2019年8月31日

私は商売を否定し商業地である都会に近づかない

さっきうまれて初めて気づいたが、都会に憧れている人達が「有る」田舎に「無い」と、わけのわからない二分法で、一体何を有無といってるのか、私はこれまで何一つわからず完全に疑問のままで、そして彼らが幼稚な二分法で何を差別してるのかさえ全くわからなかったのだが、商品経済のことと悟った。
 私は商品経済、いやもっといえば商売なるものに何一つ全然関心がないので、完全に盲点になっていた。確かに私は新宿界隈で生きていたので周りにぐちゃぐちゃと売り場の狭い本店はあったが、逆に郊外の方が巨大で品揃えのいい実店舗が無数にあるのも田舎生まれで知っていたので、意味がわからなかった。
 彼ら都鄙差別を二分法でやってる人達を、きのう機会があってある場所で観察したのだが、その人(関西のどこかの田舎の人)は商品や商売生活についてやたらと熱意を込め語っていた。一日経ってその人が言ってたことを思い出してたら、うまれて初めてわかった。ああこの人達、商売の中で生きてるのだと。

 一昔前、エコノミックアニマルという言葉で日本人は揶揄されてたが、少なくともその商売猿みたいなものに、ほとんどの人達がほぼ生まれながらに完全になりきっているのだろう。年端も行かない頃から広告入りユーチューブでヒカキンみてりゃそうもなるなと。最近経費で浪費自慢しか持ちネタ無いので。
 正確にいうと、その人達はまあ古代以来の皇室含めて、相当の愚人で、都鄙なんて濃淡があって大抵の部分は中間地帯の中小都市、田園都市、郊外、田園、田舎町、里山とかといえるだろうし、ほぼ自然だけのど田舎を都心部と、二極化して捉えてるのは認知力の低さであり言語知能の低さでしかない。
 更には、都心は実は買い物には向いてないのは実際に暮らしたら分かる話で、満員電車で大きな物なんて運べないし買ったら送料かかる上に、地価が高いせいで都心の本店は売り場面積が狭く品揃え悪く高かったりする。隙間商店みたいなのがなくはないが、そんなの通販でも買えるご時世で余り優位性ない。
 ではなぜその中華思想風の都鄙差別論者みたいなのがいるかだが、彼らからするとその些か単純すぎ、しかも悪意ある思考の型が、青い鳥症候群用に都合がいいのである。パリ症候群の東京版は、実際に都心で暮らさない人達にとって隣の青い芝生幻想で、実際に暮らしてる人達には身びいきな確証偏見なのだ。
 米国でニューヨーク、ワシントン、シカゴなどの大都市部から中小都市へ人口流出してるというブルームバーグニュースみたが、恐らく地価・物価高騰や、治安・環境悪化などの影響と思う。所が日本でこういう動きはない。なぜかなら日本人全般はより認知力が低く、二極化でしか物を捉えられないからだ。よく都民でいるのは、田舎暮らしに憧れるといっていきなり北海道のど田舎、というより周りに店すらない大自然の真ん中に移住する人。しかも北国の環境を想定してないので、雪にやりこめられすぐ挫折する。こういう人って一言でいうと馬鹿と思うのだが、すぐ近くに田舎町があるのに全く見えてないのだ。その中間地帯の田舎町の人からすると、中小都市にたまに買い物か通勤通学には出るけど人多くて疲れて家に帰ってきてホッとするだろうし、都心はディズニーランド行くとか受験とか用事がなかったら雑踏なんてまれにでいいだろうし、かといって山奥も不便でキャンプや行楽くらいにしか行かないわけだ。然るに、この都民という存在はこういう田舎町的な「普通の田舎暮らし」を一切合切認知できていない。なぜなら中華思想の二分法脳なので。しかもその中間地帯の、都会のよさも自然のよさも味わえる中庸な暮らしの良さを、徳として理解するほど賢くないので、なぜか逆に侮辱して生きているのである。
 そして冒頭に出した、恐らく都会度100~0でいうと20くらい(つまり田舎度でいうと80くらい)の人は、都会度30~70くらいの部分が盲点になっており、白黒どっちかしか認知できない脳なので都会度100には「なんでもある」とか妄想している。一体そんな都心部どこなのか、皇居の隣に暮らしてみろと。

 一応、若者文化を考慮すると、都心部に一体子供が好む何があるかというとタピオカランドとかいう児戯に類するお上り搾取空間とかそんなもんと思う。さもなくばコミケだのAKBライブだの汗臭いチェックシャツオタクが戯ける異様な児童買春じみた偶像崇拝空間とかだろう。本気で。逆に隙間は大してない。こうやって考えてみると、中華思想は天皇と名乗っている殺人狂一家が大陸からもってきたとんでもなく陳腐な差別の二分法体系で、現時点でも生き残ってるのは完全に時代錯誤、いやそれどころかはじまりの時点から愚昧の極みとしかいいようがないであろう。都会の方が醜悪な点なんて無数にあるのだから。
 唯一ついえるのは、日本人全般は大本営発表をうのみにするのはいうまでもなく大衆媒体の洗脳や、ネットで流布される他人の噂を丸呑みにする正真正銘の馬鹿が腐るほど多く、というか各国でのメディア信用度のデータや近現代日本史みればわかるがほぼ全員がそうなので、東京人に宣伝目的で情報汚染されている。東京人全般がもし賢明で、感性豊か知的謙虚、そのうえ道徳的な人達だったら、残念ながら冗談抜きでそんな東京人一人もみたことがないにせよ、都会なんてこんなに酷いんですよと現実を正直にいい、中間地帯の田舎のよさを誉めたろうし、北海道や沖縄の大自然を過度に賛美したりもしなかったろうと思う。
 現実の都民全般は不正直な悪徳商人な上に虚栄心にばかり耽る傲慢極まりない衆愚なので、とかく東京全体を恥知らずに自画自賛しながら汚点を隠し、利己というより暗黒級に田舎差別しまくっている。まあそれも白黒二分法の極論で、大自然には観光地として魅力を感じているらしいが、唯の消費者としてだ。生活する側からしたら観光公害の原因の「観光客の哲学」とかいい頭ごなしに田舎を小馬鹿にしてくる、しかもけちでケガレた俗悪極まりない俗物都民なんざ一切きてほしくないだろうし、いいから地方交付税払って都内の会社の原発とめろよという話で、搾取が生業の東京商人なる存在自体、迷惑なのである。
 我々は当事者にせよそうでないにせよ、福島原発を完全に他山の石としなければならない。私は震災も原発事故も現地被災者なんでまったき当事者だから、文字通り自山の石なんだけど。なんでかなら都民全般は観光地扱いしてくる自然をぶっ壊しまくって汚しまくって平気でいるのであって利己しかないのだ。

 最初に述べた女。この女は関西のどっかだから、リアル東京都民の下卑た資質を何も身近にみていないのだと思う。まるでKPOPしかみずに韓国全部を分かった気になるみたいなものだ。まあそういう馬鹿を客にしてるから悪質なんだが、新海誠アニメとか、村上春樹小説とか。アマザラシは真実を語っている。
 とにかく私はやっと気づいた。こいつら商売人だったのかと。だからやたらめったら商店街だのなるだけ背の高い事務所ビルが密集してないと「無」というのかと。私はそういう超高層ビルで教育受けたからいえるが、建物が高いと偉いと思ってるやつは建築について何も知らない奴である。なぜ超高層ビルができるかというと、地価の高い場所で容積率だか床面積を確保する為だ。つまりあれはケチってるのである。ああしないと建てるだけで赤字になってしまう、悪環境なので、無理やり縦に伸ばしている。だから構造的にも居住環境からも無理してるのであって、設計してみれば分かる話だ。私は建築の専門学校の卒業設計で超高層ビルやった。実際に設計した限り、超高層は流行らないと講師にいわれたけど、当時はそう思ってなかったが確かに、あれは商売のケチくさい要請でああなってしまっている代物なので、贅沢な建造物と思ってるのは何も知らない恥ずかしい輩である。事実として。結局、そんな無理やり天に伸ばして金儲けしたいだけのしょぼい事情の建物で、喜捨せぬ輩と恨みの一撃ぶちまれて倒れてもそれは自業自得といえる様なのが、特に旧WTCのミニマリズムの設計だったわけだ。構造的な冗長性が低い、経済合理目的で建てた、まさに拝金主義の悪徳の象徴。何に憧れるのか?

 私は商売が嫌いだ。だから今日、ダンバー数までフォローする実験してみたらおすすめに表示されたかで一部業者アカみたいのがフォローしてきてたぽかったけど、対極だから真性商売人が自分をフォローするのは多分やめた方がいい。同じ意味で私は東京文化なるものに何も馴染めなかった。商売社会だから。そして10年くらい暮らした限り、私は東京なるものが大嫌いになった。なぜならほぼ全員が商人で、しかもどっちかといえば貪ることしか頭にない無能な悪徳商人で、ほぼ全員が全員天敵にしかみえなかったし、環境も物凄く汚くて到底暮らせたものではなかったし、風紀も最悪で特にいいところがなかった。
 私が好きなのは何かといえば、主に芸術だ。しかも主には商業性や大衆性をもっていない、かつ、上品なたぐいの純粋芸術で、そうであるからには大衆的・商業的・ありうるかぎり低俗と3絵柄が揃っている東京文化の主流なサブカルチャーは全く好みではないどころか、ほぼ真逆だ。なので余計嫌いになった。気が合わない人は一緒にいない方がいい。人類は四捨五入して76億人ほどいるのだから、好きな人とつきあって生きてればいい。そういうわけで、その関西人女と私は全く馬が合わないに違いないので一切接しないべきと思うが、ここでは人間分析として書いた。
 もう少し続きを書く。関西文化の分析だ。

 関西地方は近畿と自称する自文化中心主義の権化で、彼らは古代から中世に弥生人として侵入してきた連中を中心に、朝鮮半島からの移民が入り、さらに先住日本人らとも若干混じって成立した。そこでの教祖兼権力者の親玉だった天皇が商業都市を作ったので古くから商品経済に馴染んでいる傾向もある。で、その関西女からしたら、商品経済が人生の大きな部分を占めているのは間違いなく、やれこれが安いあれが高い、都会にはあるがここにはないだのといっていた。私からみると商売上のやりとりが全部嫌いなのでその女の言動全体が地獄的で吐き気を伴ってみえるのだが、関西文化は東京文化に近いのだ。
 サイト「都道府県別統計とランキングで見る県民性」の類似都道府県をみると、東京は寧ろ首都圏北部より関西圏に似ている。実際、都民は自分を関東人と思っておらず、東京を別格の地方でない場所と中華思想で言い繕っているが、普通に関東地方なわけだ。京都人が関西地方蔑視するのと似た虚栄心である。で、この関西地方、特に京阪神と東京圏が類似な原因は何か。江戸期に家康が大坂商人よびよせたのに由来していると思われるが、商業地としての性質であろう。まあ一言でいうと商人気質の集団。それで私は全然肌に合わなかった。私はそういうこすっからい連中が悪徳の塊と思ってるので避けているのだが。
 その関西女は、関西地方のどっかの田舎から、東京圏に移住したいといっている。さっさとしろよという話だが、なぜか行きもせず田舎を一括りに悪口三昧している。いやお前の関西の特定の田舎がお前個人には駄目なだけでしょって話で全世界の殆どを構成している醇風美俗の田舎人全般に大迷惑でしかない。そして、この関西人は東京人と最初から似た者同士というか、根本的に商人気質に染まっているのか、生まれながら利根なのかでエゴイストである。しかも程あれおつむに問題があるので、自己中心的にしか物をみれない。それで都民一般とか洛中人一般と一緒で、中華思想やその残滓な自文化中心主義に耽る。
 まあ私の精神にいわせれば皇室もこういう連中と習性的に似た様な俗物で、自分が中国神話の神の末裔だとかほざいて1400年近く殺人や大量虐殺命じるとか、税を貪りまくるとか、エゴイストどころかダークトライアドとしかいえないし、私は個人的に、皇族は道徳面で人間界で最も軽蔑している人達である。
 この関西女も、商品経済しか頭になくなるくらい視野が狭いといおうかわけがわからないと言おうか、なんというのか当人が気づかない関西東京気風に染まっていて、しかもその商売気質がより極まっている場所に行きたいといっているだけなのだ。全体として吐き気がする輩で、私の一番嫌いなタイプである。
 じゃあ逆に私がどういう人が好きなのかというと、私は純朴な田舎の人が好きなのである。これは国内でいうと大体の東北人とか私は北茨城だけど凡そ地元の友人とかで、根が素朴なので正直で隠し事がないばかりか、本質は性善的に生まれついていて大抵が信じられる。これは海外の田舎の人もそうだったが。
 まあ結局のところ、私は大抵の都会人が人間として嫌いなのだ。どういう面が嫌いかなら、先ず風紀が堕落している様に感じられるほど低俗で、性的に不潔だし(まあ裏を返せば女なら媚態をもってるともいえるのだが)、狡っ辛く金に汚く、とかく性悪が多くてプライド高いのに馬鹿と、ろくな人間がいない。他にも俗物根性の塊で顕示的消費の度合いでステータスをはかり、他人を見下し嘘ばかりつくし、ガヤガヤうるさく下品な話題ばかりしてる癖に頭は悪いので自分が上品と思い上がっているし、頭の中は差別で埋まってるので浮浪者を侮辱するわネットなら田舎や韓国を侮辱してるわ、人でなしみたいなもんだ。
 それほど嫌いなのだから私は東京横浜京阪神とか都市部が地上から消えたらいいと思っているのは間違いない。今すぐ原水爆おちても、別にサイコパスでもないけれども「やっと消えたか」と思うくらいで、親族も住んでるけど余り同情の余地がないと感じるくらい、都会人全般の生来の性質が嫌いなのである。
 勿論それほど嫌いになったのは、実際にくらした東京全般の環境が現に死ぬほど悪かったし、そこでみた人達の精神構造(というか利己的な商売人気質)も大抵呆れるほど相当ひどかったのは前提として、原発事故が最大の訳だ。あのとき都民全般の醜態を目撃した被災者の一人として決定的に嫌う理由はある。

 結論を書く。普段から下衆な連中は、いざとなったらもっとゲスさを発揮する。これが大震災に重なった世界最悪の原発事故を生き抜いた私の人生経験則である。なので普段から軽蔑すべき点ばかりが目につく都民全般に、いざとなっての改心なんて何も期待できないのだ。これが冷酷なこの世の真理である。勿論あの震災中に立派で英雄的な行動をとった人も、超少数派の都民として存在した。具体的には江頭2:50とか、ロンブーの淳とかだ。後者は下関人だった気がするが。でも東浩紀とか石原慎太郎(当時の都知事)みたらわかるとおり普段からゲスい言動してる人はいざとなったら吐き気なしにはみれなかった。
 私が致命的災害の現場でみた人間性の真理としていえるのは普段が全てということだ。それで、私は普段の行状が優れない全ての人を忌避し、遠ざけることにした。そこからいうと常々性悪なイケズほざく京都人一般とか、中華思想だの金と娼婦の貪りだの再稼働要請に耽ってる都民全般とか、友になりえない。勿論、商売人もそうだ。当時、広告をとりさげお見舞い述べていた企業群の中で、柳井正のユニクロだけは、震度6以上が数分ごとにくる余震の只中で、原発事故の恐怖と津波被害者の死体の間に広告入れ、相も変わらず金儲けしていた。本当にあれで文化衝撃受けた私は二度と長州商人に近づくまいと誓った。
 普段から根っから善意の人、それも自分の利益を省みず、他人へ無償の利他行動を行っている人だけとつきあえ。これが私の得た教訓だ。そうしてきて何も損害したことがないし、得しかない。私自身もそうあろうとしてきているが、何も後悔はない。人は聖人以上の存在であるべきで、至善に止まるべきだ。
 商売文化は邪悪なものだ。大震災の中でセブンイレブンは本部に聴かないとなどといい、食べ物は余っているのに被災者を締め出した。地元のスーパー(サンユーストア)は、妊婦がいる事情を説明したら滅茶苦茶になっている店内から食べ物をもちだし売ってくれた。下手すると無償でも配ったかもしれない。私は商売人が嫌いだ。それは彼らが普段から、他人から金を貪る目的で、悪行しているからだ。彼らは言い訳する。その金儲けは価値の提供の見返りだだの、職業がないものは卑しいだの、自分の仕事の対価を得て何が悪いだの。全部嘘だ。震災の最中にみた人間性の真実は何もかもをさらけ出していた。
 国内の仏教僧は堕落した。壇家制度で守られ、戒名で金をえたり、金ピカの悪趣味お堂(京都ご自慢の世界遺産全体のことです)で観光客からただただ貪っている。だから連中は商売人でしかない。無論、仏陀となんの関係もない。ゴータマ・シッダールタの名を借りた商人どもは自我ごと消え失せるがいい。
 人は商売という悪事に近づいてはいけない。無一文で野垂れ死んだとしても、無償で人のために全力で善行し、その聖人以上の存在を餓死させる様な集団で、長生きしない方が優れている。子がいなければそのうまれるはずだった子にとっても、商人と、天皇と称する邪教祖の共食い地獄から救われているのだ。
 その関西女がどうなるか、しったことではない。東京だか大阪だかで金儲け、労働奉仕、経営だか投資だかで一財産築くまで行くほどの知能にはみえないが、少なくとも下級労働者の一員としてネイルだかインスタ映えだかほざきデンプンの塊でも牛乳入りの茶に入れ、ぎゃあぎゃあ田舎差別でもするのだろう。
 私にいえるのは、衆愚の集まりにくらして幸福になりえるはずもなく、もしそこで幸いと感じている俗人がいても、それは偽りか、質の低い快楽にすぎないということである。原発で誰かを殺戮しながら発電された電気で快楽を貪っている外道をみよ。その外道の脳内物質では永遠に、良心の満足を得られない。私は商売を否定する。私は労働を否定する。私は投資を否定する。私は経営を否定する。私は搾取を否定する。私は他人を貪らない。だから私は都会に近づかない。私は田舎にいて、与えられた物で満足し、失って悔いず、ことさら何も求めない。私は他人に並べての物を与え、持ち分も恵まれぬ者に寄付する。