2019年6月23日

学習意欲に応じた教育可能性が必要

愚者の説得に時間をかけるなら、自分が一歩でもより賢くなるのに時間を使った方が遙かに優れている。学習能力に差がある限り、愚者が利口になるのは多大な費用が必要だが、既に利口な側がより利口になるにはそれよりずっと費用が少なくて済むのだから。この点で啓蒙は基本的に無意味で、教育も進んで学びたがる者に向けてでなければ効果は薄い。
 落ちこぼれ、もしくは学習弱者が意欲を持ち直した際に再びいつでも登れる階梯は必要だが、単に学習意欲がない者はその時点で彼らの知能が学習を欲していないのだから、勉学する筈もない。彼らが学ぶ重要さを実感するには失敗や精神的成長などなんらかの彼らに固有の反省が十分条件なので、それが達成されるまで放任しなければならない。