2019年2月4日

高い芸術とその学び

高尚さを理解の難易度とすると、高い芸術は殆どの人に分からない。そしてグリーンバーグのいう前衛性は理解者を減らす方への進化圧をミームにかける。我々が純粋美術の学校で教授とか講師を名乗って威張り散らしている人達へ覚える直感的矛盾はこれによっていて、彼らに理解できない作品は彼らが評価もできないのだから視覚美術を含む芸術学校は成立しようがないのだ。そこで徒弟制を悪用し学生をますます低俗にする以外、芸術学校には意味がない。精々とうに後衛化し模倣の手順が完成しきった伝統芸能の伝承に役立つに過ぎない。
 私はこういう訳で芸術学校に呆れたので美術大学への進学を避け、建築学校に行ったがここでも設計の授業で前衛性を理解しない講師らから最大限の嫌がらせを受けた。校長に相談し昼間部の理解ある教師にかえてもらい、彼は教科書の模写を教えたので私は無事そこを卒業した。つまり建築分野でも芸術性が要求される設計は自身が一流の芸術家でない者に就いて見習うべきではない。建築学校にいた間、私は妹島和世氏へ直接会いに行きその場で弟子入りを頼み(事務所から彼女が出てきた所で、働かせて下さいと言った)暫く事務所を掃除したり模型作りを手伝ったが、こちらは師の人柄や仕事の仕方を知る意味でとても役に立った。だが誰を師としてもその作風を基本的型としてしまう副作用があるので、独創性にとって足枷になる面も免れないかもしれない。現に私は妹島氏の作風を超えることが建築設計上の課題になっている。そのことは私の知るかぎり、妹島氏も師にあたる伊東豊雄氏について同じだったようだ。