2019年4月28日

学歴差別主義者の分析

学歴差別をしている人達は、自らの知性に劣等感を持っている人達な場合がほぼ全体である。自分の見てきた彼らは、自らの知性がなんらかの重要な秀才または創造性の高い天才に比べ劣っている経験を繰り返しするか、育ての親からその種の劣等感の裏返しで名のある大学の学位または入学・卒業歴を短い期間で習得するよう当人の意志に逆らって強制された経験をもっている。そしてこの種の人達は学歴差別という偏見を自明の前提とする様になり、他人の知性の一部または全体を学位なり入学・卒業歴なりで推し量ろうとしてしまう。また自分が他人よりそれが上と考えた時には、他人に対し内心または公然と優越感を主張する様になる。
 こういった学歴優劣感の持ち主は知能全体を自らの妄想の中で競争的舞台とみたなんらかの教育的学習過程で類推し、その枠組みの外にある人物を全く前提なしに評価できないので、常に対人関係不安を抱える様になり、自らの偏見の枠内に居る、決まった相手としか交際できなくなる。実際この種の人々は人格とか芸術・運動・対人関係知能といった知能の多様性の中ではほぼその科学教育上の定規を役立てられない上に、秀才以上の存在や独創的天才、科学習得の前提自体が自身の受けた集団教育の類型にない知性について全く判定できない。その為、この人達は知性をなんらかの創造的役割(つまり単に模倣的でない知能)を担う本来の能力から逸脱して考え、特定の決まった科学教育歴の中で効率よく知識を習得し、また往々にしてこれらの人々は労働者になっているのだが、同じ階級・集団を再生産する為にあるものだと思い込む。だから彼らはしばしば人間の知能を「スペック(仕様書。specification)」と呼んでいて、労働階級の拡大再生産の中で型にはまった学習過程を繰り返す機械、或いは歯車と矮小化して捉えており、しかもその一生を至上の幸福と妄信してもいるので、経営者・資本家・皇族含む政治家側のシグナリング理論を背景に合理化に耽る。
 結局これらの人々は科学教育を俗事、特に労働階級の再生産に応用する為に使った結果の一つといえるが、本来の科学が真理の探求だったことからも、知性の矮小化の一種、科挙的な現象といえる。彼らは多重知能説(知能の多様性を含む知能の捉え方)以前の世界観に生きており、しかも産業革命以後に商人のうち労働階級の再生産が工業時代の型にはまった作業に最適化していた時代の価値観を絶対視してしまっていて、それ故に差別的学歴観を合理的なものと見なし疑おうとしないのだが、文明の進展が自動的にこれらの人々を不適応としていくのが必然である。工業的優位さは国際貿易中で或る国の或る労働者集団を駆逐してしまうし、それは経営上の創造性を軽視なり無視していると革新的製品を生み出せず日用品の赤い海に落ちるからだが、同時により安価な労働力に溢れた国々との地球的競争で自動的に高費用な教育課程が無用の沙汰になるからだ。