2019年4月9日

自由人が時代の代表で自称勝ち組の奴隷ではない

愚民は満足させられない。衆愚は無限に暗愚さを欲し、無償の娯楽を要求するがその質をますます低く求めてくる。最終的に家畜未満の待遇を欲しながらも、国家の堕落と崩壊につながるのが、この種の無教養で怠惰な一般大衆だ。
 ひたすら愚民を無視し、彼らの欲することを軽蔑しているがいい。
 愚民が求めているのは奴隷的一生であってそれ以外ではない。だからこそ自由教養を軽蔑し会社や政府に飼われる人生を「勝ち組」と自称していたのだ。彼らには自由は恐怖や憎悪の対象で常に忙殺されていないと、片時も不安で生きていられない。だから労働者と呼ばれる人々の幸福は、奴隷的なものなのだ。天皇皇族、政治家や資本家、経営者、上司、取引先、顧客。彼ら労働者は常に誰かに支配されることを望み、自力で何かを行ったり自由な発想をもったりするのは最大限に避けようとする。奴隷的根性を至高の倫理と考えており、周囲の似たもの同士で群れつつ、ひたすら少数派虐めをする。自己正当化の為に。
 マルクスは労働者の実態を知っていたのだろうか? なぜ奴隷生活を幸福だと感じている人々が、労働から解放されるべきだと思ったのだろう。彼らはもしそんなことがあれば真っ先に大発狂し、大量に自殺しかねないのだ。常に労苦と忙殺の中で何も考える余地がないまで追い詰められないと、不安なのだ。この世で、自由を愛し、自らの頭で考える能力を生まれ持っているのは、実際にはごく少数なのである。そしてその種の悟った人が往々にして最初から質が違うことも明らかであり、素質が違えば同じ教育を受けていても、片方は労働者に、片方は自由人になる。つまり少数者しか自由になりようがないのだ。資本主義は愚民向けに実に低俗で馬鹿の様な、脳を全く使わずに済む、中身のないこんにゃく的サブカルチャー娯楽を売りつける。このサブカル中央主義イデオロギーは、愚民化を動物化と形容する某批評家に正当化され、衆愚側も大満足し安住している。結果、国際的に地位が低落し日本はばかばかりになる。資本主義的大衆商業娯楽をどんどん欲するが、そこには何の意味もないので、単に奴隷達(社畜や公僕と呼ばれる)は自分達をもっと馬鹿にしてくれる情報を買い求めているのだ。もっと惨めに、もっと暗愚に、もっと悪意に満ちた人生にしてくれる情報を欲する。なぜなら奴隷生活を勝ち組と思いたいからだ。
 我々の中に自由人がいるなら、全くその人にしかこの時代の代表者たる資格はないであろう。我々の精神の殆ど全てがその人にしかみあたらないからだ。