2019年2月24日

ドナルド・キーン氏の訃報に際し、2ch文学板にいたレディー・ジャネット氏の思い出を交えた覚え書き

ドナキンが死んだ。(ドナルド・キーン氏を以下、しばしばドナキンと略す)
 本当に当人かは確定できないが、昔、2ch文学板でそれらしき人(レディー・ジャネットをなのっていた)と話したが、源氏物語オタクで中世の京都中華思想をもっていて、その意味でたちが悪かった。日本語をきちんと読める人でも、批判精神が欠如しているとああなってしまう。
 一期一会というが、僕はあそこ(2ch文学板)でドナキン以外に、村上春樹・綿矢りさ・平野啓一郎・大江健三郎ららしき振舞いをしていた(当人かは確定できない)匿名の書き手らを同時期に見ていたが、それぞれの人達の本性の様な物を垣間見れた。彼らを見て職業小説家の道はやめた。余りに下品だった。今後どれほど時間が経とうとも僕は二度と、日本の商業小説家達と関わることはないだろう。彼らがどういう生態やどういう精神をもって商売しているかは十分すぎるほど理解したが、その卑しさといったら地獄でも最下等というほどのものだった。関わらないがよい。小説家というのはウソをつくのを仕事にしている人達なので、2chの匿名性を悪用するなどお手の物の様だった。しかも彼らには倫理に殉じる、倫理を尊重するといった精神はかけらもなく、幼児性愛を含むあらゆる性的不埒さを中心に、想像をこえた荒らしによってひたすら悪を謳歌しようという考えだった。
 ドナルド・キーン風の書き込みをするレディー・ジャネットという人も、やはりそういう小説家達の中で、評論の様なかきこみをしていた。知識の質や程度からいってハーバード大の日本文学研究者だったとしても疑問がなかった。自分が話した限り、その人は昔、源氏を読み浮舟を助けたいと思ったといった。自分の源氏物語に対する最終的な感想として、常陸出身の素朴で善良な育ちであろう浮舟が京の下衆な皇族に強姦され自殺未遂し、遂に出家するという長編の終わり方は、超法規的な邪教祖兼世襲独裁者たるところの皇族犯罪の野蛮さへの批判として最も初期のものの1つだろうし、ジャネット氏に同意だった。欧米のキリスト教道徳と多少あれ混交した女権意識(女性にも倫理的尊厳を認める立場)と、日本でも自分の様なそれに近い倫理観をもっている人間とが、たまたま2ch文学板という匿名・偽名ネット空間で会話した。浮舟についての文学評論を通じた交流だったが、それは一種の必然的な奇跡だったのだろう。オリエンタリズムの眼差しの中で、そのジャネット氏(ドナキンとは限らない)は文学研究者として京都中華思想を平安期の古典から身に着けてしまってはいたが、少なくとも性差別や強姦罪を正当化して恥じない中世京都の風儀に多少ともあれ別の視野をもっていたのは確かだ。
 ただその後、彼と会話していてわかったのは、そのジャネット氏は自分に「択べるならあなたも一夫多妻を択ばないわけがない」「アメリカで既に程度こそあれそうなっているよう、どこも乱婚に近づく」といったり、「第二次大戦中に源氏を読んで(理想の世界と思い)感動した」などといったりした。つまりジャネット氏という人は浮舟に、僕と同じ様な一個の人間としての価値や尊厳を認めている(望まない性関係に対し強姦罪は当時も成立したと考える)のではなくて、単純に乱婚的な中世京都の風儀に憧れているだけでその中でヒロインとしての価値をみいだしているだけの様だった。それで自分はこのジャネットという人は真にキリスト教道徳や男女両方の純潔・貞操観念を尊重しているとは言いがたいとわかり、たまたま浮舟が可哀想(僕は貞操観念をけがされたという立場から、ジャネット氏は乱婚の中で望まない性関係をもたされたという立場から)という意見が類似なだけの様だった。今の時代でも皇太子と雅子妃の間に、源氏物語に描かれたのと同じ、邪教祖らの超法規的な性関係・婚姻関係への強制力が働いたのは皆しっていることだ。つまりもののあわれとして本居宣長が正当化したこの問題、「皇族の性的不道徳は容認されるべきか」という倫理的課題はいまだに尾を引いているのだ。
 ほぼ同じ頃旧2ch綿矢りさスレッドで卑猥な言説をまきちらす人を、自分がセクシャル・ハラスメントにあたると注意したのをきっかけに、綿矢風のふるまいをする別の匿名で女性風の書き手が「下品な煽情は却って自分に喜ばしいことなのになぜとめるのだ」といった下衆な立場から自分を責め立てはじめた。その後、これら綿矢りさスレッドで煽られた荒らし達が、自分の書き込みでない言動まで捏造しながら、意味不明な汚名を着せて激しく自分を名誉毀損し続ける間、そのレディー・ジャネットと名乗る人は傍観しており、最終的にはその荒らしらと群れ下品なやり方で自分を誹謗した。具体的にはフロイトの肛門期という概念を使って、荒らしらの1人が幼児園児のよう排泄物がどうのといいながら無意味な誹謗をしていたのに程度あれ加わったのだ。
 それで自分はこの2ch上でジャネットと名乗る人物(しかしドナキンとよく似たことをいう人物)に失望し、以後、2chを去り二度関わらなかった。
 ドナキンがジャネット氏だったかは分からないが、書き込みの内容はさもドナキンが書き込んでいるかの様に自分には見えたし、ジャネット氏もアメリカから移民してきた日本文学研究者の様であり、第二次大戦中の逸話や文学に関する好みまでそっくりだった。ただ一ついえるのは、あの人は文学という虚構の世界を、現実の世界と多少ともあれ混同していたということだ。だから平安期の文章の色眼鏡で日本をみていて、京都都市圏の外の日本の方が実際には豊かで上品だった可能性が高い、といった構造主義や文化相対論、民俗学などで得られる観点が欠けていた。現状でも犯罪率や刑法犯数をみればわかるよう、悪人は大都市圏に集中している。同じことは中世でもいえたはずで、京都が文学で描かれる虚構のよう上品な風儀をもっていたとはいえない。小説や物語はうそだからだ。寧ろ真実が逆だからこそ、源氏物語のよう皇族犯罪の告発が書き残された。レディー・ジャネットと名乗っていた人や、ドナルド・キーン氏にそのことが分かっていれば、ドナキンの生前によりこの問題を議論できたと思うのだが、自分は荒らしらの蛮行が余りに耐え難く、またジャネットと名乗る人の同調も不快だったので、その機会を永遠に失った。それでよかったのだろう。
 レディー・ジャネットと名乗っていた人物は、彼の虚構と混交された妄想的な日本像の中で、日本で死んだ。自分はそこに幾許かの虚しさを感じる。自分がそうならない為に、どうしたらいいかと思案さえする。因果応報というが、虚構と現実をとりちがえ誰かを傷つけるのはとりかえしがつかない悪事だ。レディー・ジャネット氏は一度、自分を褒めて、ここでみられるなかでは欧米の文学評論の次元で君の論説だけが認められるだろうといったことを述べた。これは褒め言葉のつもりだったのだろうし、その好意は受け取ったのだけど、欧米中心教義を内在しているところに知的限界を感じたのも事実である。
 ドナルド・キーンという人物と自分は直接現実で関わったことがないので、その人個人については何もいえないが、その人らしき振舞いをしていたレディー・ジャネットと名乗る旧2chねらーが文学板にいて、自分と議論したことがあると書き残すつもりで書いた。
 ドナキンの『日本文学史』や”Emperor of Japan”を読んだけど、彼は源氏物語体験が根底にあって、その歴史観は京都中心教義、京都中華思想になっており、将軍体制を蔑む傾向にある。だが自分の知るかぎり渡来人である天皇や奈良・京都政権が先住権をもつ東日本を侵略・抑圧・差別してきたのが現実だ。いいかえれば古代中国・朝鮮からの侵略者が日本で我が物顔で寡頭政治を敷く様になったのが飛鳥~平安前期であって、それが縄文期以前と同じく最大の人口をもつ首都圏から正されたのが平安後期~現代である。歴史観とみて、ドナキンの日本史関連書は客観的公平さに欠いているのだ。ドナキンの英文著作を通じ日本を知った人はこの点で大いに勘違いし、侵略者王朝を中心に考える京都中心教義をしらずしらず身につけてしまうであろうから、今後、彼のもたらした偏った歴史観を批判し直さないといけない作業が残ってしまった。文学研究者が下手に史書に手を出すとこうなる、という悪例ではないか? 史書は徳川光圀がそうしていたよう、厳正で客観的な検証に基づいた事実の羅列でなければならず、何らかの価値観への誘導であったり、特定の中心的教義からのみ時代を語る文学的虚構であってはならない。
 レディー・ジャネット氏らと2chで多少あれ議論し、彼に失望し自分がそこをみないようにししばらくのち、自分はNHK連続ドラマ『アテルイ伝』をみる機会があった。これは先住日本人の立場から日本史を読み直すという野心的な試みで、極めて興味深く、"Emperor of Japan" にもみられる皇国史観や、京都・奈良中心教義というこれまでの日本史の典型的な見方を大いに疑わせるきっかけになった。同じことは薩長史観や会津史観についてもいえるが。脳科学者の茂木健一郎氏は司馬遼太郎の小説史観に影響されてか、今日でも確実に死刑であろう反国家テロリストの坂本龍馬が、死の商人として武器をやくざに横流しすることで私腹を肥やしていた、ということ、その結果、最後の大内乱たる戊辰戦争で何千人もの日本人の命が失われた悪因悪果をやたら美化する。偏った歴史観をもっていると、その様な特定の主観に基づいて感情移入して書かれた小説的虚構と、ただの事実を混同してしまう。
 ドナルド・キーン氏の死は多くの人にお仕着せで悼まれるのだろうけど、自分が彼の業績を見た限り、寧ろその種の虚構の歴史観を英文で流布した人というのが事実だと思う。勿論ある人の死は痛ましい。自分も冥福を祈る。しかし彼の英文著作が与えている負の影響は、日本史への偏った眼差し、特に小説的な中世京都中心教義を、一般的な日本研究者の間でより強固にする可能性が高いので、大いに問題があったと自分は思っている。