2019年4月24日

奴隷であるところの労働者の再生産はちっとも美しくない

労働者の再生産の過程を親の一生涯から子がまた再生産して同じ過程を繰り返すまできちんと観察してみるといい。そこに何も尊さなどないから。すごく馬鹿らしく見える筈だ。自分はその全過程を幾つか実例や逸話つきで見たけど、何も同情というか共感できなかった。だって何も考えていない動物なのだ。労働者全般の繁殖する理由は、「発情したから」「性欲で」「周りが性行為なり結婚なりをしていたから」とか、本当に稚拙で下らない理由である。しかも殖えても同じ過程を繰り返すだけで何度みても似た様なふるまいであり、言ってみれば二足歩行のサルでしかない。事実がそうなのだ。
 ではどうしてこの労働者と呼ばれる集団を、人類は何らかの理屈をつけて美化しているのだろう? いや、していないかもしれない。その生態しかないと思い込んで自己喧伝している東京都内のマスメディアだかサブカルチャーだけかもしれないし、実際そうだろう。町人商人の自己正当化でしかないわけだ。
 多少なり知性をもっている個体が、たまたまこの労働者の再生産過程にまぎれた場合、彼・彼女は余りの馬鹿らしさに反出生主義なり解脱なりを目指す様になるだろうし、それが仏教信仰だった。神道は奴隷の再生産の為に富国強兵イデオロギーで国民を洗脳したが、仏教はこれと対極にある考えだったのだ。神道の目的は天皇を自称している殺人狂一家のダークトライアドさを満たすことで、オウム真理教とやっていることは何も違いがないが、暴力規模が大きいだけだ。その配下の暴力団は日本政府を自称しているが、元々は奈良県のやくざだった。だから皇室の下で公務員になる者は邪教の手先に過ぎない。