2019年2月24日

身分を却って低くせよとの聖書の文言は謙虚さを保つ為に正しい

高学歴・高い学位を得るとプライドばかり肥大化して無知への謙虚さを失うだけだから、本当に拒絶した方が知的な面ではよい結果をもたらすはずだ。サルトルのようノーベル賞を辞退するのもよいことだ。賞のような箔も同じ効果をもっている。不必要な装飾はない方がいい。先生先生と呼ばれている様な人達は、殆ど例外なく人間的に駄目なことが経験的に多いだろう。それはもともと不完全なはずの人がもちあげられて安全でいられるはずもないからだ。中身から腐ってしまう。過度の後光をあてられるとだれでも驕り高ぶるのだ。天皇は犯罪しても逮捕されない。
 漱石が一介の夏目某で死にたいとかいっていたけど、自分が知性を限界まで高めたければそれに越したことはない。不要な学位をとらない様にするべきだ。受賞一般も拒否しなければいけない。後光をあてられる機会を避けられるだけさけるのだ。東京や京都に住むなかれ。土地でひいきしてくる馬鹿がいる。
 聖書に却って貧しい人の中に行き、虐げられる側とともに暮らせと書いてある。調べた。「互いに1つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者などと思ってはいけません」ローマ人への手紙12:16。パウロのせりふの様だ。自分はこの通りにしようとして大変苦労した。そしてわかったのは、身分の低い人々はそれに応じただけの悪徳をもっていることが多いということだ。しかし逆に身分の高い者についても別の悪徳があるのがわかった。中くらいの身分の者も別の悪徳をもっていた。結局、悪徳を避けることが重要である。
 下賤な人は自分が有利になる様に全てを計らおうとする。それでとにかく高学歴・高所得に自分をすれば他人の優位に立てるなどと考え易い。が聖書の同箇所に書いてある通り、実際にはこの様な方法をとるほど人々から憎悪される。有利なのは目先で、現実には虚栄心に耽ってろくでもない一生で終わるのだ。