鈴木雄介ブログ
2019年8月30日
詩聖
余はもう飽きあきしたのだ
この俗世に
だから余は誰とも会話しない
誰とも関わらない
余は花鳥風月を友とし
古の隠士の如く詩画を描いて過ごす
その果てに資本主義に殺されようが
余は賤の連中に何も共感できなかった
しかし余には唯一性愛なる理路で
世と接する道が残った
余がプラトニズムの詩聖か
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