2019年9月28日

日本画と洋画、現代美術の間にある様式的混乱の系統分析

「印象派を褒めつつ現役の極貧前衛画家に一円も支援しない日本人は正真正銘の俗物」の続き)

この主題について補足で続けて書きますが(自分以外、この宇宙で誰も書かないだろうから、多分、茂木さん含め誰かの役に立つでしょう)、黒田清輝は、今日に至るまでの東京芸大及びそこをとりまく東京画壇に、二重のねじれを生じさせた。

 第一に彼が直輸入したのは当時パリで流行していた印象派の方ではなくて、寧ろボザール(芸大)流の官学風の写実作風だった(ボザール教授になったラファエル・コランに師事したのが影響しているらしい)。それで黒田は、薩長藩閥を背景に、前小論で出した芸大内政争で天心排斥の台風の目になって、いまだに残る洋画と日本画の分裂を招いたばかりか、悪名高いというべきでしょう石膏デッサンの「THE受験勉強」みたいなのを真似させた(自分もやりまくらされた)。
 芸大の方はというと、黒田らの模範にしたボザールと同じで、流行についていけないばかりかそれへ反動的な(いわば足を引っ張る)役割を果たす、保守派と権威づけのガラパゴス同業組合みたいになっていく。
 が戦時中に西洋から米国へ亡命した画家らにより、主要美術界が米国へ移り、彼我の落差は敗戦を経て極端になりすぎたのもあるんだろうけど、東京芸大には先端芸術表現科なるものが設えられたわけでしょ。(ここはここで相当な有様というか、要は仮設美術(インスタレーション)派がはびこってから悪い意味でも正になんでもありで、ここで深く立ち入らない)それで似非前衛が他科にも伝染し、例えば小磯良平なんかに典型化されていた旧写実画的なガラパゴス古典性(それも黒田通じコランの影響を受けたので疑似古典派みたいなので、イギリスのラファエル前派みたくルネサンスに範をとるようなある種の正格ではない)は段々肩身が狭くなっていく。
 で。僕が芸大受験した頃は、村上隆らサブカルの影響受けた(ここでは大雑把な立論の立場なので、まとめて語られることがある奈良美智さんには、この点で異論があるでしょうが)表現をしていた人達まで登場し、この混乱が最頂点に達していた。講師は全然指導できていなかった。何を教えていいかわからない状態で、立場上偉そうに虐めてくるのだから始末に負えない。
 つまり、黒田が芸大洋画科に移植した代物は、コラン流フランス芸大(ボザール)風の疑似古典様式だった影響で、そこを巣立った佐伯祐三なんて、当時のパリにいって野獣派のブラマンクから「アカデミック!」と罵倒され、アイデンティティ喪失まで経験している。印象派的構図を彼我2倍にしてある。
 黒田が明治画壇に藩閥政治を持ち込んだ歪みは今日に至るまで全国公募展・会派全体に影響を与え、そもそも日本人が日本で描いたら日本画でしょ、なる素材論様式論の矛盾をずっと抱え込んだまま、洋画なる異様な分類(写実風疑似古典もどきしか認められない完全ガラパゴス世界)がまだ現役なんですよ。
 茂木さんは以前、日展を頂点とする官学風画壇を「ダサい(田舎い)」、世間知らずでガラパゴス化した欧米美術(特に最近は米英)の流行についていけていない上に、サブカル比で独自性もない紛い物として、かなりきつい言葉で非難を加えていた。この第一原因が、既に黒田と印象派の逆ベクトルにある。

 第二に、天心はどうだったかというと、黒田より先にフェノロサと欧米美術館巡りをやって、当時の彼の記述を読むと欧米美術は表面的な代物、精神の気韻を表現できている点で、大和絵を規範とする日本画(浮世絵ではない)の方が優れた点が多いと見なした。これはよく考えるべきことで一理も二理もある。
 なぜそういえるかなら、当時の西洋画は元々古代ギリシア(日本でいえば縄文土器みたいな)の神像に範をとる裸体画の解釈から、結構入り組んだ論争に入り込んでいて、マネ『オランピア』は娼婦をそうとわかるよう描き公募展に出品されているのだが、様式は神話画風でもあるからスキャンダルになったと。元々、フランスのサロン・ド・パリ(仏王立絵画彫刻アカデミー主催の公募展、官展)で古代ギリシア風の裸像を鑑賞する時の審美感は、女性への性的な目線か、それとも神々の物語への同一化した共感なのか、猥褻物論争を呼ぶ結果になっていた。
 で、こういうマネの如何わしい行動を端緒に、上記の落選展とかセザンヌみたいな、パリ界隈なりフランスにいた画学生らの分裂がみられ、ルソーとかロマン派の人権思想とか自然・感情賛美を背景に、アトリエ(貧乏な画学生・若い画家らだったんで大概が屋根裏部屋でしょう)から外にでて即興で絵を描きつつ、田舎に引きこもったりして色んな画風を探求する若手が出てきたと。これらの凡そ全ての流れを天心はみて、いってみれば形式主義に過ぎないと考えたのでしょう。
 この裸体画論争は、黒田がまあフランス・ボザール(芸大)かぶれといっていいでしょうが『智・感・情』などで日本にも直接もちこんできていて、更に事を複雑にしている。日本の場合は、女性の裸体を直接表現するのは浮世絵・春画など、今で言うサブカル的な領域の下品なことだったのだが裏返してしまった。
 天心からみて、仏画、水墨画、大和絵、琳派といった日本画なるものの伝統は、黒田らボザール追随者とも、印象派ら当時の前衛西洋美術とも違い、内容主義というべき高貴な精神的主題を扱っていた。この美学は『東洋の理想』で語られていたわけで、西洋かぶれ明治政府と折り合わず在野に排斥されたと。この精神の表現を尊ぶ構図は、天心に師事した大観、春草、武山、観山、飛田周山(五浦に天心を直接案内した芸大生で画家)らの中で形をとり、空気を表現できないかといった天心の趣味に叶ういわゆる朦朧体を生み出し、天心死後に琳派をとりこみ、今日までの日本画の非形式主義の原型になったと。
『徳川邸行幸』木村武山、1930年、聖徳記念絵画館壁画(解説は後述)
要するに、印象派を巡る黒田vs天心という絵画美学論争の緒は、天心は福井の侍の子、横浜生まれですので、親藩だったのだが、薩摩の侍側の黒田が西洋かぶれ的猿真似構図を、美術領域に直接もちこんで暴政的な排斥運動の目になっていたことから、今日までの決定的亀裂を生み出し、画壇混乱の元なのです。

 そしてですよ、何を隠そう大観とか、上述の武山の絵をご覧に入れたらおわかりになりますよう、彼らは常陸(茨城)水戸徳川家による治世下の子ですので(他に下村観山も和歌山の出なので紀州徳川系の子です)、要するに武士道的な忠義で、水戸学的に、天皇、徳川旧将軍、日本に魂で仕えていたのです。まあ彼らは明治期に突入したから芸大入ってそこで魂の師として愛国心に燃える天心を仰ぎ、画家になったけど、大観や春草らは徳川体制が続いてたらお侍さんのままだったと。しかし黒田派は明治政府の権力使ってフランス芸大かぶれの裸体画とか偉そうにおしつけてきて、反りが合うはずもないわけですよ。
 この構図は、和魂洋才みたいな型にはまった思考原理で、明治以前の日本の良い面をも一緒くたに否定しつつ、浅はかな薩長閥が西洋の表面だけまねしたといういつもの事例なのだけど(帝国主義まねた松陰の侵略思想だって、今に至るまで安倍政権として続いてるがそんなもんでしょ)、美術版でもあったと。

 で、この第二のねじれというのは、日本画なるものと、洋画なるものの間にあるねじれなわけです。(第一のねじれは上述したよう、その洋画なるボザール(フランス芸大)流疑似古典風のガラパゴスなものと、欧米前衛美術とのねじれです)
 更に副産物で日本画なるものと欧米前衛美術のねじれも生じる。

 茂木さんが好きなイギリスにも、実はこの島国特有の、帝国的大陸文化の流行からの遅れなりずれやそれに応答した相克はあって、上述したラファエル前派は、少なくともそれで、イタリアルネサンスに対応した独自美学として生まれた。が、日本の美学の入り組み方というのは印象派辺りから凄まじい物があるのですよ(だからこそ前小論で書いた様、自分は現に前衛画家の悲劇の中で生きているのに加え、日本人一般が近代化の最初期に雑誌などで情報が入ってきたためTHE絵画だとすっかり思いこんでいる印象派を、単純に愉快がって綺麗だね、と楽しめない面もある)。
 イギリス美術は、ずっと古代ギリシア、イタリア、そして近代フランスという西洋美術の大帝国からみて、ど田舎のペンペン草しか生えてないと見下される位置にあり、漱石だってターナーしかいないとかフランスいきゃよかったとか(これは余計だが)、美術における被差別的地位を認めていたわけですよ。そんで、大英帝国博物館だって、正直いって盗品ばっかり展示してあるわけで、そこにやっとラファエル前派がシェークスピアを描き、朦朧体みたいなターナーが出現し、サージェントが出てきて、隣国から変人(ベーコン、褒めている)が来て、賑やかになってきただけで、ターナー賞エラクないのです。
 僕はターナー賞の展覧会を六本木ヒルズで昔みましたけど、確かに全然エラクなくてびっくりしたわけで、ハーストとカプーアしかいないくらいで、超マイナー作家の巣窟、イギリス人は貴族ぶってはいるが「芸術文化的に」閑散としてる田舎国なわけです。これは権威づけに英政府が創った素人操業の賞です。
 ほんで、彼らはサザビーズとかクリスティーズみたいな、競売会社で有名になっているけれども、これだって美術文化全体から見たら如何物なんですよね。ここでは深く立ち入らないが。そういうのを揶揄してバンクシーがブリストルというさらなる田舎で騒いでいる状態だから、荒れ果てた国といってもいい。そんなロックで荒廃した国を、略奪経済沈没したからもうロックアート自慢しかやることないだけなのに、恥知らずにも漫画版で日本政府が「ルール・ブリタニア」の元ネタも知らず、クールジャパンっていいだした。あれは村上隆ならずとも恥ずかしいですしいまだに勘違いは京アニ系逆ひいきで続いている。
 ここでいう京アニ系逆ひいきとは、浮世絵の逆ひいきと同じ構図で、遣隋使から始まる「外国(先進国)劣等感」のまんま、外人(戦争が強い国)が褒めたら便所紙(浮世絵です)でも礼賛するというやつで、ろくに知りもしないのに京アニは日本の誇りなんていいだしてしまう。ま黒田からなんの進歩もない。

 ここで書いてみたのは、黒田清輝さんは別に極悪人でもなかったのかもしれないが、当時の先端だった印象派含む以後のエコール・ド・パリにまんじりとも直接学ぼうともせず、なぜかボザール(仏芸大)に習ってしまう上に、全てを悟っていた先輩格の天心さんを排斥運動する二重の愚行で、大混乱の礎ってこと。
 最後につけくわえておくと、僕も田舎生まれだし都会暮らしの結果で田舎が好きなので、イギリス的な田舎好きに共感もするし(この点では埼玉・九州系で、思春期以後の東京かぶれが酷い茂木さんとは対立する思想的視座も毎度多いが)、フランスでも田舎美術が先端を切り拓いたし、都会礼賛ではないです。

(上図は水戸の徳川家を明治天皇が訪問した時の絵で、2代義公以来、皇室を神の如く仰いできた水戸家にとって、慶喜公の大政奉還後に尊皇心を確かめに来たのだ
花ぐはしさくらもあれどこのやどの代代のこころをわれはとひけり
と明治帝に歌われた場面で、水戸藩や茨城文化からすると重要な内容の作です。
 なぜこの絵を日本画なるものの例に出したか。文脈論では、のちのオールオーバー様式とか、ミニマリズム要素とか、既に花鳥画や大和絵・琳派風の文脈上で形式的に先取りしているし、彼らの開発した朦朧体も枝の奥行きに生かしているわけで、内容もしっかりしていて、彼我に超越する立派な絵だからです。
 私は実物は未見だが、質感論なり感覚論、精神論でいうと、国花でもある桜の、舞う鳥と祝うべき、明治の春の日の圧倒的な見事さを前にした明治帝が、「しかし目に見えない(尊皇の)魂の方が有り難いのだ」と歌われた場面で、その技巧を駆使した表現的美質を象徴的に否定するところまで描かれていると。まあ西洋画でも米国画でも、いいかえればこういう文学的・哲学的含意を含んだ象徴表現(イデアの表出)は、正に上記のラファエル前派以後なら、文脈とか無視してワイエスとか一部の人に片鱗しかみられない。後はデュシャン的形式主義の方に偏っているともいえる。その意味で、日本画にも傑出点はある)