2019年5月15日

秋篠宮文仁親王殿下は国事である皇位継承順位を私徳に過ぎない悌より軽視する発言等の公私混同をやめるべき

どうせ身分制度なんて復活しようもないし、王侯貴族といっても封建時代にある程度の地位にあった人達の名残にすぎないが、アマゾンプライムにあったから『英国王のスピーチ』の直後に『海街diary』をみたら思いっきり日本人庶民の話で、余りに卑しくて愕然とした。封建道徳は全く馬鹿にできない。

『英国王のスピーチ』のあらすじ
1.イギリス国王の次男が幼児に厳しすぎる躾けや乳母の虐待を受け、吃音症になって演説がうまくできず悩んでいた。
2.父が亡くなり兄が即位するが、兄は離婚歴のあるアメリカ人女性と恋愛関係になり、国教会の定めで王のままでは結婚できない。
3.弟は吃音を治すため色々な医者にかかるがどれもダメで、最後に或るオーストラリア人医師にかかると徐々に発音できる様になる。
4.その医師と仲良くなった頃、医師は「お兄さんよりあなたの方が国王にふさわしい」というが、弟は無礼な庶民めと兄をかばって治療を打ち切る。
5.弟は国の行方と兄の身を案じるが、兄はパーティで弟の吃音をからかいつつ「お前は『ハムレット』のよう俺を王座から追い落とそうとしているのか」と言う。
6.兄はアメリカ人女性と結婚し退位、弟に王座が巡ってくる。
7.いよいよ吃音を直さねば王位継承式(戴冠式)すらまともにできなくなった弟は、「王が謝罪するには長い時間がかかる」と独特の言い回しで医師へ謝り、再び吃音の治療をする。
8.医師と二人三脚の努力のかいもあり式は無事済むが、その後、今や王となった弟は自らの式を映したテレビのニュースで、自分と対照的に極めて演説の巧みなヒトラーを見る。
9.イギリスはチャーチル首相の決定でヒトラー率いるドイツと戦争状態に突入、王に宣戦布告の文をラジオ放送でよみあげる役割が回ってくる。
10.王は医師のつきそいの元、「君には感謝している」と述べながら、いよいよ演説に臨む。
11.宣戦布告は若干いいよどんだ箇所はあったものの、却って威厳がある様に聴こえ、文明国の勝利を誓う宣言文の演説は、植民地含む全国民に報じられ成功した。
12.医師が後姿を見守る中、王は妻子と共にバルコニーへお手振りに出ると、集まった数え切れないほど多くの国民達が彼を称賛していた。

この映画をみてから、『海街diary』をつけてみたら、冒頭からわけのわからん日本人庶民同士が交尾していて、その女の方が家に帰ると妹だかなにかが何があったの? と聴き、「大人は色々あるのよ」と姉みたいなのがいう。これでびっくりして、余りのギャップに、やはり王侯貴族の存在意義も感じた。
『英国王のスピーチ』の中で、弟の王は自分がただの人形で、議会が決定した役割を演じるに過ぎない歴史的地位を皮肉がるが、しかもそのお仕着せの役割すら満足にできない(吃音で、首相に渡された演説文がうまく発音できない)自分の残念さを、医師との発声練習のなかで思わず吐露する。
 皇室批判者の中には皇族が人権を持たないことを哀れだとする理由で、皇室廃止を望む人達がいる。彼らが指摘しているのはこの種の象徴君主(天皇の場合は兼教祖)の不自由さだろう。
 私がこの映画をみて感じたのは、象徴王権の擬制が名誉革命以後にできた類型とすれば、イギリス史の文化的な性質だ。イギリス人自身、この象徴王政が議会の苦肉の策だと知っていて、一度は放伐した王座に別の国からひっぱってきた人を就けたのは保守派との妥協策だったのだろう。論理的には議会が主権をもつ点でまとまったが、イギリスが内在した不条理さはアメリカ独立で証明され、第二次大戦後は「古きよき国」を偽装している。
 この映画は障害の克服というある種の克己論が含まれ、障害は社会の側にあって取り除くべきは偏見だ、とする近年の障害観からみれば大分古い。
 また弟が悌で自らの治療まで打ち捨てたにもかかわらず兄は公私混同を貫く点で、伯夷叔斉や徳川光圀(義公)の逆類型であり、イギリス王室が形骸化した制度だとよく示している。
 義公は「君君たらずといえども臣臣たらざるべからず」と、英議会の「王は誤れない(King can do no wrong)」と同じ君主無答責の立場をとる(「君君たらずといえども臣臣たらざるべからず」は『古文孝経』序に見られる文。易姓革命論と相反するので、義公の尊皇思想にふさわしい考え方として彼の『常山文集』巻十五の序文に援用されたのだろう)。つまり水戸学は政教一致論ではあったが、イギリス議会と君主無答責の点では等しかった。明治以後の政府も君主無答責の立場をとり続けている。天皇大権は消え、教祖を兼ねる皇室が残った。また義公は兄をさしおき世襲した負い目を、伯夷叔斉の禅譲から学んで高松の松平家との継嗣交換で償ったが、この映画(史実)の兄弟は寧ろ逆で、兄(エドワード8世)が順位を無視し、しかも公私混同で弟(ジョージ6世)に地位を譲る。
即ち
1.義公は代替わりで君主無答責(大義名分論、象徴君主制)を応用し、世襲の順位継承を当主の公徳より優先した
2.義公は悌で兄の子に禅譲した(いわゆる水戸黄門が御隠居な理由)
3.エドワード8世(映画中の兄)は公私混同で禅譲した(動機は国の為でなく恋)
4.ジョージ6世(映画中の弟)は悌より公徳を優先し禅譲しなかった(義公の逆。世襲順位より公徳を優先した)
こうしてみるとジョージ6世の政治哲学は、義公のものとかなり違う。確かに映画中では兄を思いやっていたが、史実では兄を見限り許可なしの帰国を禁じたとある(ウィキペディアにはそうあるが真実だろうか?)。
 ジョージ6世は君主無答責を利用しているのに自らは順位をかえ 悌<公徳 の行動をとったので、劇中でも兄から「ハムレットの王(兄の地位を弟が簒奪した)」に喩えられた。しかし例えば文仁は皇位に就けないと発言し、いわば悌を優先する旨を述べた。王位継承を巡り、悌、公徳、順位の問題がある。
1.悌の有無
2.公徳の有無
3.順位の正誤
当映画ではこの3つの要素が王位継承を巡って描かれているが、
義公は 順位>公徳>悌
ジョージ6世は 公徳>順位>悌
の優先順位だったといえる。つまり日本とイギリスは継承の哲学が違う。英国王は中華皇帝に近いのだ。
 前述の義公「君君たらずといえども臣臣たらざるべからず」と英議会「王は誤れない(King can do no wrong)」は似て非なる哲学で、同じ君主無答責ではあるが、日本版は形式的継承順位の方が優越し(故に南朝正統論を明治天皇が認めた)、公徳はその次位に置かれる。イギリスでは公徳を順位に優越する。伯夷と叔斉の譲り合いが義公の哲学に反映され、明治政府から現皇室に流れ込んでいるのかもしれない。この君主無答責観の差を、日本のものは順位主義、イギリスのは公徳主義とすると、歴代中華皇帝の易姓革命論は公徳主義に基づくもの故、日本独自の継承観が義公の中で差異化として構想されたのかも。
 文仁は年取ってからでは皇位に就けないと発言したが、謎だ。順位が優越なら就ける筈だ。悌の方が順位より優先なのか。一種の公私混同というべきだ。兄の手前で謙遜か、兄を敬う気持ちでいったにせよ軽率だ。憲法でも、皇室の伝統でも継承順位が決まっているのに国事である皇位の継承より私徳に過ぎない悌を優先する時点で、文仁こと秋篠宮文仁親王殿下に公徳が欠けているのは明らかというべきだ。
『英国王のスピーチ』は弟のジョージ6世が王位に就き、公徳を悌に優先するまではいいが、義公ほど深く順位主義の君主無答責を学ばず、兄のエドワード8世を軽視する史実については日本の方がまだましだ。しかし文仁は悌を公徳や順位より優越する発言をしているから、彼らから何かを学んでもらいたい。