ゴータマの説いた諸々の徳の中で最も優れたものの一つは、死を目的視したことだ。そして自殺より緩慢な乞食による衰弱死を正当化し、信徒間に性欲を否定させ、子供を残さないまま事実上の集団的自死、特に自然死を広めた。親鸞がこの教義を歪曲するまで、仏教はできるだけ安楽な仕方で、生前の利他行動と共に消極的自死を勧めていた。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が繁殖を合理化したのと逆で、仏教は死をうべなう教義だ。この観点からみると死んで行く人々を悲しむ訳もない。寧ろ苦しみに満ちた現世から解脱したとみて喜ばしいのである。残された人々が死を悼むのは、当人の為というより或る死んだ人から得られた利益が得られなくなる自分自身の損失への痛みである。