(特権階級である皇族や資本家を否定しなければならない、とするツイートへ)
資本家を否定すると私有財産制を制限することになり、いわゆる共産主義国にしないといけなくなり、今ある会社も貯金も政府が召し上げる(政府が国有化する)必要がある。そして過去の例では政府には市場の競争が働かず需給を見誤るので、他国と比べて生産性が低下し、労働意欲も減り経済的に失敗する。
安倍政権は日銀と年金機構に日本株(日経ETF等)を大量に買わせ、事実上、既に国内企業の約半分以上が国有化されている。つまり令和初期の日本は半分以上、社会主義国である。さらに日本株(国内企業)の政府保有分をふやし、国民の預金封鎖を行えば共産主義国といえる。マルクスは資本主義は社会主義段階を経て共産主義に至るという歴史観(唯物史観)をもっていた。
(正確には、社会主義からより高次な共産主義に至る二段階論それそのものを唯物史観と呼ぶのではなく、唯物史観は単に人間が自然・社会の中で生産様式を基盤とし制度や考え方を生むとする歴史観、即ち下部構造と上部構造によって歴史発展を説明する学説だが、彼個人としては二段階論を含むもの。二段階論は、マルクス『ゴータ綱領批判』が原典で、1章の
'In a higher phase of communist society, ...'
から始まる節による。『ゴータ綱領』はドイツ社会主義労働者党の宣言文で、マルクスはそれを低次と批判して高次な共産主義を説いた為、上記解釈が生まれた。なお弁証法的唯物論は人間が自然・社会で生きていく中で精神を歴史的に形成したと考える、唯物史観の下敷きとなる考え方)
現時点の日本は、これに照らせば社会主義から共産主義に至りつつあるので、自由民主主義を標榜する政党がそれを進めているという皮肉はあるが、マルクスの予言通りに運行されている。
一方、米英仏など西側の主要先進国は、北欧や英仏などが福祉国家をめざし社民主義体制(民主主義の中で社会主義を実現しようとする体制)をとる場面はありつつも、全体としてマルクス史観を否定している。特に米国は私有財産制を前提とした資本主義が永続する前提で、社会主義すら否定する傾向がある。
では今後、日本で「資本家の否定」、即ち私有財産制を否定し政府が預金封鎖等を行うか、累進課税の度合いを高め所得税・相続税等の最高税率を上げる強度の社会主義をとる方に進むべきかだ。既に述べたよう計画経済の不能と労働意欲の低減によってこの方向は全体の生産性低下を伴う危惧がある。2019年時点で、北欧は一人あたりGDP、或いは一人あたり国民所得で日本以上なのに、高税率・高福祉を兼ねている。つまり社会主義といっても、市場の自由度を高くしておけば計画経済にならないし、労働意欲も低下しない可能性がある。ノルウェー政府年金基金・ファンドがあるのも日本の先駆者といえる。ノルウェーの一人あたりGDP・国民所得が高いのは油田があるせいではないか、というのが通説だが、それなら日本人もその種の高付加価値をうみだせる何らかの資源開発なり、産業をつくるしかない。ノルウェーと日本の違いでいえば税率で、格差逓減の為に高税率・高福祉を容認するべきか否かだ。日本人一般の公共心や政治的民度は恐らくノルウェーより遥かに低く、社民主義を理解できない。社民党の支持率を見れば一目瞭然である。それどころか彼らは軽減税率の意味もわからないのでOECD諸国並みの消費増税に反対している。つまり格差逓減といっても高税率・高福祉を容認できるほど賢くないのだ。いいかえれば日本人一般はノルウェー人一般に比べ利己的で公共心が低く、国民全体の幸福度より私利を優先する国民性をもっているので高税率・高福祉を真似そうにない。それで米国風の格差拡大(新自由主義)を支持し、資本家や富裕層、自民党員、皇族らがひたすら有利になる体制を選好している。
日本の資産・所得格差の指標である相対貧困率は先進国で米国に次ぎ、2番目だ。そして日本人の保守主義者らも、このことを誇りに思い、寧ろ格差の頂点付近に君臨する皇族を象徴化したがっている。しかもこの種の思想に基づく自民党が最大の支持率をもつ。つまり日本人一般は格差主義者なのである。