2019年2月1日

進歩史観は自由意志という共同幻想による当為の実現

カルヴィンの予定説は未来が神の予定で決められていると考えた。だれが救われるか人間には決められないというこの説は、教会、権力者、金持ちなどあらゆる外的権威からの自由を保証するものであったため、この説を信じた清教徒らに、何者にも屈服しないという自信を生み出した。
 またライプニッツは、宇宙全体はあらかじめ運命が決められているとして予定調和を唱えた。彼がいうには宇宙は最小単位である単子(モナド)からできており、創造者である神はあらかじめ単子の調和を定めてあるので、宇宙は理性的に展開される。ライプニッツにとって未来の予定は楽観的なものだった。
 茂木さんは未来が決まっていたら自由意志が苦しいものになる、選択する意味がなくなるので無意味で不健康とこの動画(もぎけんTV『自由意志と記憶の時間的非対称性』)で仰っている。がカルヴィンの予定説やライプニッツの予定調和といった考えで既にみられた様、未来が決定済みでも必ずしも自由意志(という幻想)が苦しく無意味で不健康とはいえない。
 自由意志という意識は、近代人が外的権威からの解放を、産業革命など市民革命を背景に徐々に自覚していったときの共同幻想。一方、未来の記憶というのは、哲学用語では「当為」といわれており、当然達成すべき理想を指している。自由意志が当為(未来の予定)を実現していくという考えが進歩史観です。