欧米主導の過激フェミニズムの論調に迎合し、日本人男性をオリエンタリズムの偏見で貶める文脈に置き、日本人女性を悲劇のヒロインにしたてあげる、という悪意ある政治的喧伝が、ミーム戦略として極めて有効だ、という証拠が複数あがってきている(これに反する超後進としてネット右翼が存在する)。この戦略自体には女性優遇・男性冷遇による極端な結果平等に近づけようとする左派的な側面以外にも、単なる純粋な善意からきた男女同権を求める心情に訴える建前があるから、内部に含まれている悪意ある側面(日本人男性を下等人種扱いし日本人女性を欧米人が奪う)はほぼ覆い隠されている。いわゆる右翼の一部(皇室含む)は、遥かに後ろでいまだ中世的な男尊女卑を大真面目に信じていて、この人達が欧米フェミニズム思潮からみれば言語道断となるのも確かだ。つまり、国際的な文脈としてのフェミニズムと、国内的なそれとしての左翼思想が、たまたま一致しているのが日本人女尊男卑なのだ。
さらにこの一致点には、欧米のオリエンタリズムまで重ねられているので、幸福度や自殺率の面では世界で最も不遇というべき「日本人男性全体」へひたすら悪意ある汚名を着せ、逆に白人男性一般(しかし強姦発生率は日本人男性一般より高く、平均的IQは低い)を持ち上げる文脈に置くことになる。
状況を冷静にみると、幸福度が国内男性より世界一高い日本女性一般は結婚したがる傾向にある。つまり女尊男卑の文脈で日本女性全体へ無理に社会進出させ男性と競合させると、当人の意思に反した結果をもたらし、男女共に不幸になりかねない。会社員等として労働することが理想な女性について性別を理由に妨げることは(その職業が何らかのわけである性別でなければ不可能な作業でない限り)あってはならないが、欧米フェミニズムやオリエンタリズム、極端な結果平等を強要する女尊男卑は、どれも両性の本質的な幸福追求権を損なっている。
重要なのは或る個人が、属性を理由に差別されない権利をもつ、という概念で、女性、男性、日本女性、日本男性など、或る集団分類で属性を一般化して考えると、常に統計的恣意や、例外の余地が生じるので判断を誤る。フェミニズム集団、オリエンタリズム集団、女尊男卑(男尊女卑)集団。どれも愚だ。同様に、男性であるが会社員等として労働することに全く向いておらず、それを望んでもいない人間が、家で過ごしているとして、その人を「引きこもり」「ニート」「無職」などといい差別的に扱う、という日本社会の偏った通念は、完全に女尊男卑による性差別の一種だといえるだろう。
オリエンタリズム、フェミニズム、女尊男卑、男尊女卑といった集団分類を使った差別を、自己喧伝の手段とか自己の政治的正当化の為に使っている人々がうんざりするほどおろかなのは確かだが、この種の人々は端的にいえば、個々人の違いを分析しきれるほど一般人が賢くないことを悪用しているのである。