ツイッターが誤検出とかで1日も止まってた。
SMS認証してくれと出るんだけど、SMS認証コードを10回以上送り直してもドコモの携帯にこない。1日待ってもこない。ドコモの携帯でSMSはぜんぶ受信にしている。Gmailでといあわせたら1時間くらいで解除はされたんだが、理由が誤検出ってかいてあるだけで、再発防止は書いてない。
インスタ公式とかSNS間でツイッター連携してるだけなのだが、たまに自動化ルールに触れるとかってロックされて困る。SMS認証コード届かない問題も不安だから、詳細にといあわせた。
自動化ルールの文面は英語しかない。よく分からなくて不安だから、はやく和訳してほしいと書いた。SNS連携はルール違反なのか? 違反でないのか? はっきりしていただきたい。
恐らく現時点ではSNSツイッター連携(これしかやってない)は自動化ルール違反ではないようなのだが(DO!のところにBuild solutions that automatically broadcast helpful information in Tweets.とある)、英語が完全に読めてるか怪しいのでちゃんと日本語でも書いて欲しい。で誤検出はないだろう。
で、SNS間の連携なんて今後やらないとどうせどんどんSNSサービスふえてきて、ぜんぶを手動で更新通知送るなんて今の時点でも無理な以上、もっと無理になっていくに決まっている。ツイッターの「大量に自動生成されるスパムアカウント」自動検出が、SNS連携機能に引っかかるのはシステムの不備でしょ。
私は電話連絡を親としかとらないしそれだって1年に1回も使わないくらいなので、携帯電話代金はすごく高すぎると感じている。収入もとても少ないというかすずめの涙以下、ミトコンドリアイブとか、珪藻の涙とも思えない水滴より少ない。
具体的には全力で努力して年収3万以下(それも寄付と年に1枚くらい売れる絵の収入)? で他投資と損益通算したら総合赤字なので、ドコモは搾取だと思っている。生まれつき商才がまったくない、という人の苦労がわかるだろうか?
なにか贅沢代につかってなどいなくて寧ろこの数年、節制して何も買っていない。事業に投資してもリターンがマイナスなのだ。全精力と全知能を駆使して、それでマイナスになるのである。芸術家になるべくしてなる、決して商売人には向かないという人がこの世にはいる。それが私だ。
そういうことでドコモのぼったくりと私には感じられる携帯は、それも節制のためずっとガラケー契約なんだけれども、これは先月か今月中に解約しないとというところまで経済的に追い詰められている。
支出を削ることでしか収益のマイナスを補えないからに過ぎないが、それが私の経営能力なのだからしょうがない。
が、SMS認証だの二段階認証だの、格安スマホ契約代金やその本体料金以上の支出を前提にする制度を、大金持ち企業たちは平気で使っている。私にとっては大いに不条理だ。ねるまもなく全力で働いてもそんなカネを払う能力は私には全然ないのだから。
今月中にドコモ携帯解約して、携帯自体をやめたいのだけれど、親が連絡できないと不安だというので仕方なしにもっと安いソフトバンクのプリペイド携帯にしようと考えていたのだが、これも番号ポータビリティとか使うと3000円もかかる。そんな大金は私の銀行口座に入っていない。
3000円も払えたら苦労はしないよ、という話で、SMS認証を必須にしてくるツイッターは近々、私の仕事の範囲から外れるかもしれない。番号ポータビリティ使わずに移行したほうが節制になるからだが、このプリペイド携帯というのも曲者で、こちらから親(親以外には連絡しない)に連絡できないのだ。
正確にはこちらが課金すればできるが、生存確認だののために毎月、私には預金額を超えた維持代金を払わねばならない。それを払うための銀行口座残高は最初から私には無いのであって、親が負担する。だが親に余計な負担などかけたくはない。であるから、私はこのプリペイド携帯もできたらもちたくないのである。
つらつらと考えてみるに、なぜ私に商才がまったくないかといえば、私が愚かだからとは恐らくいえないのである。私は商売というもの自体が大変嫌いで、やることが苦痛なのだ。その苦痛さはすさまじくて、大体、舌を噛み切るくらいの痛みといえば適切なたとえとなるだろう。
そうとはいっても生活費を稼ぐだけの苦労は甘んじて受けねばならぬので私としても全生命力を費やしてやるのだが、商売が全くできない。どうしてかというと、私の中には世人がもっているようなある種の俗物性のようなものが殆ど全く要素としてないのである。
だから他人が一体なにを欲しがっているか、いわゆる需要というものがさっぱりわからないのである。想像もつかなければ、現実に見てもにわかには信じがたい。なんでこんなアイドルの幼稚な歌に大金払うんだろうとか、なんでこんな下らない漫画にお金払えるんだろうとか、まあ感覚が全然世人と違うのだ。
別のところで書いたことがあるが、私は神になりたいという夢をもって生きてきた。はたちくらいからそう思い出して、十数年後の今に至る。神が全知全能全徳の存在で人を超えたものであれば、その神が世俗の商売をするかといえば多分しないだろう。なので、私も世俗にまじわらないように生きてきた。
要するに私の内心からいって、商売なんて世人がやればよいもので、私には興味がない。しかし肉体は人間のものであるから、その人間としての肉体を支えるだけのことは一応やらざるをえないのだが、動物化を喜んでいる他の人間のことまで分かるはずも無いので、消費活動の予想ができない。
こういう理由で私には元々商才もないようにおもうし、そもそも自己利益を追求するために他者から付加価値の名目で上前をはね、あるいは取引先や労働者らを搾取するような蛮行は私には到底耐え難い苦痛である。私自身そのような卑俗なことを進んでやるためにはあまりに自己の魂が高潔なのだ。
いちおう経済活動に参加しなければ、日々の食べ物すら事欠くので、やってみたのが2年前くらいからだ。最初は勧められ絵を売ってみたがろくに売れないので、もっと世俗的なのがいいのかと思いゲームを作って販売し寄付を募ってみたりしたがこれは同じくらいかもっと売れない。全然商売ができない。
で投資というのをやっている男を見かけたので、これについて重々勉強しながら試してみて今に至るのだが、これは当然他の人達と同じ結果である。つまり損失の方が遥かに大きい。
米Apple株の一時的な浮揚があった時にその1万円くらいの含み益から、ブログを書く道具が壊れていたので中古iPhone4sを3000円で買ってみたが、その後、同株価も下がって含み損になっている。これが私の投資の全成果というか収穫物で他はおよそマイナスである。
ツイッターその他の企業もSMS認証だの二段階認証といった金持ち用の制度を普通かのようにするのをやめて、いっそなくしてくれればいいのだが、そうしそうにない。そもそもこのジョブズの遺作では二段階認証アプリさえ使えない。でiPhone4sを格安スマホで契約するのは、050番号だと110番できないから恐ろしい。
日本国憲法では健康で文化的最低限度の生活を保障する、とある。
勤労や納税の義務をだれより果たしている(この十年くらい私以上に勉強仕事両面に努力してきた人は世界中でだれもいないと確信をもっていえる。私は正真正銘、高校卒業後、1日も1秒も休まず勉強と仕事しかした記憶が無いのだ)私から、その権利は奪われている。
納税についていえば、私は元々払う金もないけれども、その殆ど0程度の貯金から全て滞りなく当然ながら払っているし、今後も払うつもりである。
健康で文化的な生活を私に保障してくれているのは、憲法に規定されている政府ではなくて、なんと私の老父母なのである。恐ろしい話だと私も思う。私に商才が生まれつき欠けているがために、寝る間を惜しんで全力で働いても、生きるだけの金が手に入らない。
その上、私が貧者の一灯で貯金を事実0まで削りつつ血税でなんとか支えている政府は嘘をついて私を騙し、基本的人権を侵害しているのである。
生活保護を受ければいいじゃないかと思うだろうが、親に相談してもそれはもらえないという。働けというから朝から晩まで働いているが、私は他人がなにを需要しているかなど私の魂と他人のそれのあまりの違いに全く分からない。
ファンダメンタルズ(本質群)と呼ばれる収益性の指標が出ているため直接商うよりは予想がつきやすいともいえる株式投資において予想しても、やはり他人がなにを欲するかなど想像がつくはずもない。私が欲するもの、つまりは神性とは全然違うのだから。
今後も私は神性を手に入れるためこれまでと変わらず1秒も休まず全力で勉学していくつもりだが、そのどこかの時点で他人の欲求からくる需要を予想する能力を手に入れ、生活費を得る商売に生かす方法をみつけだすかもしれない。だがその前に私が餓死するほうがはやくくるのではないだろうかと恐ろしい。
まあ餓死したらしたでしょうがないというか、別に生まれたくて生まれたのでもないし、私の意志で生まれてきたのでもない。私に商才の遺伝子が生まれつき無かったからだから遺伝子の違いは避けようが無く、それ以上なにもできないともいえるが、基本的人権を日本政府や日本国民が侵害したのは事実だ。
勤労度なら世界中で私に勝るものは無いと断言できる。むしろ私は疲れ果てて倒れて寝るとき以外は1秒も休まず働いているし、あまりに根を詰めて働くので極度の疲れで用を足そうと座ったところ吐き気と共に意識が朦朧とし、過労死しかかったことも1度あるほどだ。
税金も、寧ろ商売はじめ経済活動全部が好きではない私の取り分など0でいいので、生存さえできれば全額税金にやってもいいとおもっているくらいなので、当然のことながら全世界で一番払っている人だといってもいいであろう。実際、貯金が0に限りなく近づくところまで現に正規の税金を払ってきている。
子女に普通教育を与える義務ということであるが、子孫を持っていない私が年少者へ熱心にさまざまな知識や知恵、倫理道徳含む諸般の世事での注意点(いじめはなぜいけないか)などを教え諭してきたのも事実であり、この際の教育費もまったく私の取り分を大幅になくすまでに費やしてきたのも事実である。
そういうわけであるから、私のよう、遺伝的なり後天的なりに商才が全く無い、という人も勤労・納税(貯蓄額が少ないほどそこから支払う血税の痛みは大きい)・教育などの面で他の商人を大いにまさるという現実があり、私がまさにそれなのは私を知る者や神にとって疑う面はまったく無いであろうと思う。
ツイッター社や、その他のネット関連企業はSMSなど携帯・スマホを必須にする認証を早期にやめるか、少なくとも私に費用がかからない方法も採用して欲しいと生存確保のために思う。さらに日本政府と日本国民全体には、私の生存権を保障するという憲法規定を遵守するよう求めたい。それが国民の義務だ。
更にツイッター社は、SNS連携による他SNSなどのサービスから手動で投稿した際、自動化スパムアカウントと誤認しないようしくみの改善を求める。そのたびに1日近くかかったり、数時間なり数分とはいえ心臓に悪い目にあうのはもういやなので、ツイッター自体やめようと思うほどストレスがあるのだから。
どれほど商売を全力でやって働きまくっても1円も儲からず、むしろ赤字になるばかりという遺伝子なり後天的な脳の性質をもっている人というのがこの世にはいる。
私がそのひとりなのが現時点での事実であり、それは勤勉さの欠如からきているのでは全く無くて、過労寸前まで努力しても無理なものは無理なのだ。
勿論今後も努力は続けるし、全生命力を懸けて商売を学びつつ実践はするつもりだが、生まれつき苦手なことを否応なしに拷問される苦痛の激しさは果てしない針の筵を全力疾走するようなものだ。私は血だらけで走っているのでもう足も駄目になって死にかけているが、まだ走らせようというのが日本なのだ。
拷問は日本国憲法だけでなく確か国際人権規約などで禁止されていると思うが、私にとって商売をする苦痛は、まさに拷問だ。そのことは商売嫌いの人にしかわからないはずだ。私へ拷問を強いてくる上に私が血税を最大限支払っている日本国政府や日本国民は人権侵害者にして天敵のようなものになっている。
私は15歳の時、磐城高校というところでの最初の美術の授業で手のデッサンを描かされ、そのとき直観として絵を一生やれると感じた。それから20年、私はずっと絵を探求し、周囲の無理解は無視し、画業への妨害は知恵と勇気で回避し、足りないことを営々と補ってきた。その過程は私には恐ろしく大変で、また複雑すぎ、多分私以外にはだれもできない。ところで私は生活のため、商売も学んで実践しているが商才がない。なぜその私が拷問を受けるのか? 画家は拷問を受けるものだというのが日本国なのか?
今の私が置かれた状況というのは、絵画史全体のなかでいえばゴッホが経済的困窮で追い詰められていた状態を知っている人なら、絵を探求していない一般の人にも少しは想像がつくのではないだろうか?
私と彼とは全然タイプが違うし、絵の中身も違うし、私の方は精神疾患も負っていない。しかしパトロン(原義は父親という意味だが私の場合はまさに父親の扶助だ。セザンヌのように)に援助されねば一日でも生きながらえないという商才のなさは同じである。
絵を探求するということの並大抵でない苦労、特に換金しやすい様な俗受けするタイプの売り絵とは違う、心から自分が描きたいと思う絵を探求する純粋芸術的な前衛精神をもったタイプの画家の苦労は、多かれ少なかれ私と同じかそれ以上に生計を追い詰められていると思う。私は既に貯金を1円も使えない。
私は既に貯金を1円も使えない。大体2000円くらいしか全貯金はない。他は投資に回してしまって手元にないし、そもそも投資に回している額も総額あわせても20万くらいではないだろうか? 画代の足しにしようと思っているだけだが赤字ばかり膨らんでいく。
まあ世間の人は私よりほぼ全員が商才があり、商売の才能が全く無い、努力してもカバーできない遺伝子なり後天的な脳の持ち主など、自己責任論でやりこめてしまえと思っているのだろう。だから前衛画家らは多くの場面で極貧と死の間際まで追い詰めながらも、何とかパトロンの庇護で生きてきたのだ。
結局、私は初心を貫徹するため、絵の探求を諦めるわけにはいかない。それも単なる埋没費用であってすぐにやめればいいと経営学が少しあれば判断するかもしれないが、少なくとも私の収益(年に最大で3万ほど)の殆ど全てが私の絵を買う人から代金として得られているので、これは間違いだ。
私が経営学を正しく用いれば、選択と集中によってその3万円程度の絵の収益を拡大するべきだ、ということになる。だからその通りにしているのだが、今年はまだ0円だし、今後も得られるかは不透明だ。
いずれにしても、金儲けの能力が全く無くて勤労や知識・知恵と無関係に生活費を得られないタイプの仕事というのがある。純粋芸術という分野を志向する人々は全てその種の貴族的な精神的態度、つまりは無欲さを要求され、極貧においつめられる必然性のある職業に、否応無く従事するしかないのである。
生活保護を純粋芸術家らに与えるべきだ、と私も同意するが、日本国はなんと、純粋芸術家らにはそれを与えない。じゃあどうして生きろというのだろう。ツイッターの規約上はっきりとは書けない点だが、はっきりいって日本国民全体が、純粋芸術家らをいじめている、極貧に追い詰めいたぶっているだけだ。
日本国民全体が、純粋芸術に属する職業の人達(画家、彫刻家、音楽家、詩人など)に対して無意識に悪意をもち、商売にならないという点で極貧においつめ、しかも制度の矛盾を悪用して生活保護等を受けられないようにし生存権を弾圧しているのが私の生きている現実だ。これにつき日本人を強く断罪する。
日本国は純粋芸術に属する職業の芸術家、アーティストを生存権について迫害している。日本国民全体がである。この一点をもって日本を文化的な国、文化的国民からなる国とは到底よべない。皇族がたは私達の払った血税で贅沢三昧し、芸術家は拷問を受けている。
そのくせ芸術家による作品の名誉は極貧での餓死後、皇族だの芸術家いじめをしてきた日本国民全体が横領する。これのどこが文化的なのか?
今後も同じ状況が続く限り、換金と無関係な職業に就く高等教育等を受けた我々への拷問、即ち生存保障を出し惜しみする悪行は人道に対する重い罪として、私が全芸術家を代理し全皇族を含む全日本人へ向けここに激しく断罪するものである。
純粋芸術にあたる絵画が内面的欲求に応じた独創の産物だ、といった風に書いたが、これは正確ではない。もっとはっきり詳しく言うと、それは芸術史、美術史を更新する絵でなければならず、模倣性自体への批評的観点を含め完全に独創的でなければならないので、本質的には個人の恣意と無関係だ。
この点で世人は、純粋芸術の画家がただ好きなことをしているだけだ、と勘違いしている場合がある様だ。それは全くの勘違いだと断言する。そうではなく、真に描くべき絵は無私のものなので、逆に世俗の価値観を全く超越したものでなければならない。その前では自己の欲など投影してはいけないのである。
私が「心から自分が描きたいと思う絵」と説明したのは、非常に通俗的な説明の仕方で、より専門的にいえば美術史の中で最も前衛的で過去のあらゆる傾向や様式を塗り替える類の絵でなければならず、それは大衆の需要とか好みと課とは全く関係がないのだ、ということであった。
我々が知っている過去の偉大な画家たちの中でも、最も人類に与えたよい影響、それも創造的な領域の拡張という意味での栄光が確認できるのは、その種の非商業的かつ非通俗的かつ当時の世人の流行から最も遠い非大衆的な絵であって(これらも単なる要素だ、傑作の全てを言い当ててはいない)、しかも専門的知識の深い画家や一部の優秀な批評家にしか分からない類の様式的更新がある絵である。それが当時において最高度に高尚で、また将来に続く多数の次世代にとってもそうであるような時代の粋として記憶され、今日我々に美術史を構成している。
だから恣意的な職業が画家なり純粋芸術家だとおもっているとしたら、それは単にその人の研究不足なのだ、と私にはいえる。描くべき作品は世人のいう好き勝手さやわがまま、いわゆる野放図な放恣とは、独創性の拡張による真の自由度の更新という意味でだが殆ど大きくずれているのだから。
純粋芸術が放恣による遊びだと勘違いしている愚者が、恐らく私達の誠実で立派、しかも高度な知性を酷使する仕事への無理解からそれが換金されないことを自己責任であって生存権を与えないのが当然だと思っているのだが、それはその愚者の死後、全くの間違いだったと必ずや証明されるであろう。
既に人類史が実証してきたとおり、当時の傑出した偉大な精神の表現は、当時の世人の死後も未来にその当時の唯一の記録として残される。つまり、純粋芸術家の本来の仕事は同時代人からの金儲けでは全然なくて、未来にこの時代の精神のうち最美のものを伝え残すことなのだ。
同時代受けを狙って多少なりとも不純でどうでもいいような些事をその作品の中に要素としてでも残すのは、未来人にとってのこの時代への評価を随分と下げるばかりか、汚名になりうるものである。だから我々は俗受けを避けたり通俗性を軽蔑もするのだし、現世の大金より未来の名誉を求めて生きている。
私達がいなければこの時代はろくなものではなかったときっと未来人から思われるだけだろう。文化的に劣悪で、単に下劣な精神、卑猥さが支配した最低の退廃期だったに過ぎないのだろうと。私達純粋芸術家は世人の無理解や清貧さによって死の間際まで追い詰められながらも、未来人を説得する。
この時代にも美質があり、理想があり、全てが卑俗でどうしようもないのではなかったのだと。この時代の中でも最善の人はこのように美しく生きようとしていたのだと、立派だったのだと。決して昭和や平成も、ばかにはできないはずなのだと、未来人に語りかける。真摯に、全力で、誠意と真心をこめて。
確かに現実の後期昭和人や平成人は随分下劣であった。これでも高く評価しているほうだ。私がこの2つの時代に実際に生きてひどい目にあったその不幸や不快の念、慙愧の度は筆舌に尽くせぬ。だが私は芸術家、しかも純粋な芸術家だったので、私にみいだせる最善最美の部分だけを何とか残そうと決心した。
私を差別したり、私に濡れ衣を着せたり、一方的に名誉毀損をしてきたり、精神病者扱いで抹殺しようとしたり、芸術作品の制作を妨害してきたり、一円も払わず作品だけ盗み取り暴言を吐いてきたり、昭和平成人の現実の野蛮きわまりない品性下劣さと、私自身の内面の神々しい魂は真逆に位置していた。
だからきっと未来の人類は、昭和平成人の代表者とは私なのだと、この鈴木雄介と名づけられ生まれてきた人物が、この時代の精神の粋なのだと、最高の美意識や哲学の持ち主なのだと必ずや認める。それが私の仕事だった。それだけの成果は十分あげてきたつもりだ。天も私もそのことは知りすぎている。
来年からは別の名を元号でつけられた時代がはじまるが、私はその時代でも変わらず誠心誠意仕事を続けるつもりなので、死に至るまでそれは続くだろう。なにびとも私の自由を侵害できぬ。神ですらできなかったのだ。だから私はいう、私の仕事を続けられないまで追い詰めている日本人は不当な妨害者だと。
文化的で最低限度の生活保障を日本国憲法を遵守して、粛々としていただきたい。私は他人から一円でも多く掠め取る気はないのだから、商人では全然ない。ただの芸術家だ。私の生活費が現に貯金が2000円でいて、あるはずもない。パトロンである両親が亡くなれば年金もなく、私は生存できない。
日本国民全員はこの芸術家なるものの高貴なる職業特性を重々勉強した上で、私達、未来のために立派な精神を宿した非通俗表現をする純粋芸術家らを真に文化的な存在と認め、全人類含む未来の諸文明のために生存保障することを必須としなければならない。
これは私ひとりのためでなく、偉大な芸術家ら全て。いや彼らを含む全人類のためにいうのだ。換金できる芸術などあってもなくてもよい。それは代替可能なのだ。娯楽は他にもあるではないか。真の芸術はカネで価値をはかれるものではない。その証拠が美術館や博物館に沢山あるではないか。
当時売れたかなどどうでもいい、我々が知りたいのはその時代の精神の中で最も未来に残すに足る、現代の我々が知っておかねばならない最高度の粋だけである。真の芸術、純粋芸術は必要不可欠なものだ。それがなくなれば、この時代に生きていた人達は未来から汚名を着せられてしまう。俗悪だったのだと。
国際司法裁判所や国連人権機関(国際連合人権理事会など)が現状の日本国民全員が、批准済みの世界人権宣言など人権関連規約を破り、総意で日本人の生存権を蹂躙している、という事実を公にするのは私としても心苦しいのだが、私が餓死するよりそちらの方が遥かにましなので現実にする必要がある。
窮鼠猫を噛むというが、私のよう知徳の探求について過去の全てを含む全人類に伍する者はないというだけ全生命力を長い間集中してきた人物を餓死に追い詰めている日本国民全体は、人権侵害による人道に対する重大犯罪を公にされるだけのことはしているといえるのではないか? 私は間違いなくそう思う。
まあここで日本国民全体が反省せず、生存権侵害を続けるようなら、国連等と共に私は全力でこの国民全体と戦い抜き、必ず人権を再確保するつもりでいる。人権規約遵守の義務違反という罪への無反省の結果、日本国が世界中の全人類から芸術家の天敵だと知られ責められることがあるだろうが、仕方がない。
期待は薄いにせよ、一応、このような日本国民全体の生存権侵害という重罪を全世界の人道的国連組織などへ公にされる前に、おのずと自らの大悪業を反省し、私に文化的で最低限度の生活保障をするよう、私の血も涙も搾りきった公共の税金を食らう皇族や公務員を含む日本人全員は猛反省するように。
商売なんて人がしねばおわりだし、カネも墓場の中にもっていけないし、そもそも天皇政府が発行した交換券なんざを他人より一枚でも多く寡占する児戯に夢中になるなどありえないほど幼稚というほかないだろう。芸術は永遠だ。
永遠に重要な仕事を極貧まで追い詰め弾圧し、どうでもいいような仕事に腐るほどカネをあつめ浪費しまくるとはどういうことなのか。日本国民の良識を問う。