2019年9月19日

哲学、職業、商業への疑い

各科学や学問自体だけでなく哲学そのものをも疑うことだ。そしてここに逆説としての哲学性が生じてしまったとしても、哲学的であることが真理の担保だ、という形而上学の立場は、その形而上学自体が人工物で、信仰の束であれば、根本的にありえない。
 自分が哲学者と名乗ってみた時の違和感や、畏れは、その界隈に戯けている大勢の偽哲学者、つまり官学的な思想史家らの底なしの敵意が予想されるだけでなく、彼らの束がもともとソフィストでしかなかったとしても、やはり同じくらい悪質なのが分かっているからだ。
 自分が哲学者と名乗ってみた時の違和感や、畏れは、その界隈に戯けている大勢の偽哲学者、つまり官学的な思想史家らの底なしの敵意が予想されるだけでなく、彼らの束がもともとソフィストでしかなかったとしても、やはり同じくらい悪質なのが分かっているからだ。ソクラテスもイエスも彼らに殺された。
 名乗りなどなんの実際性も伴っていないが、現に名乗ってみると、そこには反射として自分を拘束する役割がある。職業は本来的にそういうものなのかもしれない。だから私は思想家と哲学者の語彙に、僅かな差しかないとしても、ここになにか問題を感じる。後者は官学界を超えて、本来、論争を呼ぶものだ。

 芸術家もだが、哲学者もまた称号だ。そして少なくとも後者の称号を名乗る人は、自分の言説がタレスなりソクラテス以来の、古代ギリシアの伝統へ接続されてしまう。そして官学者は、この領域に権威づけを要求する。もともと信仰に過ぎない形而上学を信じさせるには、力を除けばそれしかないのだから。
 芸術と同じで、哲学の本領も、やはり官学と根っから馴染まない点がある。それをいえば全科学もなのだが。もともと、官学風の存在意義はなんなのだろう? 既にその種の権威づけが生じている時点で、学識は停滞し、形式化し、退廃し、真の事実かどうか疑われ、確かめられなくなっているのではないか。
 大抵の商人ら、つまり一般人らは、学問をシグナリングの手段としか見ていないし、その種の実利志向は、福沢の実学思想とかジェームズの実用主義(pragmatism)を超えて、完全に知識を金儲けへの応用的価値にしか使っていない。だがこれが反官学的だろうか? 寧ろ官学風の本質と一致するのではないか。

 哲学者と名乗る方が偉そうかもしれないが、別に、思想家だろうと哲学者だろうと大して中身は違わない。しかし、これらの言葉が出てきた由縁を辿ると、哲学の方はより挑発的な意味をもっている。それは知恵者ら、科学者らの弱点を助産術で覆す、最近の言い方でいえば論破的な論争法の別名義だからだ。
 私は、ツイッター上で肩書を書く必要に駆られ、自分が何者か他者のため定義しようとし、とても長い間悩み考えた。その結果、最終的に自分の活動性、志向性は不確定なので、仮定しかできないにせよ、一定のベクトルを社会で典型化されている類型と、一部重ねられるのを発見した。しかし違和感は残るが。
 私が考えているのはウィトゲンシュタインや、キルケゴールの様な人物の存在だ。彼らは生前、哲学者と自称していたのか? (していたかもしれない)もしそうなら、彼らの生産物が他人からみて思想であり、哲学自体はその志向性だったのである。
 学会で文献学じみた論文を出す人達は哲学者ではない。

 もう一つ、私がはっきり捉えきれていないのは、そもそも自分は芸術(特に絵)と、そこから派生して始めた文芸の延長上に、哲学的な学問世界が出現してきた結果として、前者を半ば否定するに至ったということだ。この点では私はプラトンと似た経路を辿って考えを進めてきた。違うのは回帰している点だ。
 私は「哲学者」の様に、20代の殆どの時間を、一人で思索と読書に費やした。なぜそうしたかなら、私の脳はその様な作業を最も求めていたからだ。私は真理を集め、なぜ産まれてきたか知り、よりよく生きようとした。だが世間は私を絵描きとしてしか評価しなかった。それで余技みたいに絵に戻った。私はその種のルートで絵を描き続けているのだが、そして同時に「そもそもなぜ自分が絵を描くのか、絵とは何か」から絶えず抜本的に見直してきたのだが、私自身というより完全に、世間に私が利用されているのではないかと思う。私自身は絵を好きにさせられていた。褒賞で誘導されたからである。
 プラトンにいわせれば「イデア」が目的かつ本体で、画家なり芸術家なりはその写しを形にする。だが私は思想の表現という矮小化した定義でしか絵や芸術があるとは思えない。感動はイデアによって起こるものだろうか。感覚的な感動と、イデアの写しとしての哲学的要素は、実際には別なのではないか。
 科学は広義で哲学の一部だから、ここで私の中で対立しているのは、芸術と哲学である。この両者に絶えず引き裂かれつつ、両方を前進させ続けるしか私にはできなかった。だから私はこのどちらかに自分を集中させられない。私自身は絵を、寧ろ世間に描かされているのだが(賞を与えられるくらいなので)。

 寧ろ、私は絵を自己実現なり自己救済の手段にしていた節もある。いわゆる昇華だ。哲学なるものは文芸なり話芸の一種とすれば、やはり一種の知性化なのではないか。このどちらも、実際には私が世間にやらされている活動なのではないか。しかも、私自身は職業化した芸術家でも哲学者でもない。私はこうして、職業名に完全にあてはまるものではない。根本的に人を動かしているのが性衝動の向け換えだとすると、自分は職業を手段としか思えない。だから、20年来続けてきた絵も、その原理探求の為の哲学も、本当には私の目的だと思えない感じがする。アリストテレスは自己洗脳したのではないか。
 哲学、特に観想が最高幸福だ、とアリストテレスは言っていた。これには理屈の裏づけ(人間固有の特徴が理性なるもの)があったので私も完全に疑いきる所まで行けていないが、しかし疑わしい考えだというしかないだろう。理性など後からできたし、機能は後づけだ。なら哲学なる伝統そのものも疑わしい。アリストテレスがいうよう人は、社会にとって比較優位な、最も得意な活動をすることを生きがいにし、ある職業人になるとすれば、私のそれはこの社会にとって経済的価値があるものではなかった。だから私はひたすらこの国の人々に貪られたが特にかねが儲からなかった。つまり私は職業を奪われたのだ。

 最も得意な活動ですらひたすら赤字にしかならない人は、資本主義経済を採用している地域では貪りの対象になり、やがて殺されてしまう。だから絵にせよ哲学にせよ、その他の芸術にせよ、私はこの国で生きていけない。貪りで殺される前に逃げ出さないといけない。私が生きていける国へと。もし生活保護はいうまでもなく、外国のいずれの場所でも私の能力が、世間の経済的価値と交換できるものでなかったなら、少なくとも資本主義経済の浸透していない場所に逃げ出し、そこで食べ物の分だけは糧を得なければいけないだろう。日本国の範囲は、この意味では死地である。商人以外死に絶える。
 商人以外が殺される国。集団。そこが最悪の住み心地だとしても、彼らは貪ることしかできない。それが彼らの信仰だからで、貪りが救いだと自己洗脳を疑いはしない。より他人を貪ること。何かの対価に貪りを重ねること。
 私にはその様な国は地獄にしか見えないし、悪徳に合わせるのは本旨に反する。

 私は商売が一番嫌いだったから(母の実家は江戸時代から続く個人商店だったが、コンビニやスーパーの侵略もあり店を畳んだのも無意識に関係しているかもしれない)、商業化しきった日本には全く生きる余地がなかった。だから一度も日本を好きになれた試しがなかったし、商業地東京は全てが最悪だった。
 商人らは、彼らの望むものを、同類と交換し、その貪りの習慣に馴染んでいる。なぜ彼らがそうなれたかといえば、相手も自分と同じくらい利己的なのを前提にできるからなのだろう。だが私はそういう商人らが全員賤しい様にしか見えなかったし、実際貪りの習慣の点で彼らは私と真逆の精神の持ち主だった。
 だが不思議なことにというべきか、当然か、私がもう一度生をやり直せても、やはり商業を避けて生きたろう。ミルがいう様、不満足なソクラテスの方が良い。これがただの合理化で反動形成なのかだが、上品さとは欲充の婉曲的扱い(否定しながらの肯定)だから、高潔な人なら今日、非商業的に振舞う筈だ。