2019年4月11日

労働者の分析

きのう、あるきっかけで、世間がどういう考えをもっているかについて、学問・学歴について少し聞く機会があった。それでわかったのだけど、はっきりいって世間の俗人が偉人になれないのは当たり前だと思った。考え方からして本当に凡愚としか言い様がないもので動いているらしいのだから。
 俗人に標準をあわせてそれに迎合していたら永遠に進歩はない。勿論その下俗な水準の幸福しか得られないし、それ以上の世界を知っている人から見たら、それは本当にとるにたらない一生だといえるだろう。物事の標準は常に、自分より優れた人に置かないといけない。
 自分がみた労働者達ってインターネット上で差別をまきちらしたり、匿名で悪業三昧してばかりいた。そして彼らがどういう考えでそういう生態を選んでるかも少し聴いたけど、単に流されてるだけの雑魚みたいだった。彼らの中にまともな人間が一人もいないとしたら、それは普段の業が悪すぎるからと思う。労働者の分析が必要だ。一体彼らはなぜ資本主義を信じているのか。その構造の中では最も不利な立場の筈なのに。社民主義とか共産主義は、自由主義より労働者達の生活向上を優先する考え方だが、現実の労働者の生態を調査分析していくと、はっきりいって同情に足らない部分が沢山でてくる。因果応報というか普段から浪費する、目先の誘惑に弱い、動物の様に理性がなく直ぐ繁殖・交尾してしまう等。
 労働者全般は自分で考える能力がない。だから上司の命令に従って行動したがる。またほぼ本能的に群れたがり、周囲の多数派に同調したがる。ファシズムの温床としての他人志向型の孤独な群集。大企業社畜か政府公僕が理想の人生で創造性は皆無、機械人間のよう一流大卒で繁殖死亡まで型にはまりたがる。労働者の世界では型に完全にはまった機械人間が模範になっていて、彼らの中では選良(elite)といわれている。AIの方が得意な論理的作業を効率よくこなす人間で、心がなく、或いはひたすら女遊びをしている人間の方が優れていることになっている。商人層の中では金を儲け女遊びに使うのが正義なのだ。非常に大まかにいえば、江戸時代の大坂・江戸での町人階級、商人の生態が、そのまま、現代の東京圏や関西圏、愛知県の労働者に踏襲されている。そして彼らは一般にその生態を全く同じく子供に履修させる一生を理想視していて、本当にロボットの様な、量産型の考え方をもっている。ところがその量産型労働者達は、インターネットでは匿名になり、多くの悪業をやり尽くしてきている。逮捕されない限り悪業の底を抜いた行動を群集でする、というのがこの労働者達の行動原理で、完全に悪意でやっているのだが、反省はしない。なぜなら彼らにとって群れることの優先順位が最大だからだ。
 社民主義や共産主義は、この種の多数派を占めている労働者達を中心にした考え方だが、当の労働者達には全く人気がない。なぜならGHQや皇室から洗脳され、これらの考え方は悪だと思い込まされているからだ。逆に労働者らは、資本家、経営者、皇室、米国人に有利な自由主義や資本主義を狂信している。
 今述べた所が労働者全体の全生態といえるが、既にわかっているよう現代の奴隷階級といっていいだろう。そして愚のままにされている、もしくは自分で愚にとどまろうとしているから革新に至らないし、金持ちにもなれないし、保守的に現状維持のままでいるわけだ。そして労働者間で差別しあっている。労働者全体の中で出世できるのは全体の一部だからいわばレッドオーシャンで競争していて、殆どは経営者にたどり着けない。起業家は金持ちになるためこのラットレースの外から資本主義に再適応しようとした人だが、そこで成功すれば確かに資本家にもなれる。公務員は先ず年功序列でろくに出世できない。総じて、労働者達の置かれている立場は、商業界の中でも最下等の存在なのだが、学歴とか企業名とか勤務地とか給与で、その仲間の中でどんぐりの背比べしているわけだ。さらに彼らは非正規雇用とか無職ニートなどの概念を差別に悪用し、自分の合理化に使う。まあこの時点で救われる余地がないと思う。
 政治家は理想主義者と現実主義者がいて、理想主義者の代表が共産党と社民党で彼らは素で労働者の生活向上をめざしてるのだが、当の労働者の方は暗愚すぎ、搾取してくる皇室からの洗脳を解けない。そして現実主義者の代表が自民党で、労働者を騙すことに特化しているわけだ。自民党と皇室は共犯で、労働者の生活をできるだけ最低にしながら、そこから搾取できるだけ搾り取る、という点では経団連大企業等とも完全にグルになっている。つまり資本家・経営者の側と共謀しながら、労働者を洗脳する為に全能力を使っている人達なわけだ。労働者側はこれを認知するほどの脳はない。寧ろ自民党員の側も、自分たちがなぜ労働者の待遇をできるだけ最低に保とうとするか、理解していない筈だ。自己洗脳し、さも労働者の為に、福祉軽視、企業優先の政策をとるべきなのだ、と思い込んでさえいる。ここからいえば自民党員も、労働者全般と同じく救いがないといえるのではないだろうか。で、自分が現実にみたその労働者達の生態は本当に酷くて、自称一流企業に勤めている人の日常の余りの卑俗さに吐き気がとまらなかったことさえあるし、彼らを救済しようという野党の思いが正当なのか疑問になるほどだ。いいかえれば、労働者の卑しさと待遇の悪さに因果関係があるわけではないと思った。最初に労働者が卑しいから待遇が悪化しているのか、それとも最初に待遇が悪いから労働者が卑しくなるかだが、このどちらも正しくなくて、学生時代の生態からして既に卑しいのだ。卑しいなんてものじゃなくてネットで観察してみると、動物かな、と思う行動をしている。発情し喧嘩し犯罪しているのだ。つまり最初から、資本家とか経営者とかいった上級商人になる人とか、優れた起業家になる勉強家と、労働者一般になる人達の遺伝的・文化的要素というのは本当に全く違うのだ。そこからいえば福祉によってこの労働者を優遇しようというのは、何かおかしいのではないか。無能な上に怠惰な人達なのだから。
 確かに今自分がいったことには疎漏があって、現実には生まれつきお金に恵まれた家の子とかじゃなければ、或いは素質がなかったら起業家として芽が出ないじゃないか、そんな余裕はないから経済資本格差で労働しないと学生としてもぎりぎりなのだと。これも一理あるが、金持ちでも怠惰なのは沢山いる。実際、自分が見たある金持ちの子は、学生時代に自分の車であちこち旅行にでかけ一ヶ月にカードで100万とか浪費してたけど、その後、一般企業に就業しても実に見苦しく卑しい生態というか、同情できるのかなこれってレベルの蛮行を続けまたも浪費していた。じゃあその人を福祉が救済すべきなのか。
 ある子供の学生時代に、家の資産・文化格差が反映され大変不公平な学業環境になる。ゆえ格差固定化を伴う。典型的にはこういわれている。実情をみると勉強への意欲の度合いは生まれつきのその個人の資質によっていると思う。機会均等のため奨学金の充実は必須にせよ、怠惰な人に福祉は無益有害と思う。
 結局、左派の中にも極端な結果平等主義者と、中くらいの競争平等主義者と、寧ろ弱者にだけ救済措置をしようという機会平等主義者がいる。この中でも中~極端な結果平等に近づくほど、逆に不合理さが増す。自分は労働者の生態を現実に観察した限り、極端な結果平等主義は完全に間違っていると思う。だから共産主義の理想はそもそも勘違いされた目標で、例えば危険をとって起業した人や、自ら投資や経営する大変な知的・体力的負荷からいえば、単に上司に言われたとおりにして給与がおとしてもらえる労働者と結果が同じになるなどありえないことになる。社民主義の理想は労働者含む国民一般の幸福度向上、弱者救済といえるだろうが、これが有効なのは労働者一般に被搾取者としての自覚がある集団であり、日本人一般のよう簡単に皇室その他の財閥から洗脳される質の集団では、そもそも実現しようがない。労働組合の意味もわかっていない衆愚なのだ。
 最終結論をいうと、平成から令和の日本人一般は自民党のよう労働者を騙す政党や皇室財閥などから、最低限度のくらし以上の金銭を搾取されている状態を、自ら保守する筈だ。その構図を知り金持ちになるのは資本家、経営者、起業家、自営業者等として、よく勉強した一部の人だけだ。