2019年8月16日

あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」の観察記

以前、自分がジェンターの定義を聴いたら津田氏がぶちぎれてきて、そのとき彼の大量のフォロワーにいいね、リツイート、返信で心無い暴言を腐るほど吐かれ集団虐待された。で加害者の人達のリストを残したので最近ずっと観察している。
 ところが津田氏が引き続き大炎上中、誰も彼を擁護していない。
 では一体、この津田フォロワー過激派らはなぜあれほど必死になって、高々ジェンダーの定義が社会学のそれと違うのか聴いただけの私を集団虐待してきたのか? ずっとこの人達がなぜあんな行動をとったのか分析するため彼らの既往を眺めているのだが、殆ど全く分からない。
 自分は、彼らが道理より津田氏への妄信を最優先するなんらかの信者なのだろうと思っていたのだが、全く違った。津田フォロワー過激派はただの馬鹿の類だった様に見えるのだ。フラッシュモブのよう津田氏という多数のフォロワーがいる人のツイートに群れ、嫌がらせや暴言三昧していたらしい。具体的に彼らが、いよいよ相談役の東氏にも戦線離脱され、愛知県知事にも全責任をおしつけられ孤立無援状態の津田氏を擁護しているなら首尾一貫した行動原理にみえる。それが信者たる道義であろう。しかし今現在彼らが何をツイートしているかなら、趣味のプラモとか全く無関係の雑談である。
 ツイッター上でフォロワー強者に見える人達の実態などこんなものらしい。信者らしき集団虐待目的のモブは、単に群れるために群れ、道理も何もなくフォロワー強者の手先をやって暴挙や犯罪三昧しているが、いざとなれば誰も教祖をかばいはしない。無責任どころか本物の外道である。某安倍御用の女性政治評論家が、フォロワー数で政治家の質が分かる等とツイートしていた。全くの大嘘だ。その中身といえるのは信者でもない、群れるために群れている衆愚なのだ。衆愚を味方にしてどうなるというのだろう、今回の津田氏がまさにそれで、全然身を挺して守ってなどもらえない。

 東浩紀氏は津田氏や黒瀬氏に責任転嫁というか、個別案件はそっちに聞いてくれ等とツイートし、「意見が入れられない」から降りたといってたみたいだが、そもそもここに根本的な彼一派の問題がある。相談って、批判を含め全部意見が入れられるとは限らないものと思うのだが、ブロック癖と同じ症状だ。自分と違う意見の持ち主、特に自見に批判的・否定媒介的な相手と対話を繰り返すのがソクラテスやヘーゲルのいう対話術で、哲学の基本運動とされているのに、東一門(ゲンロン派閥)は相手が自分と違う意見なだけでブロックし、ますます閉鎖的な反響室に篭ろうとする。津田氏もこの対象になったのだ。
ところが津田氏も東氏の盟友として、このカジュアルブロック癖をもっている。なので致命的な誤りを犯していても自己修正できない。
 一般人からみたら東氏は責任放棄し、津田氏を裏切って逃げた様にみえるのだが、当人はブロック反響室の中にいるので聞こえないだろうし、無謬の神になってしまう。

 津田氏は彼なりの責任感として現時点で辞任はできないと判断したのだろう。あと2ヶ月もあるのだから当然ともいえる。東氏もそれが理解できないとしたら悪友としかいい様がないだろう。もし理解していても自分だけ降りるのは単なる保身と指摘していた人がいたが、確かにそう受け取られても仕方がない。
 東氏の分析していた2点、自分は外野からみていて必ずしも正しいと思わなかった。韓国政府は出てきてないのだから外交問題になど発展していないと批判していた人がいたがその通りだろうし、そもそも天皇制信者を揶揄する聖像破壊表現に気を使うも何もない。偶像破壊はただの宗教改革の一類型だ。根底的に『焼かれるべき絵』の本質は神道の聖像破壊なのだから神道信者に対する冒涜表現を含んでいる。だからこの宗教改革の本体は日本国の政教一致への痛烈な批判を含んでいる。東氏がいうようどれだけ対話の場を設けても、この点で宗教の違う人と冷静に話し合いなど成り立つ筈もないであろう。
 つまり東氏は自分に降りかかる火の粉を避けるため体のよい言い訳を捏造したといってよく、その2点は決して正論ではないので津田氏が全面的に受け入れなくても当然だろう。逆に縁切りの様に津田氏が意見をそのまま受け入れなかったという建前を使っているのも、第三者の目にあからさまになっただけだ。

 天皇信者は尊皇志士だの特攻隊みたいに、伝統的な殺人宗教神道カルトのため平気でテロする実例ばかりあるのだから、単に東氏は命の危険を感じ腰が引けたというだけにみえる。津田氏はガチ左翼としてこの点で謝罪文でも全然退避していない。聖像破壊も色んな解釈できるだろうと芸術論で通している。愛知県はガチ左翼の自由記者を芸術監督にし、いわば国体毀損のアートテロを仕掛けられ、知事が無自覚だったので思想戦の舞台にされている。海外作家は政教一致問題にまで理解が及ばず、愛知県による検閲の点で降りだしたので一層混乱が深まった。不自由展実行委員会は確信犯で津田氏を槍玉にしている。
 東氏個人に関しては政教一致批判とか、反天皇制みたいな太田竜レベルの「進歩的知識人」仕草を全然わきまえていないというか、例えば浅田彰みたいな人物だったら平気な顔でいまどき天皇制批判で怒るなんて馬鹿なんじゃないの? といって済ませていたと思う。この点で覚悟も知恵も勇気も足りなすぎた。戦線離脱の仕方も「卑怯者」仕草にしか受け取れない方法だったので、今後、東氏が進歩的知識人ごっこをしても余り信用されないというか、革命の前線に立つ資格はないといわれそうな気がする。もともとサブカル批評とポストモダンもどきで世渡りしてただけで、政治的実効性はないといわれればそうだが。
 普通に津田氏と団結し、反天表現の自由との論点から世界に打って出れば、国内の政教一致がばれ、離脱した国際作家らと連携し愛知県の検閲を挟撃できたのに、東氏は政治戦術の面で余り考えられてないと私は思う。津田氏単兵で、残り2ヶ月どこまで神道信者や過激派右翼と戦えるか最後まで観察する。