2019年5月18日

勧善懲悪と同調圧力

同一成員の凝集性が高いと集団に有害な利己を見分けられる様になるので「出る杭は打たれる」(いわば「勧善懲悪」)の現象が生じるが、集団に有益で利他的な人間が「同調圧力」で足をひっぱられる場合はこれに該当しない。
 この2つは似て非なるもの。語の定義上も厳密にみわけられていない。
 そもそも都会で犯罪率が高く、悪人が多くなるのは「勧善懲悪」がし辛いからだ。一度遭った人に二度と会わずに済む環境だと悪事が有利になってしまう。裏返せば田舎で犯罪率が低く、素朴な善人(素で利他的な人)が多くなる傾向にあるのはそもそも悪人にとって過去の業を知られるのが都合が悪いからだ。同じ法則はネット上にもいえて、匿名でのやりとりが多い場は悪人がふえる。実名で個人特定されるのが当然だと善人がふえる。
 一方で「同調圧力」の方はファシズム(結束主義)に他ならず、単に集団の平均値か中央値が正規分布的に最多のとき生じ易い。人間は2つ以上の集団に分けると互いに競争しあう傾向にあるが、この種の結束性(いわゆる和、又は集団の輪)を乱す者を排他する傾向も同時に生じているのだろう。「同調圧力」は集団の同質性が高いほど強烈になるので、日本人の様ほぼ類似した遺伝子・生育環境をもっているとたとえ利他的な個性へも悪意で(又は結束自体を目的に)足をひっぱる傾向が激しくなる。こちらの有害性は歴史的にも検証されている。
「同調圧力」を解除するには集団の多様性をますか、集団全体に影響をもつ指導役が少数派をかばう、いずれかが有効だ。どちらも不可能の場合、「同調圧力」をかけられる少数個性はその結束集団を抜け出す必要がある。子なら、親の強制等で抜け出せないと自殺したりするが、集団外に出るのが基本的対処。
 また「同調圧力」に単独で立ち向かうこともできなくはない。『孟子』が「千万人と雖も吾往かん」といった方式で結束集団と権力闘争を演じ、本来の少数派が実権を握れば絶対権力者状態になることもできる。秀吉、ナポレオン、ヒトラー等がその実例だ。だがこれは余ほど当人の政治的才がないと難しい。