2019年7月24日

新UIを廻るツイッター史と改善案

ツイッターUIは、リツイート、いいね、ブックマークとか3つも選択肢いらないし。日本メーカーみたいな複雑さ。こういう鈍臭さがFAANGに比べたツイッターの伸びなさだと思う。ネットフリックスはよくしらんけど。返信もいらないし、コメント・画像つけられる「いいね」1択でいいと思う。
 機能はリツイート1つのほうがいいか。ツイートorリツイートだけにしたらタイムライン1本に絞られるんだから。わけのわからんアイコンがぐちゃぐちゃあるのがみにくい。ツイッターのいいねって昔からなかった気がする。フェイスブック系のぱくり?
 あと左上のホームのアイコン、その上にツイッターアイコンあるんだから意味ないでしょ。なんで同じ機能のものが2つあるの。
 それと、自分の名前欄とプロフィール欄も翻訳できるようにしたらいいと思う。その部分だけ翻訳できないせいで自分で異言語話者のこと思いやってどう記述するか考えなきゃいけない人がいるわけじゃん。
 あと自動翻訳オンをつけておいて、原文のほうをクリックで開かせる様にすればいい(以前はタイムライン上にもついてたが、なぜか個別ツイートのページにしかなくなりました。マイクロソフト翻訳からグーグル翻訳になったのは寡占につながるけど、無料だからでしょうか?)。その方が手間少ないだろう。
 まだ新UIの問題点ある、誰かがリツイートした内容を右クリック・ダブルクリック・ホイールクリックで直接ひらけない。前までできたのに。要はタブでリツイート先を参照のためひらけないのはウェブからとても見づらい。
 私ならこの左上のツイッターアイコンを、左下の羽ペンのアイコン部分にする。そしたら「さえずる」の意味になるし。なんでtweetなのに羽ペンなのか、矛盾に気づいてないんでしょうか?
 いわゆるマネタイズ部分だと、ユーチューブミュージックみたいに広告消すのに定額制で課金させたらいいのでは? あとツイッタラーへツイートインプレッションに応じ収益分配するか、投げ銭可能にしたらいいのではないですか?
 まだある、たまに他のサイトからツイッター連携で投稿すると一時的にロックされるんだが、あれもメール認証ですぐ解除できる様にしてほしい。前からいってるけど。電話認証しかない、それ使えないなら中の人が手動で解除って相当鈍臭いと思う。なぜもたもたやってるのだろう。
 それと、ツイッターって過去のツイートを時系列で並べてあるから300以降とか一々辿ってみれないんですよね。なのでブログに自分で記述しなおしてるんですよ、私とか。しかも誤字訂正できない上に推敲すらできないので、一定期間で過去ツイート消してるのね私。他のアプリいれて。ブログ連携で、ツイッターに書いたことをブログに自動で直接投稿できる(保存できる)様な公式アプリか、さもなければブログに書いてあるのを自動ツイートしなおせる機能(サードパーティのアプリでも)がほしい。僕にその技術はないが。またはツイッター自体が過去ツイートを簡単に遡れる様になるか。
 それか、上にかいてあるとおりツイートって間違って書いても直せない致命的欠点があるから、普通に推敲させてほしいんですよね。そしたら別に消さなくてもいいかもしれないし。誤解させる様な言葉遣いを、正しく言い直したいなとかよくあるでしょ?
1.一定より過去のツイートってツイログとかに登録しないと容易に見れないので不便(死蔵されてしまう)
2.訂正・推敲できないので消すしかないのはウェブの特性上もおかしい気がする(石版や紙の文章ならわかるけど)
3.手動でツイートをブログに保存する側からすると二度手間はぶく方法がほしい
4.ブログならアドセンスなどでマネタイズできるけど、ツイッターにその種のツイッタラーへのインセンティブがないので、ツイッターアドセンスみたいなのを社内開発すればいいのでは?(そしたら過去ログ辿れる仕組みも、ツイッター社側の総合インプレッションを伸ばし、ツイッタラーのためにもなる)
要するに、私は一定期間でツイートを自らサードパーティアプリで消し、上の4つの問題を便宜的に自己解決してるんだけど、4のツイッターアドセンスをグーグルと組んでやるとか普通にやればいいのに。スナップチャットみたく一定期間でツイート消す公式機能をつける、という方法もあるけど。
 他にも、ツイッターの規約ってとっても分かりづらいところに書いてあって、なにが禁止事項なのか初心者にもプロにも殆どわからないんだよね。はっきりルールをわかりやすく明文化し、BANするならこの項目にふれてますってメール通達に書くべきだと思うよ。意味不明なBANって不安にさせ不条理なので。
 あとこれは通らない意見かもしれないけど、アイコンとか背景とかいらないんですよね。新UIだと目立たなくなったからまだいいけど。ツイッターの本質ってツイート自体なんだから、それ以外の煩瑣な装飾部分とか削ってほしいんだよね。
 まだある。匿名ツイッタラーに荒らしが多く悪質なのはほぼ確かなんだから、少なくとも登録時にしっかり個人情報を書かせるべきと思うんですよ。まあこれはツイッター文化からするとプライバシー問題との天秤になるけどさ。でもその方が信頼度は高くなるから業績でフェイスブックに追いつけると思うよ。
 もう少し細かいこともある。連続ツイートを追加していって間の1個だけなんか違うので消したいな、というときそれを消すと、分裂しちゃう。これは勝手につなぎなおされる様にできると思うので。単に連続ツイートの間のを消したら自動でつなぎなおされるだけでなく、間に新たなツイートを追加もできるとおもうんだよね。できるだけシンプルなUIで。そういう細かいところが雑なんですよね。今後そうできる様になるのを望む。

 もっとある。このフォロー・フォロワー数って非表示にできたほうがいいと思う。なぜならフォロワー数が一種の階級制みたいになってるからですよ。フォロワー多い人が威張り散らしているんです。インフルエンサーになんかいうとフォロワーがイナゴみたいに大挙して誹謗しまくってくるしね。まずツイッターの一番よくないのが、このフォロワー数稼ぎゲームになってしまっている点。もともとはそうじゃなかった。
 私は最初期からみていたけど、まじでミニブログで、ほんとの日常語り(雨だ)みたいなのとか、引きこもりみたいな人らの毒づいた内面とかごろごろあって、興味深かったのに。今はもう商人とテレビ芸能人みたいなのがネット芸者化して、売名と金儲けの為のインプレッション稼ぎが9割くらいだよね。体感的に。私がなんでほぼロム専だったのにこうやってツイートしだしたかというと、そんな中で古典的な「自分語り」的ツイートしてたら希少価値ありそうだからなんだけど。
 まあはっきりいうと、初期ツイッターってパソコンオタクが内面吐露する私小説的な空間でした。私はその頃からの歴史をずーっと眺めていました。そして最初期が一番よかったと思います。なぜならフォロワー数10人以下とかの人たちが一番いい人達だったからです。正直、フォロワー数が多ければ多いほど、その人は俗物です。これはほぼ間違いないでしょう。多数派からの声望を得る為のツイートをしているか、その種の芸能人ですから。私がみたかったのは、楽しかったのは、このフォロワー数1人とかの人たちの希少で、消え入りそうな、本音のささやきでした。
 で、実際には、私はリストを使ってフォローしている。なんでかというと私は多産なので自分のさえずりでホーム画面のタイムラインが埋め尽くされてしまうからである。しかも自分が書いた文章を推敲できないのに2度も3度も読まないので、自分のツイートもホームのタイムラインに出るのは色々おかしい。フォローしている人が見えますよね? しかしリストだと非公開にできる。フォローしてる人を他人に見せる意味ってよくわからないので(嫉妬や邪推されたり)、リストのが便利である。私はホーム画面はみてないのだけど、じゃあフォローする意味って何かというと、鍵アカの人を解除する為でしかない。鍵アカを相互フォローではずしていることを公開する意味、というのもまたこれも意味がわからない。こういうわけでフォローってリストでいいんじゃないかと思う。
 フォロワー数の公開って「人気者ぶり」を競争原理にしてるからだと思うけど、それミニブログってより芸能人有利の弱肉強食なんですよ。
 SNSなるものはほとんどが最初は、初期ツイッターと同じで、内面がたりの日記ブログみたいな感じでした。ミクシーみたいな。その時代は俗物芸能界とすみわけられていたので希少生物がたくさんいた。嘘抜きで。私は彼らが好きだったとまではいかないが、情報の多様性はいまより確かにありました。

 一応語っておくけれど、Tumblr(タンブラー)の歴史というのも興味深いものでした。初期、地域別の上位投稿頻度者みたいなのが地図の形で公開されており、世界中の人たちがおしゃれページとかをばんばん出していた。私のみてた限りでは、あのときが最盛期だったと思います。
 しかしタンブラーおしゃれ圧力は低きに流れ、段々と無修正アダルトサイト化していって、それはそれでネット全体でみたら規制を受けない一種の避難地みたいになっていた風だったのだが、某経営判断で一気にユーザーが消えた。私はそこで「清流」になったからタンブラーにやっと入れたんだけど。

 で、ツイッターの歴史からいうと
1.PCオタクの私小説マイクロブログ期
2.2chねらーにみつかり事件化が始まった時期
3.ニュースなどに取り上げられインフラになった時期
4.インフルエンサーと名乗る俗物商人跋扈期(今ここ)
私はツイッターがすばらしかったのは1だけと思っている。
 なぜ私が1の私小説マイクロブログ期に唯一、ツイッターらしさを認めるかなら、あの純粋さえずりが目的だったころはフォロワー数売名合戦など面影もなく、いわゆる俳句より短い様な芸術性がみられたからなのです。「わ、あめ」「傘ない」「晴れた」みたいなの。そんな文学はツイッターしかなかった。
 私の記憶が正しければ、勿論そのころ広告とかありませんでした。どうやってマネタイズしてたのか、赤字だったんでしょうね、きっと。でも広告挿入が始まった頃、既に初期は放置されていた色んな過激発言への道徳警察ぶりが、不寛容いなごツイッタラーらからみられる様になり、段々と煉獄みたくなった。なぜ自由度を自ら下げる道徳警察ぶりが始まったかですが、これは2の2chねらー流入の頃でした。彼らは荒らしが多く含まれ、他人が攻撃的な口調で書いてるだけで悪意で通報するし、ツイッター社側もこれを受けたか段々と規制を厳しくしていきました。それで純粋さえずり派は絶滅した。
 1のころの過激発言というのは、他人を攻撃する類のそれではなくて、人生自体に対する懐疑とか、文明批判みたいなのがよくありました。それと罪のない内面の垂れ流し。要は素朴な人間感情をつぶやけるサイトと思われた。それで私はツイッターを「つぶやき」と訳したらそれが定着してしまったんだが。
 もうひとつ興味深い点は、3(インフラ化)頃の代表的な論客は某自由記者さんだったといえるけど、テレビでも「私はツイッターに詳しいです」って配役で出てらっしゃったので、しかし彼は某批評家と親くなっていって4の時期にはブロッカーになってしまったんですね。ここでブロッカーというのはフォロワー数が万単位のインフルエンサーが、一方的に異論を封殺する目的でカジュアルブロックと彼らが称する「国交断絶」をする人たちです。彼らからするとフォロワーは信者と一緒なので、一方的に崇めてきて金よこすイエスマンしかいらないわけ。
 確かに実際にツイッターをやってみないとわからないのだけど、「通知」というところにあらゆる反応が流れてくるのだが、そのほとんどは、2~3の時期以後でしょうが悪意あるもの、さもなければ暗愚なものなんですね。いってみれば大衆化してしまったので、反応のほとんどは2ch的卑俗な雑音なんです。このフォロワー万単位のインフルエンサーからすると、雑音が余りに多い為、その中で雑魚キャラ排除みたいな人間軽視の感覚ができあがってしまい、しかも膨大な反応のほとんどが2ch的衆愚のそれなので、段々と「本当の批評」と、「ただの悪意ある誹謗」の見分けがつかなくなってしまうのでしょう。
 4の時期の代表的論客は、某学者氏と某商人氏(旧ヒルズ族のほう)といっていいでしょう。特に後者は炎上によって話題を振りまいていらせられる。このお二方がなぜツイッター史の4段階まで生き残っているかというと、反ブロック派だからだろうと私は思う。要は1からの流れを知っているわけです。
「もともとツイッターって各自が自由につぶやいてた、孤独な人らの裸の王様(またはロバの耳)の井戸だったよね。じゃあ2の時期(2chねらーによる発見期)あたりからできてきた返信機能とか通知とか無視しときゃいいんじゃね。そもそも批判的思考による自己の可謬性がわかってたら異論封殺とかありえなくない?」
私的には、トランプ大統領がツイッターを始めた時点で、そしてFlashのサポート終了でピグが潰れると予想できた時点で、ツイッターの情報インフラ性は確立するなとみて、本腰入れてやってみた。去年の12月ころから。それまではロム専で、アカ自体はブログ自動更新通知だけでほぼ放置してたのだけど。

 なにがいいたいか。私は1(私小説マイクロブログ)期のツイッターらしさを残してほしかった。つまりフォロワー数の非表示案は、インフルエンサー恐竜やブロッカーの暴力(いなごフォロワーによる集団虐待とか、数の馬乗り)から、名もなき弱小動物を守ってといいたい。
 たとえば一般人はインスタのDMとかライン(海外ならワッツアップとかカカオ)とかで私的やりとりしているので、ツイッターのニッチって純粋にマイクロブログだった。途中でウェブ開発者のおじさんらがマストドンに狂喜してたが某つくばの少年はドワンゴに吸収され終わってしまいましたね。彼が独立してマストドン専用の会社たちあげてたら状況は変わっていたかもしれない。ドワンゴ側はニコ厨専用の閉じたスケールに、マストドンの潜在的ニッチを矮小化してしまったといえますね。だってニコ厨と絡みたいやつとかまずいませんから、一般社会。
 そしてニコ動自体も、ビリビリに長期的に潰されると私は思っている。市場規模そのものが世界スケールのビリビリのほうが圧倒的に有利な状況にあり、ガラパゴスなニコ厨に国際性が欠如しているのは当然ながら、UIからしていかにもな日本的複雑性(つまり設計下手)で到底世界に通用するとは思えない。
 つまり、マイクロブログの決定的競争相手だったマストドン市場は、ニコ動の戦略ミスで今のところ完全に自滅したので、ツイッターの独占はしばらく不動である。上述のよう私が本腰で参加決めたのは、IT業界の事情と大統領の情報発信とをみて、ツイッターの国際インフラ性の確実さを見極めたからです。
 今後、ツイッター史が未知の5期にすすんでいく中で、その時代の覇者って違ってくるでしょうね、当然。これまでもそうでしたから。一方、1期にいたはず絶滅した純粋さえずりキャラは、フォロワー数非表示の設定で、やっとマイクロブログ界に復帰できるのではないかと思う。階級差別されなくなるので。
 多数政治(俗にいう民主主義)の最大の利点は、少数意見の尊重です。世間で信じられている多数決ではないんですね。ある超少数意見が真理だった時、全員の意見をできるだけ尊重する前提なら、多数決の盲点を自己修正してきちんと採用されうるのが美質なんですよ。
 マイクロブログの長所は、長文できちんと体裁の整った論文を書く能力がない人でも、ひとことふたことで意見をいえる点にあります。つまり、超少数意見をみいだせる。その点で新しく、また貴重なすきまだった。今は多数派の圧制がはびこっているが、フォロワー数競争システムのせいですよ。

 結論。ツイッター社が自サイトの長所がマイクロブログらしさにあると気づき、フォロワー数競争原理を修正するのを、また、マネタイズ面ではツイッタラーへのインプレッション収益分配、インプレッション弱者に対しては投げ銭で、大乗的・上座部的の両面でより高質な情報発信を鼓舞してくれるのを望む。

 もうひとついい忘れていたことがあった。インスタは承認疲れ防止のため「いいね数非表示」になったけど、これはツイッターのリツイート・いいね数にも完全にいえるとおもう。下らないツイートは拡散されるが(低俗なら低俗なほど)、立派なのは沈黙されるほうが多いのだから。