2019年3月26日

学歴主義は人の知能の多様性を評価できない愚者の証

今、ある人の過去のツイートを見てて、「学歴は人間の品質保証だと考えている」と書いてあり、この様な単純化が低IQの証明になるのは明らかだな、とわかった。現実に自称高学歴の馬鹿とか悪性者は無数にいる。現実の学歴は殆ど何も保証しない。特定分野の知識の有無程度しか受験入試ですらわからない。なんらかの差別を持っている人間は無数にいるが、その差別が単純なものであればあるほど、当人の地頭の悪さを証明してしまう。その種の過度の単純化を無意識にしがちな脳を遺伝していると、当人が気づかないところで現実を歪めて捉え、結果、不都合な真実の前で損害をこうむり失敗することになる。
 学歴差別は日本では科挙に遡れる。官吏登用の競争試験という中国文化を明治期に捏造した帝大の入試にあてはめ、のちに受験戦争と呼ばれた時代を作った。出自が科挙だから欧米流儀の大学と質が異なっていて、実際的に役に立たない受験専用の知識を詰め込んだパズルを受験生に解かせている。自分は高校に入る前からこの科挙的制度の愚を知っていた。進学校に入ったが、東大に行って官僚等になっても世の中は変えられないと知っていたので美術の道に進んだ。芸大入試が運を試す試験でしかなく、内部は愚者の楽園だと知ってからは、それ以前もしてきたがほぼ独学で学ぶ様になった。大学云々といい学問を大学教授に一通り習う程度で終わっている人は、最初から学問をしたとはいえない。それは学問を宗教としてみている浅はかな態度だ。より深い知識、或いは真理はいずれの教授が持っているものでもない。一流以上の知識に達したければ、教授に関わらず自分の研究を続けねばならない。企業が新卒一括採用という日本独特の慣行の際、人事差別の一つに学歴を使っているのは、実際には大企業病の一種であり、仕事に使う能力と一般的学歴に相関性がない時、本来の実務検査を過度に省力化しているに過ぎない。又これらは労働者中での差別だから、他の職業や立場の人に何の関係もない。
 久しぶりに(というかはじめて)、機会があって某人物の言動や過去ログを全部みかえしてみたんだけど、余りに低俗で吐き気がしてきた。やっぱり低俗な人間は最初の頃から低俗なんだなとわかった。
「学歴主義者に賢者なし」
自分はアメーバピグというので計4人の学歴主義者(それぞれ、京大、東北大、東大、関大の出身者で、自分の学歴を鼻にかけ周りを見下し優越感に耽っていた馬鹿だった)を見るまで、この世に学歴差別があるのを知らなかった。僕の家族は祖父母まで全員大卒だが、誰もそんなこと言ってる人いなかった。何のわけもなしに周りを見下すことで無意味な虚栄心に耽って差別的言動をとりまくるばかりか、自分の知る筈もない分野についてまで全知ぶり、それどころか自分より高いと見た学歴の相手にはヘコヘコと見苦しくこびへつらう。そういう4人を見て、自分は学歴主義者を心から軽蔑する様になった。その4人、乃至もう一人、東工大出身者の人も、人格的には最悪級の人達で、しかもその5人のうち4人までは明らかにサイコパスだった。ピグ上で良心のない蛮行三昧をし、残る1人(或る自称東大卒の男)はより陰険で表向きはいい人ぶり女を前にすると平気で人を裏切る、人の風上に置けない悪党だった。自分は漱石ファンだったので全作品も読んで三四郎池だの漱石の墓までわざわざ行ったのだが、現代の東大(しかもその男は博士号をもっているといっていた)卒の人は、リアル『こころ』みたいな裏切り行為を平気でやるのである。いずれこのことは何かに書き残そうと思う。きっと後生の役に立つ筈だ。
 学歴差別をしている人で賢いのはただの1人も見たことがない。どこかにはいるのかもしれないが。何しろそれはただの差別なのだ。学校の外にも賢者がいるのは当然だと思う。逆説的に、学歴主義が当人の思考原理の単純さ、世の中の複雑さに対する浅はかな見方を実証しているといえるのではないだろうか。
 ただ機械的に所定作業をこなすだけの人達が、型にはまった機械として要求されているのが一流企業のあり方なら、その様な企業が一流であり続けられることは今後なくなる筈だ。AIの普及はその種の論理機械を最も先に代替できるからだ。逆に、一流企業の姿になるのは、多様性を最も内包した組織だろう。馬鹿が型にはまった労働機械に仕立て上げられ、下らない奴隷的作業を資本家や経営者から死ぬまでさせられているのに、地頭が悪いほど自分が利用されていることに気づかず、従順な社畜として組織の外にいる人を差別し、暇を軽蔑し、目先の給与に踊らされニンジンを目前にぶら下げられた馬みたいに働く。労働者になることを宿命かのよういいながら、労働者の仲間内で採用時のみ通用する学歴差別を公然と主張し、考える力と自由を最大限奪い去る社畜暮らしを全力で保守する奴隷根性が、俗人を構成するほぼ全要素だ。そしてそれは当人の頭脳が生まれつき怠惰で、自ら自由教養を放棄したせいで堕ちた道だ。労働は罰だ、という西洋的観念は、日本型資本主義の中では一定程度正しい様だ。確かに自ら考えるという主人の第一条件を持たない人達が、貴族や資本家、経営者といった狡知ある人々の従者になるのは仕方がない。自ら考えても間違える一方だから他人の命令に従っている方がましな人達が、労働者になる。労働者一般が善徳に満ちた哀れな人達なら同情の余地があるが、現実に彼らの一部を抽出し観察してみると往々にしてただの下衆だし、当人達が愚物でお仕着せの就職切符を得る為に、という風にろくに学問もしていない肩書きロンダリングの不良共だから、自業自得で社畜(自称勝ち組)だとわかってくる。社民主義は労働者を善良な存在と仮定しているので、或る意味では現実を知らない考え方だといえる。むしろ日本で幸福に値しない人達が忙殺されているのは、彼らに自由を与えない為だ。調度船員に碇を磨かせる船長のよう小人に閑居させないことが、労働者の愚物ぶりを知る経営者からみた正しい管理術だ。
 実際わずかでも暇があったら、自分がみてきた労働者らはアメーバピグやら2chを使い荒らしだの不倫だのといった犯罪行為を始めていた。彼らの大部分は元々学部以下で学業を挫折した根性なしの不良学生だし、学校に行かなかったら勉強する筈もないほど向学心がない。だから目先の金欲しさに労働する。貴族になる人はなるべくしてなる。また労働者になる人も同様だ。生まれつきの階級が皇族を除きない日本で、労働者を敢えて選ぶ人達はどういう人達だろう。暇や自由を得る方法は無数にあったのに最初からそれを放棄し、或いは軽蔑し、自ら衆愚に混じって生涯の忙殺を良しとした人達はどんな人達だろう。労働者の生活向上の為いる筈の労働組合を、労働者自ら侮蔑し、自分達を過労死においつめても代わりの移民を導入している自民党を崇拝する様子を、日本人はみたことがあるだろう。そんな本物の馬鹿達が、一体、本当に救われるべきだろうか。最低賃金の底が抜けたら彼らは喜んで非正規差別を始める筈だ。愚民の上に辛き政治あり、どころか、愚かな労働者の上に賃金切捨てがある。それは必然だし、日本企業や政府が実質賃金を減らせばへらすほど、労働者側は喜んで自民党に投票し、彼らに搾取した分を献金する経団連大企業にすがってくれる。それは労働者側が正真正銘の愚物に他ならないからだ。自業自得。立憲民主党や社民党が政権与党になりもせず、生産性の低い大企業が自民党政府や皇室と癒着しながらいつまでも居座り、資本の流動性が死に新興企業が育てず沈没していく島国。労働者達は勝ち組と自己正当化しながら取るに足りない学校名を誇りより貯金額だか所得の少ない人を差別し威張り散らしている。日本国に愛国心を持っているという人達は、例外なく馬鹿だろう。なぜなら日本人の7割は下らない現状維持の保守主義に媚びを売る、堕落した労働者であって、彼らの主要な生活動機はもろもろの差別によって虚栄心に耽るという見るも無残で惨めったらしい卑屈な奴隷根性なのだ。私の目には労働者達が不幸になって死んだとしても、それは当人達が選んできた最悪級の堕落した進路の故に見える。寧ろ彼らは浪費したり、平凡な家庭を築く(奴隷の生を維持する)のを喜びと思うよう、凡愚の中で家畜的な自己満足に耽るよう脳を駄目にされているから、勝ち組社員は幸福と驕り死ぬのだ。
 経営の合理化のため人件費を圧縮しようという株主資本主義の浸透は、今後もやむことなく進み、日本企業の人員削減もAIによる自動化設備の導入と共に大幅に行われ続けるだろう。それはよいことだ。下らない保守主義者が更に増えても、ネットや現実のあちこちで無数に差別を繰り返すだけだろうから。
 教授や教師は神ではない。単に自分以外の少数の教授に書いた論文を認められた人(その論文が正しいという意味ではない)か、ある分野で一応の常識とされている知識習得を一通りした人(並のIQでゆっくりやって4年+2年ほどで終わるので大した量ではない)という部類だ。これらは学問的真理を全く保証していない。要するに教授や教師のいっていることは彼らがそう考えていること、というに過ぎず、それを鵜呑みにし自分は賢く、周りは愚かだと思い込むのはただの確証バイアスに過ぎない。真理は自ら探求しなければならない。自分より愚かな人が説得で賢くなったりしない。ある人がもっている差別や偏見を他人がわざわざ正してあげようという善意は、ほぼ確実に裏切られる。はじめからその様な愚物に接しないことが人生を正しく生きる上で重要だ。時間が無駄にとられるだけで、元々愚かな人は少しも向上しないものだからだ。