすらの侮辱と人格毀損であった。
 具体的にいうと、第一に憲法論として21条1項表現自由及び、21条2項の検閲禁止が、その人の学説内でなぜ1条象徴に対し優越していると考えるかの根拠を問うた。その様に法解釈するからには何らかの理由が必要だ。国民総意を冒涜できる権限が行政にあれば国旗敬礼・国歌強要も違憲かもしれない。
 第二に、その人は天皇に人権があると最初主張しており、私は憲法上にその種の記述がない(1条で天皇は象徴と定義され11条で国民にしか基本的人権は与えられていない)事実から、天皇無人権説を仮に反証例として出した所、その人は発狂気味に私を罵倒しつつ、皇室の人権は部分的にあると断定した。
 私は勿論、国際人権規約や天皇のいわゆる人間宣言とされるものを知らない筈もなく、一応読んだ記憶もあるし、それは学部程度の法学なら誰でもやる範囲と思うのだが、私は続けて貴説(皇室制約的人権保持説)の根拠法は憲法か各法か問うたのだが、その人は答えず私を罵詈讒謗三昧でそのまま去った。
 私自身は、こちらから仮に措定として出した上記全ての法解釈について実際には、私自身の見解を入れていなかった。いわゆる法解釈の種類のうち、最もその人の説にとって反証的となる例をあげただけで(判例如何に関わらずそれが法解釈学なんだから)、私は象徴冒涜可も天皇無人権説も特に信じていない。

 いうまでもない話ではあるのだが、この議論にならなかったやり取りに際した、その人の発狂度とその後の教養俗物的な(いわゆるソフィスト的なニュアンスでの、詭弁による馬乗りが自己目的化している、非学究的な)態度の数々をあとから観察し、その人の学力の水準が低すぎただけではあるとは思った。だが、一週間も自分を酷く失望、絶望させ、ただの荒らしだったのかと悟ってからもこうして、この文で振り返るほど困ったのは、慶応卒業者が自らを置き、又は社会で置かれる学閥差別の文脈が、一個の福沢研究者として、あるいは父の母校の堕落として、「親の仇」を結晶させていると気づいたからだ。

「学閥制度は親の仇でござる」と、最早自分はいうしかないのかもしれない。正にその状況がここに現出した。その本丸は、実際には今回、脱構築すら考慮せず上記の一学説(象徴冒涜可能論)のみに立ちマッチポンプを演じた東大閥・芸大閥だけでなく、英語帝国主義や欧米アカデミズムなのかもしれない。