心の傷が癒えないな。
これは心の傷じゃなくて何か別のものらしい。その相手の男のツイートの気色悪さから、吐き気や悪寒がとまらないんだから。某作家志望者のツイートもものすごく気持ち悪いけど、それよりひどいものがある。眞子と小室氏の問題にも感じるものだ、それと同じ何か。他人の醜い性欲自体への嫌悪感なんだろうか?
本来、他人が愛しあっている場合、それは賞賛したくなる類のものだと思うが、そうならないということはそこに何かがあるのだろう。直感的に。勿論、不純なものが。その不純さの正体が不明な上に、直感では気色悪さだけが果てしなくあるので吐き気がするのだろう。醜い恋愛というのが、ゆとり世代の一部の流行なんだろうか? 多分、損得勘定を純愛より優先している所が醜悪なんだろうな。
段々わかってきた。彼らゆとり世代の一部の損得愛は、異性を寄生か自分の箔付けかどちらかの目的でしかみていないのだ。それは我々の知っている恋愛や純愛では全然ない。一方は明らかな遊び人を強奪し虚栄心を高めるか、金に寄生するつもりで、一方は遊び人を自慢し他の女を誘惑するのが目的なのだ。単なる自己利益の為にしか相手をみていないところが、みていて吐き気がする原因なのがわかった。
第一に自己利益のため相手を利用する目的しかなく、第二にそこに性欲のあけすけな表現が加わっていて、しかも周りの下衆なゆとり同世代人に自慢する為にそうしているところが醜悪なのだ。このどちらも旧来みたことがない状態で、しかも大変に退廃したサルもどきの情痴なのだ。恋愛というより商売だ。ゆとり世代の一部の中では、男性が自分を飾る道具か、ただのATM的な寄生先、または女性が性欲を満たす使い捨ての道具化されている。しかもこのことを当人達は恥じる気配がなく、当然だと思って周りにもそうしなよ、とかいっている。ものすごく軽薄かつ心の通っていない単なる自慰道具扱いの様な物、或いはすさまじく愚かで同情の余地のない見栄の張り合いが、ゆとり的損得恋愛の実情の様だ。自分が観察していて余りの醜さに吐き気ばかりするのは、そういった姿を目撃し、失望と悪徳への嫌悪感を本能的に察知しているかららしい。相手が遊び人でありさえすれば、それを自分が奪ったということに、他の女に対する優越感を感じるので、ゆとり的女はこれが恋愛の基本目的だと考えている。しかも彼女らは貞徳をもたないので公然と卑猥なことをいってサルの様にその誘惑をしている。野蛮人そのものだ。
眞子がどうして小室氏に発情したのだ? とみな疑問に思っているが、それはこの遊び人を奪う虚栄心に似た動機が大きな原因になっているかもしれない。他のゆとり人間を見ていて同様の事例が余りに多い。誠実さというものを全く重んじておらず、嘘ばかりつき、とにかく遊び人に発狂してたかるのだ。一方で、ゆとり男の世界観では、女は使い捨ての性欲処理係という扱いが当然視されている。セフレ(sex friendの略で、交尾友達)といい、とかく多数の女をはべらせようとし、誰か一人を愛することは絶対にない。単に性欲処理係として女を扱えば扱うほど、虚栄心が目的の別の女がたかってくるのでこうなるのだ。このゆとり的損得恋愛の2つの事実、「女に貞徳なく、男に純情なし」を聞いただけでいかにこの国が末期的な退廃に包まれているかがわかりそうなものだ。自分が眺めていて嘔吐感がとれないのも当然だ。石原慎太郎や村上春樹の小説や東京の軽薄なサブカルが悪風を扇動しまくった必然の因果なのだろう。
単にゆとり女の一部(9割が婚前交渉を当然視するらしいから大部分?)に貞徳がないだけではなく、恋愛対象が遊び人に限定され、しかも他の女に対する優越感が動機になっているのは、性愛が見栄を張る道具になっているというわけだ。そこに純愛など全くないのだが当人達はそれが恋愛と思い込んでいる。ゆとり世代の男の殆どが、女を性欲処理係としてしか見ていないのは、AV(Adult Videoの略、交尾映像)が当然の様にネットで子供の頃から閲覧できた環境で育った必然的な成長結果なのだろう。東京が猥褻物取締りを怠ってきた結果、ゆとり男は先ず女を慰安婦や性奴隷としかみれなくなってしまったのだ。
勿論、全員がその種の退廃しきった典型的ゆとりなのではない、筈だ。自分が見てきた限り、そこに一人の異性に共感し純情さを持つ男性はいなかったし、また男を見た目や女をはべらせている度合い、金、属性で値踏みせず一人の人間として尊重する当然の人間性を持つ女性はまずみたことがなかった。ゆとり女が30歳に近づくとそれ以上遊べないと判断し、男を寄生先としてみるようになるので、単に虚栄心目的に遊び人にたかるばかりかその遊び人の中でも金が確保できそうな相手に余計に媚を売り始める。その媚の売り方というのは娼婦より酷い類のもので、恥を感じないのである。貞徳がないから。全体としてこの様に、現実を文章化して目の当たりにするだけで吐き気がとれない。それほどゆとり的現実はすさまじくみにくいのである。私が人生で一番ショックを受けたといってもいいその種のゆとり的損得恋愛の現場をみて、これは人間と呼べるのかと疑問に思ったほどだ。サルより野蛮な哺乳類がいる。
確かに今自分が分析したゆとり的典型像を示しているのは、主に都会、特に東京、関西、愛知、福岡などの人間達だ。しかし問題はこれら大都市を含む全地域がネットで結合されてしまい、しかも東京が退廃の極度にあるのにその悪徳めがけ全国の馬鹿が、なぜか憧れて飛んで火に入ってくる。救いがなくなる。
「まさかそんなことはないだろう」「現実の若者はもっと純粋だろう」と思うだろうが、眞子ですらああなのだ。後は推して知るべし。
結局、ゆとり的損得恋愛劇場の中では、眞子が実に一番ましな部類なのである。佳子のせりふをみてもそのことに全然疑問をもっていないのがわかる。それほどゆとり教育というのは、他世代に比べその世代の人達の知能を劣化させてしまったということなのだろう。サルより醜い恋愛なんてみたことなかった。現実には、ゆとり的損得恋愛劇を演じられている方が、ゆとり全体では上澄み部分で、勿論その劇場自体が他世代からみると余りの軽薄さに酷く醜悪なのだが、もっと恐ろしいことには他の大部分は下賎なサブカルチャーやポルノで自慰するとか、下手すると同性愛マンガに耽っていて現実に生きていない。同性愛マンガに耽るとは何か? というと、女性が自慰に使っているのである、男性同士の性行為が描かれているマンガを。そういうものがあること自体、他世代は知らないかもしれないが、ゆとり的女はそういうのを同級生で当然かのごとく回し読みしているのである。
これらの風紀の変化は後戻りせず、東京圏を中心に全国にばらまかれていくので、確かに田舎の方が変化はゆっくりしていて完全に東京化はしないかもしれないが、地方都市部を中心に、東京の悪風に憧れている世間知らずな子供達が全力でまねてしまうだろう。だからいずれ全国民が同じ状態に陥るはずだ。
ゆとり世代の下の世代(主に10代以下)は自殺率が最高なので、ゆとり教育が終わったとはいえTikitokでソフトポルノじみた踊りを40代の男性に披露し受けを狙い喜んでいる場面をみると、決して過去の道徳状態にもどることはないのがわかる。逆にもっと軽薄になっていく筈だ。眞子はそこではましなのだ。