金儲けできなければ殺される資本主義、自由主義の経済思想は根本的に間違っている。誰もが等しい商才を生まれもってくるものではない限り、半数以下の人々が必ず犠牲になるからだ。
本来、資本市場が有効なのは需給を一致させる為であり、何らかの需要(求め)を満たさない時点でその市場は機能不全である。資本主義の有効さは余剰な金を投資によって市中に回す誘因になる点で、自由主義のそれは過剰生産や物資不足による需給の不一致を市場原理が部分的に解消する点にある。だがこれらはどちらも万能ではない。
こうして経済(商売)単独では永遠に、全ての需給は満たせない。
アリストテレスは正義全体を普遍的正義と部分的(個別的)正義に分け、更に後者を配分的正義と調整的(矯正的)正義に分けた。
ところで、私の意見では、経済は配分的正義を、政治は調整的正義を司る社会機能である。経済で満たせない需要は調整的なそれの殆ど、また配分的なそれの一部である。例えば貧しくて必要な物(食べ物等)すら買えない人がいる市場は既に需要を満たせていないのだから、その時点で資本・自由主義はなんら機能してない。社会の究極目的は需給の完全一致(但し欲望は無限なので当為に留まる)なので、この資本・自由市場はある人の求めを満たすまで改良が必要である。社民主義や国社主義(国家社会主義)は政府の調整で救貧その他福祉の充実を行い、国民全体の需要を満たそうと考える。少なくとも何らかの求めがある人の需給をより一致に近づけられる点では、新自由主義や自由至上主義よりこの考え方は優れている。問題は市場の効率が総体的に低下することだけだ。具体的事業の民間委託を政府が企業やNPO、協同組合、個人等の民間事業体へ発注することで、この社会主義のもつ一般的欠点も大部分が解消される。いいかえると資本主義や自由主義、それらを発展させた新自由主義や自由至上主義の根本的欠陥は調整力の不足で、経済(商売)界単独では永遠に補えない。
北欧より米国が、福祉状況で劣るのは、相対貧困率をみれば最も典型的にわかる。日本は敗戦後、米国劣等感で自民の親米政権が幅を利かせ、第二の米国をめざしている節があるが、この点で北欧より劣った社会思想をまねたのである。即ち社会の究極目的は需給の完全一致、それを不十分にしか満たせぬ欠陥。市場は万能ではない。経済、商売はいうまでもない。だがこれを認められない人々は、商才を順位制と勘違いし、成金を神と誤認し、新手の身分制秩序の代わりに金銭を用い思考を単純化したがる。その種の拝金主義は単に換金不能な経済価値でないものの前で絶対に無力だ。しかも社会の目的を誤っている。
私は社民主義や国社主義の本質を「福祉主義」と名義付けていいと思う。この考え方に民間委託を含め考察する限り、単なる市場万能論だけで永遠に満たせない需要があること、そして社会の目的は商才の順位制ではなく、より貧しい、或いは特に最も貧しい人の需要も十分に満たすことにあると悟るだろう。