2019年7月21日

金儲けの為のサブカルは貧しい

ネットゲームのカルチャーって、PCスペックで大差つくので親などに依存してやってるニート界ですら資本主義的な身分制がある。そしてゲーム自体も課金で有利になるので、この弱肉強食の構図が気持ち悪い。
 グーグルのスタディオは革新なのかなとおもったが、定額制ときいて同じ事態になるとみた。
 聖書(マタイ13:12)に「富める者はますます富み、貧しき者はますます貪られる」とあるが、ネトゲはまさにこれで、まあ弱者ビジネスの一種と思う。が、資本主義全体がそうなので単に、仮想世界に延長された搾取の構図なだけだろう。某有名ネットトレーダーは百万単位でゲーム課金している様である。

 任天堂は買切りの単発作品がメインだったから、まだましなのかなとずっと思っていた。
 しかし僕より貧しい家庭の事情をきいたら全然違っていた。任天堂のゲーム買えないから、仲間はずれにされ虐められていたのだという。うらんでいるとすらきいた。
 ネットで自殺中継してた或る青年は、彼の残した一生を語ったホームページによると、中学卒業後に強度のひきこもりになり、その間、ひどく貧しい母子家庭のなかで時代遅れの中古のスーパーファミコンを買ってもらってドラクエとかやっていたみたいだった。そしてPSVRのエロが楽しみとかいって自殺した。
 任天堂は上場企業として株主の期待を受け、スマホ課金や定額制などに手を伸ばし、高いハードを売る目的でリリースする様になって、だんだん庶民のものではなくなってしまった。
 ファミコン『ドラクエ4』、スーファミ『ドラクエ5』、64『時のオカリナ』あたりが自分の世代では頂点だった。

 なぜ定額制もプレイヤー身分制になるか? 継続課金できる人は金持ちだからだ。たとえ課金なしでも、やってるだけで搾取される。子供なら親の負担だ。
 こういうビジネスモデルがはびこっているのは、一言でいうと、ゲーム企業の良心がなくなったのだ。僕も一、二年ほどその真似事したからわかる。
 かつてのゲーム業界に良心があったなら、中流家庭用テレビゲームで語られた、子供向けおとぎ話の道徳的教訓としてだろう。プラトンが『国家』で物語の役割として同じことをいっている。
 課金、最新ハード、定額制。これらは大人の事情でしかない。本質が抜け落ち、ゲーム業界は堕落したのだ。

 極めて根本的にいうと、人は他人と関わって生きる社会的動物であり、その社会の目的は道徳である。『韓愈』でいう禽獣界の弱肉強食と対比された人間界の特徴とは、道徳性だ。いいかえればよく生きるのが人間社会での目的で、この「よさ、善」を自ら判断できるのは、他の動物ではなく人類くらいである。

 ネトゲも任天堂の家庭向けゲームも、やはり善い娯楽かといえば年々堕落してきたといっていいだろう。マイクロソフトやグーグルが参戦してきた目的を思えば、彼らとしては増えてきたネット配信でのネトゲ人口から収益を得たいという下心しかない。彼らとしたら金儲けを資本主義の善と思っているのだが。
 きのうアニメ業界は弱者ビジネスになっていたと分析した(「京アニ炎上事件の総合分析」)。これはゲーム業界も似たり寄ったりだ。こちらはゲーム障害とWHOが定義し、アニメ中毒と違って耽溺にも限度が設けられつつあるが、ゲームを幾らやっても大抵の人は会社に貪られる一方なのだ。

 さらにもう一つ、根本的に語ると、資本主義なるものの本来あるべき目的は、経世済民という言葉で示される需給の一致だ。欲しいものがあるのに貧しいので手に入らない。これは市場の失敗というべきで、資本主義が善く使われるならなんとか資本家が貧者のため、余裕資金で供給を工夫してやるべきなのだ。
 資本主義の目的を最もよくわかっていた人は、日本なら松下幸之助といっていい。彼は著書などで、お客さんが欲しいものを水のよう潤沢に供給してやるのが経営の最終目的だといったりする。一方、自分の金儲けを最終目的にしている成金は、資本と呼ばれるまとまった資金の正しい使い道を知らないのだ。

 例えば任天堂というゲームウォッチやファミコン以来、世界の家庭用ゲーム市場を牽引してきた会社だけど、この会社は自己資本比率が高く(つまり借金が少ない)、潤沢なお金をもっている。しかしネトゲやスマホゲー市場で出遅れたので焦って、貧しい家庭の子供に負担がいくだろう商売に手を出し始めた。
 任天堂の経営者が高いハードや開発費を賄う「金儲け」と、もっと友達と楽しいゲームをやりたいが貧しい家庭の子供のための「潤沢な供給」の間でゆれ、原則無料のネトゲ・スマホゲーの課金モデルを試したのが、関連会社に外注して出した『ポケモンGO』だったわけですね。苦肉の策である。貧しくなったアベノミクス日本人の家計支出はへってるのでハードが売れないかもしれない。より正確にいうと、DSとかスイッチとかヒットしてたっぽかったけど、新ハードとセットで顧客を囲い込むビジネスモデルが、スマホゲー中心になると通用しない(しかもグーグルがスタディオだしてますますおいつめられると予想される)。脱ハード依存が必要かもしれない、という将来予想があったと思われる。
 なにがいいたいかというと、任天堂は「金儲け」のため課金ゲーに手を出したという点で、グリーとかDeNAによる実質的なスマホ賭博の牙城にきりこんでくるかにみえた。『マリオラン』もだけど。この点ではやくざな商売に遂に堕したといえるのではないか? 私はそう思ってます。課金は麻薬ですから。
 任天堂は花札メーカーである。最初からやくざ(語源どおり)な稼業となにが違うの、と突っ込まれたら反論できないのだが、要は古きよき時代のプラトン物語は、スマホ課金ゲーとか定額制で殆ど通用しなくなると思う。いかに客から金を吸い上げるかが本質の娯楽って、端的にいうと賭博でしかないのだ。

 一方私はこうも思う。今後、情報産業化(情報商材とか、エンタメ無料提供での広告モデルが中心)が進むと恐らく誰でもできるゲーム配信が、一般人にとって主な仕事になるのではないかと。だから純粋なビジネス目線だとグーグルがスタディオとユーチューブの組み合わせで覇権とってくると思う。ゲーム配信ではTwitch(ツイッチ)、ネトゲはSteam(スティーム)が覇権をもっていた。スタディオは無事リリースされればこの両者を優に潰すプラットフォームだ。これまで独自サーバーで運営してたネトゲも、当然より安価で安定したグーグルのサーバーに移転するだろう。任天堂はニッチになると。
 いまいったことはゲーム業界に少し詳しければたぶん分かってる話だけど、ITビジネス業界の戦略と絡めてはっきり言ってる人は少ないので、自分でいうけど私の意見はまあまあ貴重だ。それだけ破壊的革新なのがスタディオということです(このスタディオは破壊的革新ってのは、前に「革新かと思ったが定額制だから同じ事態」と書いたところと一見矛盾するが、要はスタディオは覇権をとりにきているという点で商売面では革新的だけど、それが定額制ならゲーム内部でも現実の金持ち有利の身分制を焼きなおしてしまうという点で進歩がない)。そして子供の良心なんてすっ飛ばしているんですよ。ゲーム業界は。
 私は色々みて、ネトゲもスマホゲーもくそだなと判断した(言い方がひどいですが)。それで今のところゲーム制作を撤退しているのだ。子供に夢を与えるどころではないのです。大人の側が激しい陣取り合戦やっててそれどころではない。自分の扶持すら危うい激戦区になってしまっている。赤い海すぎる。
 私はアニメ業界もろくでもないといわざるをえない。京アニ炎上事件、けもフレ脅迫事件、悠仁ロンギヌスの槍事件。宮崎駿という気高い天才が消えたらもう日本のアニメ界は暗黒時代に突入する。かねの為にすっかり良心を売る低俗な連中。そしてジブリの負の遺産である手描きによる労働集約型長時間労働。

 宮崎駿が「この世は生きるに値する」と子供に伝えたいといっていたとか。川上量生氏はジブリ修行で怒られてたけど、駿の本質はプラトン物語なのである。資本主義の美質があるなら、政府に頼らず自分の力で貧しい人を助けたいという松下的な無限供給論がそれにあたる。金儲けの為のサブカルは貧しい。