2019年3月21日

詩はある意味を伝える為に最美の配列

綺麗な言葉を羅列できないというのは、詩才がない、凡愚だということだ。同じことは言葉という道具だけでなく、音の配列や、色の配置についてもあてはまる。
 恐らくこの人(ツイッター上の「ラテン語たん」アカウントの中身の人)が「或る綺麗な言葉の配列」を「お洒落感だけ」と非難しているのは、内容と形式を分けて考えているのだろうが、真に綺麗な言葉の配列というのは、言葉の本質が音や文字だけでなく意味を伴っている以上、内容の配列も含む。即ち、よい詩は意味の美を伴っている。
 意味を伴わない表面的な美辞麗句を修辞的に駆使する傾向の一部は耽美主義と呼ばれるが、これは単なる一形式であり、優れた詩の全体ではない。哲学も記述・筆写される限り散文詩だし、いかなる内容も形式なしに表現できない(どの様な思想も言葉を使う限りその文体・口述の形式を通じて表現される)以上、美辞麗句を道徳的意味より重視する耽美主義者の一部への嫌悪を以て、詩の全体を誹謗するのは間違えている。
「真によい詩は意味を伴う」が、修辞を伴わない詩は言葉の音声・文字面を無視しているから耳目を引くほど美しくない。
「辞は達するのみ(言葉は意味を伝えるだけのもの)」なら、或る意味を伝える為に最善最美の言葉の配置がある、といいかえることもできる。