2019年5月18日

商業出版で純粋芸術ぶるのはお門違い

全員が幻冬舎を虐めてるみたいだから俺だけ擁護に回るか。売れない小説出したければブログに書けば? 出版社は金儲けですよ? 芥川賞も金儲けですし、大江健三郎も金儲けですし、村上春樹も金儲けですよ。ノーベル文学賞も金儲け、さもなくばただで配ったでしょうが。なんで本が有償だか分かる? 商売人が作ってるからだよ。商業芸術やっておいてなに売らなくていいとかいってるの。商人作家如きが。
 売文屋でしょ、小説家なんて。職業作家って商売人の一種なんだよ。下らないプライドで威張り散らしてるけどさ。寄付だけでくらせてるのか? 純粋芸術家だというなら、どうぞ私より貧しくくらしてくださいよ。私ですら30数万しか全財産ないですからね。それより金儲けてんでしょうが? 売れない小説だして金儲けになるっていうなら、どうぞどうぞ。一人で新宿の雑踏で手売りしてくださいよ。それがあんたらのやるべきことだ。偉そうに商業作家の分際で出版社責めてるけれども。商売をなんだとおもってるんだ。お客に売れなきゃ自殺、芥川龍之介がそうだったじゃあないですか?
 出版社は家族を養っている人達だの、まあ商売人の集まりですから。本も。金儲けですので。文化も兼ねているとほざく。だからカネが儲からなくてもいけるのだという。笑えてくるよ。純粋芸術をなめているのかと。何十年私が一円も稼がず毎日大量の文章を発表してきたと思っているのか。
 あんたらは金儲けしててさ、村上春樹だか綿矢りさだか知らないけど。2chくんだりで散々蛮行してましたよねえ? 私に対しても。それが今度は商売じゃねえよだとかいっている。商売じゃないですか、ものの見事に。商業出版社から本だして金儲けしてきたでしょうが。全財産寄付してからいってくれよ? 売れない作家の本なんて出版社から出すなよ。自費で出せよ。馬鹿なのか。商売なめてるのか? カネ儲からなかったら死ぬんだよ皆。それがブログにすら書かず、自分で出版社様の世話になって本出してくださいとほざいて大勢の人に働かせてるんでしょうが。売れない本出すならブログ書けばいいだろうが? お前が金儲けしてるんだろうが。本で。カネ欲しさに売文してきたんだろうがよ。無料で出せ。それがお前のやるべきことだ。一円もとるな。俺みたいにな。それができねえなら黙って出版社の奴隷にでもなっていろ。ごみ作家どもが。
『日本国紀』。読みましたよ。それどころか手元にありますよ。そして私が書いたウィキペディアの記事がそのままコピーされてましたよ。まあそんな部類の本だということは皆知っている話だ。だからって一々つっかかるまでの話じゃねえだろ。下らん話だろうが。もっと高尚なこと考えてくらせ。売文屋が。小説屋も落ちぶれたもんどすなあ。まあ最初から高尚な部類のジャンルじゃないからね。本気で。三流文学の分野でしたもんね、はじまりからして。猥談書き散らしてただけの話ですからねえ? 紫式部さんからして。もともとのぼったことなんてないか、純粋芸術の世界になんて。漱石ですらそうだからな。
 カネ欲しさにだかさ、自分の下らん政治思想の為に、出版社の社長に食ってかかりましたと。馬鹿なのか。お前が金儲けしてきただけだろうがよ。だから売れない商品いりませんと。それ、当たり前でしょうが? 売れない服を売ってたら服屋潰れますよ。お前が一人で売ればいいじゃないか。自分の文章をさ。
 出版社の利害関係者の皆さん。株主様、取引先様、書店様、あるいは印刷屋様、あるいは社員、或いは書店員、読者、色んなステークホルダー様方がですよ。実売部数にして元が取れてない本を出す赤字作家みたいなのが当社の本を売れなくしていますと。『日本国紀』が虚構じゃないと誰かいいましたっけ? 当社の本がますます繁盛する様に言ってくれないと。これが社会のルールじゃ、ございませんこと? 当たり前どころの話じゃないでしょこれ。なんでさ、自分のところから本出してる作家が当社の悪口いうの。虚構かいてるやつがだよ。虚構の歴史書いたらダメと。そしたら先ず天皇から責めるべきじゃん。わが国の史書もどきの系譜。『古事記』からはじまってるよね。これも当然嘘八百ですよ。読んだことあるよね。最初からしてうそだよ。嘘で固められた地歩。それが出版業界ではございませんでしたか? 天皇が嘘書かせてまきちらしてきたんだからさ。作家の本がちゃんとした歴史書だと誰かがいいました?
 気持ち悪いねえ、売文屋どもの出版社脅しは。幻冬舎の社長がかわいそう。だって売文屋どもは彼をみせしめにして、自分が有利になるよう他の出版社を脅迫してるつもりでしょうが。政治思想の違い如きで。卑しいやつらだねえ。前から小説屋どもは嫌いだったけど、というのも2ch文学板とかいうところで連中の実態をつぶさに見て、こんな悪徳まみれの極悪人どもが滅びないわけないと完璧に悟ったからだが、これは近づかなくて正解極まりなかったですね。今後とも近づかない様にします。本当にやくざまがいだ、出版屋を脅迫とか。
 大勢でよってたかって1人を虐げる。しかもその社長の方が正論いってるからな。『日本国紀』、私のウィキの記事が直接剽窃され、悪解釈の文脈で直接のってましたと。だからって私が怒ってる? 「アハハハ」と思ってるよ。大騒ぎするほどの話じゃないよ。歴史は虚構じゃないの。史家をなめてるのよ。
 私のところ。『大日本史』という歴史書を書いた先人がいるのね、私の県。その人の隠居所兼書斎を描いた伝統工芸の団扇があってつねに私の左斜め上にかかってるのね。西山荘行けばいい。彼の生涯の仕事って、そこらの小説書きみたいなレベルじゃないんです。厳格な考証は虚構を徹底的に排するものなの。俗書が売れますと。そんなのどの時代のどの地点でも、都会ならまあ先ず変わらないですよ。都会ってそんなもんですから。俗人が多いから都会なんです。もし立派な研究書が売れるなら、それは知識人、学者、研究者の間でですから。作家が書いた虚構の本、司馬遼太郎の様なもんですよ。俗塵の世界だよ。
 歴史というのは過去にどの様なことがあったか、史料や実地検証を元に客観的事実を記述すべきもので、誰かがどこかでこの様に書いていた、というのはそのまま「Aという人がこう書いている」と書かないといけないんですよ。それが虚構を排することになる。この意味で学校の歴史教科書も虚構の本だよ。
『日本国紀』は出典がないからダメ、というのも間違ってる。なぜなら虚構は当人の思想を記述してるものだからだ。史書の偽装を施した小説というのがこの本なんですね。『古事記』や『日本書紀』と同じ体裁を踏襲している。どちらも殆どが嘘ですからね。まあ端的に言うと神話の書き方をしてるだけ。
『大日本史』は全部漢文だから読み通した人ほぼいないと思う。私も一巻の途中くらいまでしか読んでいない。だけど書き方としては正史の書き方をしていて、事実しか書かない様にしている形式は分かる。事実として分かっていることしか書かない姿勢に徹した本は立派な史書で、見ればわかるはずですよ。立派な歴史書もあれば下らん俗書もあるし、別に出版表現の自由ってそういうのを含めたものなんだから、或る歴史観をもった人が通俗書をまきちらしたからって世俗の人らしか影響受けないよ。歴史家といっても一流から三流までいるからね。そこらの教授レベルは二流以下です。本物は本物としているの。
 私も死ぬまでには『大日本史』も全部読むかもしれないよ。ただ、きちんとした正史がどういう形式か知っていれば、そこらの通俗書に触れても免疫ができてるから一々怒ったりなんてしないんだよ。
 世界を確実に変えるのはどういうものか。それは本物です。これは間違いなくいえますよ。科学的事実というのは世界を変える。歴史も科学です。或いは歴史観を伴うなんらかの政治哲学であれ、本物と偽物はありますよね。マルクスがいいましたね、世界を変えるのが大事だと。それは真理をつかむことです。私達は『大日本史』がどれほど日本と世界を変えたか知っています。殆どの人が読み通していないのに、あの本は皇統を整理し、維新の原因となり、現政府の基礎を作り、人類に植民地侵略に抗う勇気を与えた。学問は世界を変えます。商業出版は真の学問と何の関係もありません。真理のみに注目して下さい。
 今回、神話みたいな歴史書風の小説で怒ってる小説家の皆さんは、あなたらが普段やってる嘘つきを反省したらどうですか? 嘘で金儲けてる商売人でしかない小説屋が、なぜ日本史に恣意的な色つけて流布した作家を叩くのか。司馬遼太郎もとんでもなく悪い嘘つきだからね。嘘の色が違うと怒るとは何かね?
 要は「御用作家は気にいらねえ」と、「流用三昧で金儲けはずるい」といいたいんだろうけど、出版社の社長の判断としては当社から出版してる分際で当社の本を売れなくするやつは困るな、って当然の話ではなかろうか? 金儲けしないと破産する立場の人と、他に幾らでも出版先ある素浪人では立場が違う。
 因みにこないだ100億円で売れた『うさぎ(ラビット)』のジェフクーンズは流用の権化だし、あの彫刻自体も子供用のおもちゃかなんかの流用シリーズだから。美術界だとウォーホルやリキテンシュタインくらいから流用は王道の手法になってて訴訟されても文脈になってるから。文芸はその点遅れている。例えば音楽でもリミックスとか歌ってみたとか流用的な手法は沢山あるけど、文芸でいうと、詩歌だと本歌とりはかなり昔からあったが小説だとない。小説は文芸界の中でも一番遅れてる分野だ。俺が実験小説沢山書いても何の反応もない。雑魚の集まりで後進的な足の引っ張り合いしてる商業界でしかない。ウォーホルの『花』は非常にいい絵だけどあれもどっかの写真家の写真を勝手に流用して引き伸ばし、シルクスクリーンでまきちらしたから訴訟され、確か罰金払ってた気がするけど美術館にも収められ教科書にも載っている。二次著作権がある今日ではもっと流用の幅も広まってるといえるな。流用は盗作ではないと。
 まあ全員で幻冬舎の社長を叩いてる風だったので、私はそういう全体主義というか全会一致の幻想が本当に生理的に気持ち悪くて堪えられないので集団いじめしてる側を迎撃する意味で以下のことを書いたが、俺も最初から反安倍かつ皇室廃止論者なので政治思想面で『日本国紀』に共感は何もできないけどな。
 俺が書いたウィキの部分は慶喜公の部分ですね。私が記述した筈の文章をほぼそのまま引用してあって、しかもその解釈を非常に悪意で恣意的にしてた様でしたね。慶喜公は父上から幕府に弓を引いても皇室に弓を決して引くな、ゆめ忘るるなかれ、といわれた庭訓を守ったのみと維新後に伊藤博文に言ってる。これは『徳川慶喜公伝』で慶喜公自身が伊藤に言ったのを渋沢栄一が聞いた話で、慶喜公の生前に出版された筈なので彼も記述を確認したろうし、事実でしょう。つまり百田氏は慶喜公は臆病だったといってるが全くの間違いですね。第一次長州征伐の陣頭指揮してました。百田氏は水戸学に無知です。