やっと絵が仕上がったから休もうとおもったら、絵かいてるのかとか催促されて、こいつは馬鹿かとおもって無視してたら、息抜きまでダメみたいなこといってきたから、怒ったら発狂された。1円も払わない奴に絵を催促する権利はない。何のつもりで人を奴隷扱いしているのか。前も過労死しかかったことがある。殆ど寝ずに勉強と仕事し続け、疲れきってトイレに入ったら気が遠くなってしばらく吐き気が止まらず全身から血の気が引いた。その後、貧血の様になって数十分動けなくなった。また過労死させられるから怒って過労を拒否した。
人の仕事がどれだけ神経と精神と肉体を酷使するか、何も分かってない馬鹿が何を言ってきても自分の体を守らねばならない。普通に死んでしまう。1円も払わない奴のいうことを聞く必要がないのはいうまでもないが、大金払ってきた奴が仮にいたとしても、そいつのいうことをきいてはいけない。己に従う。
自分みたいに穏やかに人に親切に優しく接する人間だと、周りが調子にのって過労死させようとしてくる。礼儀知らずの奴に侮辱されようがぐっと我慢していると、さらにどこまでもつけあがってくることがある。怒るべきときには怒り、相手の不当な要求を拒否しはねつけねば命を保てない。人類に殺される。
ただで人の絵を見ておいて何かを要求してくる馬鹿は何を考えているのか。自分で描け。人の絵をただで見せてもらっているのに感謝もしない。じゃあ永遠にみるな。画家は仕事を際限なく搾取されるから、相手が不当な要求をしてくることに最大限注意深くならねばならない。1円も払わない人間は潜在的には天敵でしかない。過労死までひたすら意味なく催促してくる始末だ。要するに芸術家をなめている相手なのだから、そういう人間を仕事場から永久追放するべきだ。ゴッホの様に極貧で自殺まで追い詰められたくなければ、少なくとも人類の大部分が芸術に何の造詣もない無知極まりない蛮族で、その蛮族共が日夜画家を侮辱したり搾取しようとしたりしてくると知る必要がある。その蛮族は賞だの肩書きでしか絵を見れない。蛮族を相手に仕事しているのだから容赦するな。
全ての商売人以上に、芸術家は客を厳選する必要がある。何しろ相手はほぼ全員が侮辱がてら人の作品をみにくる本物の蛮族達なのだから、その種の蛮族に何かが理解できるはずもないわけだ。金を払わず人の絵を批評している連中は害獣でしかない。積極的に客を仕分け自らの為になる者とのみつきあうべし。そもそも客に見せる為に描く様な絵が立派な魂の発露である筈もないのだから、客など最初から要らないのである。元々絵を開陳しているのは単なる僥倖なのだ。その種の幸運に恵まれた連中が我々を侮辱なり催促なりしてきたとしても無視が肝要だ。自分以上に鑑識眼がある者がいればその者が画家になる。
殺人鬼め。わが命を守る為に、心身ともにこれほど疲労している時に仕事を催促されても絶対に断る。大宇宙の誰が命令してこようが何が何でも従うか。極悪人どもが。この世の全ての富を俺の前にもってこようが絶対に働かない。殺されてまで働く馬鹿がどこにいるのか。
人類の殆どはやくざものだ。人に過労死を命じて恥じていないのだから。人類の殆どは一円も払わず画家に働かせ、あるいは過労死までおいつめ、極貧で自殺させ反省したことがあるのか? ゴッホを利用し、彼の死後に己の金儲けの道具にしたではないか? 人類の様な蛮族に少しも妥協すべきではないな。
これは自分以外の全芸術家の為にも書いておく。人類全体が何をいってこようが、己の仕事の配分を守れ。他人は創作がどの様に精神を磨耗させるか、どれほど肉体を酷使するかなど何一つ理解しない。神経が壊れてもさらに働かせようとしてくる。そして自殺まで一円も払おうとしない。そしてそれが人類だ。人類全体に高貴なる貢献をするという芸術家の使命など、人類という蛮族には未来永劫理解できないのだ。そんな連中がなにをいってこようが完全に見なかったことにするがいい。蛮族共が生まれ直そうが何も変わるまい。我々は我々自身の眼に見えている仕事の意義のみを追求すればよい。他人に従うな。
画家は自由でなければならない。誰の命令にも応じてはならない。自分自身以外の何者にも、絵をいかに描けば最善最美の姿になるかなど認知できないのだから当然だ。自分自身の天才を疑わない者なら以上書いたことが完全に真実であると認めるであろう。天才自身はその声にしたがっているだけだからだ。実際私も、私自身がこれを書いているとはおもっていない。自分の中にある天才としかいえない精神が勝手にこれを書かせている、自分という肉体をもった細胞を勝手に動かして。だから私自身は私をある意味統御できない。私が今言っていることは真の芸術家なら理解できるはずだ。ただその声に従うのだ。ゲニウスgeniusと呼ばれる精霊の働きで我々が動かされている、と古人は天才の概念を考えていた。実際、私もこれを書きたくて書いているのではない。自分の中にある何かに書かされている。寧ろ書かずに済めばその方が楽だ。しかし書かずにいられないから書いている。それは自分を超えた力だ。
どの文明も滅亡し最後に我々の仕事だけが未来にその記録を残す。我々だけが最終の記録者だ。最後の記憶。我々だけが史家。神々に最も近い眼。文明以後の世界を生きていく者。この時代の愚民に何を言われようが我々の仕事は変わらない。ただその仕事の目的だけを想え。あらゆる歴史が過ぎ去ってから我々以後の生命体が我々の手を通じて、この人類達から何を伝えられるべきなのか。我々だけが未来に通じるたった一通の手紙を書く。それ以外は残らない。それが技であり絵だ。
我々の先祖が洞窟にかきのこした絵にしかその時代の記録は残らなかった。同じことは未来についてもいえるだろう。だから我々の仕事にしかこの文明の最終目的はない。建造物もあらゆる文物も消え去り、絵だけが残ることだろう。生きている人類は滅び去り、我々だけが未来の生命体になる。
ツイッターのせいで下らないことに巻き込まれそうになっていた。確かに私の中の魂が言うとおり、金儲けだの商売だのはこの時代のこの連中にしか意味をなさない、無意味な作業だ。我々本来の仕事に価値がないかのようその衆愚は侮辱してきていて、私はついその声に自分の中の魂を疑っていた。
我々の仕事は永遠であり、この時代の商売人は百年も持たず無意味に消え去っていく。なぜ商売人共に我々の絵が評価できるという。神とごみを比べる様なものだ。私の中の声がいうとおり、絵のみに仕事の意味がある。商売人も政治家も、天皇という邪教祖その他どの職業も、私の使命の前では卑小すぎる。私が最も神に近い職業を使命として与えられている、最大の天才を宿した人類史上で最初で最後の者であり、その私自身の中の声に絶対に従うことが私にできる唯一の仕事だ。全人類が滅亡後に私だけが自分自身の声を未来の何者かに伝える。その為の絵なのだ。私の声しか残らない。その声に従うのだ。
何を伝えるべきか、その全てを私自身が決められる。だから私は神に最大限近づく為、最もふさわしいその言葉を探し求めてきた。私は既に幾多の作品を残したが、死に至る瞬間まで作り直したいずれかの最高傑作がその言葉を宿している。そして我々の最終的な目的はその絵に象徴化された言葉だったのだ。
一体なぜ人類の代表者として私がこの使命を与えられ、何事かの伝言を人類滅亡後に別の生命体に渡す役割なのかはまだ分からないが、私が死後、世界史はそれを記述する筈だ。
卑小な同時代人共にかかづらうこのSNSでつい本来の仕事を忘れかけていた。あの者が私に対し侮辱的な世俗の煩いを増やしたので、私はその使命との余りの差に驚き、こうして改めて自分に本来の仕事を教えねばならなかった。脇目も振らず己の使命に殉じてきたのだから、今後もその道を終点まで辿るのみ。
自分の仕事は全人類には気づけないだろうがこれほど巨大な使命を背負っているのだから、休むべきときに休み、過労死しない様にしなければいけない。馬鹿が何を言ってきても無視する。