2019年5月10日

内容の興味深さは自分の主観との対比

 (自分の文章は文法や構成が非常に整えられているが、内容が面白くない、とするツイートへ)
1.君の定義する内容の面白さとは何か?
2.内容の面白さは人によって違い、共通部分がある(最も共通部分が多い面白さが最も普遍的といえる)以上、君個人の面白さと違うだけではないか?
3.もし2の論理が正しければ、君個人の面白さと違うにすぎない内容が他人につまらないとはいえないのでは?
上述の議論は趣味論としてカントの定義した共通感覚(全ての人が持っている筈の感覚)や、彼のいう良い趣味が万人の同意を求めるもの、という立場を逸脱しているので、君の趣味論の立場とも違うのかもしれないし、私自身も厳密には前ツイートの立場ではないのだが、内容の興趣は多様なのでは?
 いいかえれば、君個人の知能においては興味深さを感じない内容かもしれないが、その内容が他の知能にとっては非常に興味深いものかもしれない。よって「私は面白いと感じない内容」と個人的にいうべきだったのでは? さもなくば誤解を招くと思いますがね。私は自他に面白い内容しか書かないので。
 現時点の私自身の立場を参考までに、厳密に述べておくと、或る知能の感じる興味はその知能の趣味や理解力に近く、少しそれを優る場合に興味深いと感じられるのであり、そこから非常に遠い場合には仮に普遍的に極めて重要な内容でも面白く感じない。つまり主観的興味は或る思想の普遍的重要性ではない。分かり易くいうと、全人類は思想の大世界の中では小さなヘッドライトをつけて冒険している様なもので、ほぼ暗黒の大宇宙で自分に見える目先の興味を探っているのだが、それはいわば洞穴の中を無限にさ迷っている状態である。内容を宇宙全体だとすると、個人的興味(明かり)とはあまり関係がない。